「奥村って人が黒幕?」
広都大はおかしな校舎配列をしていて、ほとんど学部ごとに建物敷地が離れている。
「御堂」
僕達は油びきの廊下を渡り、学生課に入った。
宣子がつないでいる手に力を入れて聞いた。
「まだ判らない。 推理しているだけだから」
「可能性あるよね。 医学部だったらドーピングとかの勉強もしてるんだろしさ」
「奥村って今年五年だから、もう専攻決まってだろうし、その関係の研究室に入ってる
かもしれないし」
「掴まえてとっちめる?」
「いきなり核心はどうかな? 越田とつきあってたっていうだけで薬を渡してたって確
証は無いしね」
「越田君が何か薬らしいの飲んでたんだけど、心当たりないかなーーって、くらいの聞
き方でさ」
「もし本当に奥村が越田に変な薬渡してたとしたら、警戒されるしなあ」
僕達は授業を終えて、話し合いながら医学部に向かっていた。
超人性という事について、男が興味を抱くのは不思議ではないけど、女の子がこんなに
積極的に興味を示すのも珍しい。
これも勝ち気な性格のなせる業か。
「それなら中浜君から探りを入れてもらったら?」
「中浜にそんな事出来るかな?」
「不器用?」
「頭の中身が顔に出っぱなしだから」
「それはまずいな」
医学部に行くにはいったん校外へ出なければならない。
僕は、考え事をしていて前を見ていない宣子の手を引いて、行き交う人達に当たらない
よう気を使いながら歩いた。
「やあ、いつも仲いいね」
横をすれ違いかけた車の中から、いきなり声をかけられた。
浦賀刑事だ。
もうひとり、目つきの悪い中年の男が乗っている。
相棒の刑事なんだろうか。
「幼稚園児が手をつないで登園するのと同じですよ」
「私、方向音痴がたら、手をつないでもらっていないと迷子になっちゃうんです」
「なるほど、はは、ところでちょうど良かった。 君達に聞きたい事があってね」
浦賀刑事はそう言いながら車を降りてきた。
「何でしょう?」
「御堂君。 あの事件の日、君は越田に頭数揃えの為に出席してくれって言われたって
言ってたね。 席まで取ってあったって」
「ええ」
「あの集会は、保存派の連中が、たいして保存に執着していない者をわざわざ頭数揃え
に引っ張り出さなきゃならなかったほど、集まりの悪いものだったのかい?」
「え?………」
人が集まらなくて困ってるって感じで越田は僕に言ってきた。
だから、そんなものなのかなって軽い気持ちで参加したのだけれど、あの日は……
「……大入り満員でしたね」
「あれからいろいろ聞いてまわっているんだけどね。 あの六道記念館の取り壊し問題
は結構大学中で話題になってて、学生同士でも討論のお題目になってるって言うじゃ
ない。 前人気は高かった訳だ。 あの集会に事前に空席が出るなんて考えられなか
ったと思うんだけど」
「…………」
さらなる大入り超満員を狙ったんだろうか?。
「出来るだけ大入りに詰めておいて、反対派の乱入がしにくいようにしていたんじゃな
いですか?」
「そこまでになるほども人集めをしていない」
「?、ノンポリの浮動票を狙ったとか?」
記念館の処置決定は最終的には学長と理事会の判断にゆだねられるんだろうけど、大学
内の保存派の勢力が圧倒的に大きくなれば、その声を無視する事は出来なくなる。
そのための頭数集めと思っていたのだけれど。
「西垣恵三、野口正明、古川武、柴崎亮って知ってるかい?」
「?、知ってますけど。 西垣はやっぱり同じ高校から広都大に入ったやつで、野口、
古川は高校の後輩。 柴崎ってのは知らないな」
「越田の中学校時代の友人で広都大に入学した者だよ」
