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〈19〉



「……たぶん、そうだと思います。それで、具体的にどんな実験をしていたのですか?」
「私は当時はまだ研究生で、生体調査班の助手をしていた段階であったから直接実験にた
 ずさわっていた訳ではなかった。 薬事班と育成班の研究室には今でいうトレーニング
 ジムのようなものがあって、そこで被験者にプログラム通りのトレーニングをさせてい
 た。 一定期間に一定量の薬物を投与し、成長、運動量に見合ったカロリーと栄養バラ
 ンスのとれた食事を与え、根本的な筋力の強化をさせていたのだ」
「薬品投与と栄養バランス、トレーニングによる筋力アップといえば、現在の強化トレー
 ニングと変わらないですね」
「そうとも言えるが、現在では許されない、生体での実験データを元にしてのものである
 から、その成果には驚くべきものがあった」
「例えば?」
「助走無しに垂直飛びで二メートルを飛んだり、百メートルを九秒の前半で走ったり」
「………オリンピックで金メダル間違いない記録じゃないですか」
「そうであったな」
「外科的な処置は何も無しにですか?」
「そういう事はしなかったと思う。 あくまでも薬品による体質改善が目的だった」
何万人もの兵士ひとりひとりに外科的な処置はしていられない。
軍事目的に使うならば、やはり簡単に投与しただけで効果のある薬物によるものでなくて
はならなかったのだろう。
「薬事班と育成班は薬物反応などの直接的なデータが必要となると、生体班にその調査実
 験を依頼する。 それを受けた生体班は生体を用いてデータを集め、薬事班、育成班に
 返すのだ。 そのデータを元にしてさらに調剤や開発が繰り返され、少年達に投与され
 ていたのだ」
「直接人体からデータを取っての研究なら、マウスやモルモットを使うより確実なものだ
 ったんでしょうね」
「そうだ。 そして、あれは、終戦の一ヶ月前だった。 突然、薬研が軍部の人間を集め
 て研究成果を発表するという事になった。 当時の本館校舎の裏にあった、今は倉庫と
 して使われている所だ。 そこに陸軍省の人間や政治家達が集まり、南教授が薬研の代
 表として研究成果を見せた」
ここからが本当の核心だ。
緊張が走る。
「十九歳の少年と九歳の少年のふたりだった。 ふたりとも日本人だった」
「え? 日本人? 大陸から集めた被験者じゃなくて?」
「そうだ。 それまで薬研では見た事のない少年達だった。 南教授は軍人達に、その二
 人に薬一ヶ月間連続して開発薬品を投与したと説明した後、実際にどのように体質改善
 されたかを、その場で実演させて見せた。 あの光景は今でもよく覚えている。 十九
 歳の少年は素手で直径六センチの鋼鉄の棒をねじ曲げ、厚さ一センチの鋼鉄の板を紙の
 ように引き裂いた。 そして、もうひとりの、九歳の少年は……拳銃の弾をはね返した」
「……………」
山神教授の話の通りだ。
中浜から聞いた時にはまだ半信半疑だったが、当事者の口から直接聞くと、改めて全身に
興奮を感じないでいられない。
「南教授が銃を少年の胸に至近距離から撃ったのだ。 瞬間、少年は弾かれたように飛ば
 され、倒れたが、すぐに立ち上がり、平然とした顔をしていた。 胸には、少し赤く腫
 れた跡はあったが被弾はしていなかった。 弾はすぐ下に落ちていた」

超人研究は成功していた