「………」
「つまりね、君を含めて越田を昔から知っている者ばかりが最前列に集められていたん
だよ。 あの時起こった事が目の前でよく見えるようにね。 これはどういう事だろ
う?」
確かに変だ。
たんに親しい友人を集めるだけならば、広都大で友人になった者も入っているだろうに。
「……それは、ただ友人を身近に置いておきたいと思ったからじゃないですか? 友人ほ
ど話も聞いてもらいやすいし、引き込みやすい。 仲間に入れやすいですから」
「それだけだろうか?」
「それとも、あの力を昔から自分を知っている者に見せつけるため、とか」
「それっ。 君達昔からの友人なら、昔の越田にはあんな力は無かったって事が知られて
いるだろう。 それがいきなり怪力を発揮したって事は、最近、突然に超人化したって
事を既成事実化する事ではなかったか。 昔と今の変化の対比を見せるために。 その
ための証人にするために君達を呼んだ」
「…………」
つまり、生来持っている力じゃなくて、後天的な作用で得た力だって事を示したかったっ
て訳か。
「君、この間言ってたね。 あの集会で、取り壊し派の乱入が予測出来たって。 当然
越田も予測していただろう。 そこで、これは自分の怪力を君達に見せるチャンスだと
考えた。 だから、あらかじめ呼んでおいた」
「なるほど、確かに昔からの越田を知らない連中があれを見たら、あいつは凄い、で終わ
ってしまうけど、知っている僕達が見たら、どうしていきなり?って思いますものね」
「そうする必要があったんだ」
「何のために?」
「ね、御堂。 やっぱり越田君は薬の力であんな超人になったんだって事を知らせる為に
御堂を呼んだんだ」
宣子が言ったが、僕は薬という言葉が出たとたんも心の中で『宣子の馬鹿!』と叫んだ。
まだ薬の事は出すべきじゃない。
「薬?」
ほら、浦賀刑事は聞き逃さない。
「そうじゃないかと思っただけだろ。 このあいだドーピングの話もしてたし」
僕はなんとか誤魔化そうとしたのだが。
「ううん、今思い出したんだけどさ。 今から四年前に、オリンピックのマラソンの代表
を選考するレースで、夕日化成の選手がすごい記録出してオリンピックの金メダル候補
って騒がれたんだけど、レース後にその選手が薬物を使ってたって事が判って失格にな
ったって事件があったじゃない。 あの時に、その薬を調合したのが広都大の医学部の
教授か講師かで、広都大がずいぶん糾弾された事があったのよ。 だから薬かなって思
ったんだ」
「四年前なら君は高校生だっただろ」
「広都を狙ってたから、その名前の記事には敏感だったの」
この話ならさしさわりは無い。
ほっとしたけど、そんな事件があったなんて知らなかった。
「四年前………マラソンの選考会………」
浦賀刑事はメモを取って、それを車の中のもうひとりに渡した。
さっそく無線で問い合わせをしている。
「すごい記録って、どのくらい?」
僕にしてもそういう話には興味が湧く。
「憶えてない。 でも確か、まったく無名の選手が世界最高記録を出したって」
「マラソンの世界最高記録ってどのくらいだろう?」
「確か二時間六分台あたりだと思うが」
浦賀刑事も思い出しながら言う。
「それくらい出たって事?」
「そう書いてあったと思う」
中浜の話ではアンフェタミンを投与した人間は一時的な筋力アップを示したと言ってい
たけど、それは一時間くらいしか続かないって事だった。
フルマラソンは二時間以上も走る訳だから、当然、途中で効き目は無くなると思うのだ
けれど、そのへんはどうだったんだろう?
「図書館に行って昔の新聞見たら、よく判ると思うよ」
「医学部の連中に聞いた方が、もっとよく判るかも」
そのへんは調べてみる価値がありそうだ。
「おっと、そう言えば君達は今からどこへ行くつもりだったの? この先は医学部だけ
ど」
いきなり職務質問に変わるところは刑事だ。
「今朝から頭痛がするんで診てもらおうと思いましてね」
「私はつきそい」
「そう、それはいけないね。 でも、奥村ってのはいないよ。 今日は出てきてない」
浦賀刑事はじつによく人の行動を読んでいる。
調べる事はちゃんと調べているんだ。
「それなら、医学部の学食でコーヒー飲んで帰りますよ」
「医学部の学食は美味しいの?」
「ええ、カツの中身が解剖の時にはぎれで出た人肉だって噂があるくらいで、美味しい
ですよ」」
「トマトジュースが最高」
宣子もブラックジョークに乗っかって言う。
「それじゃ僕も一度食べに行こうかな」
「ぜひ」
「御堂、行こう」
宣子が、話はここまでって顔で僕の手を引っ張った。
僕もそうだなって思ったけれど。
「あ、ちょっと」
浦賀刑事はここまでって思っていなかった。
「さっきの話がまだ途中なんだけど、仮に越田が薬か何かを使ったとして、どうしてそ
れを君にアピールする必要があったんだろ?」
「それは僕にも判らないですよ。 やつの意志も判らないし、心当たりも無いし」
「そう……か」
浦賀刑事は首を傾げながら腕組みしたけど、目は僕を見ている。
「そんなところですね、じゃ」
「あ、どうもありがとう。 ゆっくりコーヒー飲んできて。 いや、頭痛の治療だった
か、ははは」
浦賀刑事は笑いながら車に乗った。
なんか見透かされていたようで癪に障ったが、そのまま車が走り去るのを見送って、僕
達は医学部のキャンパスに入った。
奥村にも用はあるんだけど、とりあえずの目標は中浜だ。
中浜はキャンパスの芝生の上で寝転がっていた。
「いい天気ね」
「あ? ……ああ、哲学するには陽気が良すぎるな」
寝ぼけ眼で起きあがって言う。
「物思う事でも出来たか」
「勉学のためとはいえ、毎日毎日、死人の身体を切り刻んどるとな」
「命とは?生とは、死とは? か」
「いや、こんなところに死体で運ばれて来て解剖実習に供されるやだから、生前まとも
な生活をしていた人間やったとは思えんのやけどな。 それでも、かつてその人間に
も親がいて育ててもらってたんやろ。 もし今でもその親が生きてて、自分の産んだ
子が医学生に解剖されてると知ったら、どんな思いをするやろ。 遡って、親が、生
まれたばかりの我が子を抱いて、その子が将来そんな運命になるて、その時に想像しえ
たやろか?」
「親がいても、その人の人生はその人のものよ」
「遺体を引き取ってくれる人がいないってのは寂しいね」
「解剖してる時にそんな事考えてるのか?」
「やってる時はテキストにらみながら必死になってやってるんやけど、終わってから、
ふと我に返るとな」
「哲学だね」
「まあそれは置いといて。 なんや? 用か?」
中浜は話題を変えようとするように質問に転じた。
「奥村って知ってるだろ?」
「医学部のか?」
「越田と親しくつき合ってたやつ」
「知ってるけど、親しくない」
「どこの医局に入ってる?」
「あいつは……外科だな、成形外科」
「筋肉とか筋力を研究したりする?」
「うってつけやな。 それに、臨床神経学研にも出入りしてるみたいやから」
「それは何するところ?」
「麻酔、麻薬、それに、ドーピングの研究」
「出たね。 それを聞きたかったんだ」
「奥村が絡んでるんか?」
「越田は何か訳の分からない薬を飲んでいたらしい」
「ほーーー、超人製造薬か」
「その可能性もある。 見た者の話によると、小さなアンプルに入った液体だ、よく食事
の後で飲んでたそうだ。 それを飲んだ後は身体が熱くなって、小刻みに震えたりした
んだそうだ」
「身体が熱くなって、小刻みに震える?」
「医者としてはどう見る?」
「まだ医者にはなってない」
「卵でもいいから、所見は?」
「発熱に悪寒って言えば、そりゃ風邪やな」
「風邪にになる薬をわざわざ飲むか。 それに、その薬を飲みだしてから、体中が引きつ
るように痛くなるって言ってた」
「そんな症状が出たのか」
中浜は腕組みして言った。
患者を前にして病名を探す時の顔はこうなのかもしれない。
「ね、中浜君。 この間言ってたドーピングの薬ってあるでしょ。 一時的な興奮状態を
作るのって。 あれって、飲んだら、どういう症状が出るの?」
「アンフェタミンにしろカフェインにしろ、多少の興奮状態にはなるかもしんいけど、そ
んな熱が出たり、身体中が震えだしたりって事は無いやろ。 エフェドリンなんか反対
に筋肉が弛緩して目がとろんとしてくる」
「エフェドリン?」
「シャブや。 覚醒剤やな」
「あ………」
「あれなんか使用した本人は一時的に爽快になって身体が軽くなり、すごい力が出るよう
になる。 心理的限界は超えるけど、外見的な変化としては、瞳孔が開いて、とろんと
した目つきになって、呆けた顔に見える。 症状としては違うな」
「そしたら越田君の飲んでた薬ってなんだろ?」
「俺にも判らんな。 で、それを奥村からもらっていたんか?」
「いや、そこまでは判らないないんだけど、時期的に越田が記念館保存派を旗揚げして、
奥村とつき合い始めた頃から飲み始めたみたいなんだ。 関連あると考えてもおかしく
ないだろ」
「そうか……考えられん事はないけど」
「そこでだな」
「やっと本題か」
「うん、奥村のその、臨床なんとかって」
「臨床神経学研」
「そこでやってる研究っての、それとなく調べてくれない?」
「調べてどうする?」
「もし越田とその薬が関わり合いがあるなら、奥村が越田の居場所を知っているかもしれ
ないだろ? それに、あの超人的な力の秘密も知りたい」
「後者の方が強そうやな」
「男なら興味の無いやつはいないだろ」
「俺はあんな力なんかいらんぞ。 頭があったらええ」
「夢の無いやつだな」
「御堂が単細胞なのよ」
「あれ? 君も興味津々だったけど?」
「ちょっとね」
「まあええやろ。 俺かて全く興味無い訳やなし。 ただし、医学的な興味からだけやけ
ど」
「なんだっていいけど、とにかく頼む」
「それとね、中浜君、こんな話知ってる?」
宣子が話の切れ目を待っていたかのように身を乗り出した。
興味津々というところはまったく外れていない。
「四年前のオリンピックのマラソン選考会でドーピング事件があったって事」
「ああ? うちの医学部が絡んでたってやつか?」
越田は知っていた。
医学部だから当然なんだけど、これはかなり期待出来る話が聞けそうな気がする。
「そう、医学部の教授か誰かが薬を調合してたんでしょ?」
「当時の臨床神経学研の所長がな、壱岐教授っていうんやけど、その事件で退職した」
「中浜君、その教授、知ってるの?」
「まさか、俺が入学する前の話やし。 先輩に聞いたんや」
「医学部では有名な話?」
「そりゃ、当時のマラソンの世界記録を大幅に塗り替えたんやからな。 陸連が大喜びし
してマスコミも大喜びや。 けど、その直後にドーピングが発覚して、期待が大きかっ
ただけに非難囂々や。 選手も永久追放やし、壱岐教授も大学にいられんようになった
んやからな」
「どんな記録だったんだ?」
「二時間四分五秒」
「それまでの世界記録は?」
「二時間六分五十三秒」
「二分以上も上回ったのか」
「絶対に出ない記録や」
「どんな薬だったの?」
「判らへん。 尿検査でアンフェタミンの反応が出たらしいけど、それだけやなかったみ
たいなんや。 何かを化合して反応を変えたものやって聞いてるけど、壱岐教授は薬の
内容についてはいっさい喋らんかったし、論文も化学式も何も残ってなかったそうや」
「どうして?」
「教授が焼いてしもたそうや」
「どうして焼く必要があったんだ?」
世界最高記録を出せる薬だったとしたら、それはとんでもない発明で、薬品会社とでも組
めば巨万の富を得る事も可能だろうに。
「非合法の成分が含まれていた疑いがあったんやそうや」
「非合法って?」
「麻薬や」
「じゃ壱岐教授は」
「もちろん警察の捜査を受ける事になったんやけど、証拠が見つからんかった。 そやけ
ど世間を騒がせたていう事で責任とって辞めたらしいな」
「その麻薬は尿検査では出なかったの?」
「試合後は簡単な尿検査だけだったから、そこまでは判らなかったらしい。 尿検査は一
度きりだったし」
いくらノーベル賞ものの発明でも、それが法に触れるものであれば発表する事は出来ない
って訳か。
「前にアンフェタミンの効果は一時間くらいで消えるって言ってただろ。 マラソンは二
時間以上続く訳だから、その事から考えても普通のドーピングじゃないな」
「そうだな、一時は世界各国の陸上関係者や薬剤関連の連中が成分の問い合わせで殺到し
たそうやけど、とうとう壱岐教授は一言も喋らないまま退職した」
「そりゃ殺到するだろう、大設け出来る」
「……それだけじゃないでしょ」
宣子が急に真面目な顔で言った。
これまでの好奇心にあふれた言い方じゃない。
「政治家だったら、もっと別の事を考えると思うな」
「軍事か」
「日本は表向きは軍隊は無い事になってるけど、ほら、昔の旧日本軍がさ、特攻する前の
パイロットに覚醒剤飲ませて、恐怖心を無くさせてから飛び立たせたって言うじゃない。
それと同じでさ、もし今、軍隊持ってる国で局地ゲリラ戦やってるところなんか、そん
な、兵士を超人にする薬なんかあったら、すごく欲しがるんじゃないかな。 核戦争な
んて人類破滅の戦争なんて出来ないからさ、小さく小さく戦争やってるでしょ。 ほと
んど兵士の肉弾戦みたいな戦争なら、戦う兵士達の体力が飛躍的に向上したら、すごく
有利だと思うのよね。 だからきっと、そんな関係の人達も来ていたと思うのよ。 だ
から壱岐教授はその関係の資料をみんな焼いてしまったんじゃないかな」
「さすが新聞記者の娘っ」
「なかなかするどい」
そのくらいは僕達でも考えるけど、女の子の発想としてはするどいところがあると思った。
もっとも、僕も中浜も、判っていて茶化してしまっていたのだけれど。
「普通に歴史を勉強して、普通に新聞読んで、普通に世界動向を見ていたら判る事なのっ。
お父さんは関係ないわっ」
宣子は口をとがらせた。
そのくらい、当たり前でしょ、という態度だ。
「いや、なかなか普通のお嬢様にはそこまでとても」
「馬鹿にしてんの?」
「まあ、それはいいとして、その壱岐教授ってのは反戦主義者だったのか?」
「そこまでは知らんけど、そうだとしたら、もったいない」
「何が?」
「そういう連中に売り飛ばせば、いい金になってたやろに」
「中浜君っ、あなたって人はっ」
宣子はいきなり持っていたバインダー中浜の頭を殴った。
「いてっ」
「なによっ、戦争に手ぇ貸す気っ」
「じょ、冗談や。 なんやねん、いきなり」
中浜は頭を抱えてうずくまった。
いくらいきなりとはいえ、女の子にもろに殴られたんだから情けない。
「山崎女史は反戦主義者やったんかいな?」」
「平和主義者って言ってよねっ。 普通の人なら誰だってそうだと思うけど」
「えらい乱暴な平和主義者やな」
「なによっ」
「まあ、いいから。 で、中浜」
「ん?」
僕の助け船で、助かったとばかりに身を起こした。
「その壱岐教授ってのは今何してる?」
「知らん。 盆栽いじりでもやってるのとちがうか」
「もしかして、壱岐教授が越田君に関係してるって考えてるの?」
「もちろん」
「壱岐教授って何科の教授だった?」
「成形外科や」
奥村と同じだ。
奥村は壱岐教授を知っていただろう。
もしかしたら直接教えを受けていたかもしれないし、その時のドーピング事件にもかか
わっていたかもしれない。
そして、奥村がその薬をさらに研究し続けて、作り出したものを越田に投与していた。
これならつじつまは合う。
「中浜。 壱岐教授の住所、調べられないか?」
「どうやろ? 学生課に行きゃ判るんと違うか」
「そうだな。 よしっ」
「私も行くっ」
僕達は立ち上がり、学生課のある本館に向かった。
中浜も一緒に付いてくる。
道一本隔ててなんて生やさしいものじゃなく、学部と学部の間に小さな町が入っている
くらいに離れているのだ。
敷地を拡大する時の用地買収がいい加減だったのかもしれないが、おかげで違う学部に
行く時には隣町に行くような時間的浪費を伴う。
僕達は住宅街を一区画越えて、旧本館と呼ばれる、六道郷之介が創設した当時の敷地内
にあるキャンパスに入った。
そして、六道記念館に負けず劣らず老朽化した学生課の建物に入った。
「ん?」
「この建物だってもうたいがいに古くてさ、今にも倒れそうなのに、どうして建て替え
の話が出ないんだろ? 記念館より、どちらかと言えばこっちの方が痛んでると思う
んだけどなあ」
「記念館ほども建物として有名じゃないからだろ。 そもそも記念館の建て替えっての
は、学長が自分の名前を残したいためにメンツでやろうとしている事だろ。 この建
物じゃ業績に残らないよ」
「おかしな話ね。 取り壊し派の大義名分は老朽化が進んで危険だから、なんて言って
るくせに」
「話には表と裏があるんだよ」
受付で四年前の教授名簿の閲覧を申し出る。
「四年前の教授名簿って何か載ってるんですか?」
受付の若い事務職員がけげんそうな顔で聞いた。
「え? どうして?」
「ついさっきも警察の方が来て、同じものを見せてくれって」
浦賀刑事だ。
さっきの道ばたでの話で同じ事を考えて、一足先にやってきたに違いない。
「ずいぶん素早いね」
宣子も判っている。
「なんや? この話、誰かも知ってるんか?」
「さっき刑事に話しちゃったのよ」
「あーー、そら調べるわな。 それやったらもう今頃は壱岐教授にも手ぇまわってるやろな」
「あった。 これよ」
僕と中浜が話し居いる間に宣子が壱岐教授の住所を捜し出した」
「東京都杉並区阿佐谷………」
「今でもここにいるのかな?」
「どうだろう」
もちろん、退職後に引っ越したって事も考えられる。
「あの、壱岐教授の現住所はここに書いてありますけど」
受付嬢が横から朽ちを出した。
「さっきも警察の方が同じ事尋ねられて、移転先調べたんです。 これ、壱岐教授が出さ
れた移転通知です」
やっぱり退職後に転居していた。
しつこく自分にアプローチしてくる陸連や企業やその筋の連中から姿を隠すためには住所
を変える必要があったんだろう。
移転通知の日付は比較的最近のものだった。
「えーーと、大阪? また遠いところに。 大阪市住吉区帝塚山………。 こりゃちょっ
と話聞きに行くって訳にはいかないな」
「警察は行くかな?」
「出張扱いで行くんじゃない? 経費も出るし」
しがないアルバイト学生の身では大阪までの往復交通費なんておいそれとは出ない。
残念だけど、これは浦賀刑事に一歩遅れをとりそうだ。
「しかたない、これは後であの刑事から聞き出そう」
「喋ってくれると思う?」
「駆け引きだな」
浦賀刑事はこちらが種を撒けば乗ってくるところがあるから、案外聞き出せるかもしれな
い。
「それじゃ、ここからは奥村コースだね」
「なんとかやってみよか」
中浜もなんだかんだと言いながら乗ってきている。
頼もしい仲間だ。
仲間は多い方が情報を集めやすい。
警察には喋らなくても同じ学部の友人には喋ってしまう事もあるだろうから、僕達に有利
な目もある。
僕はなんだか力が入ってきた。
超人化の謎は必ず我が手に入れてやると。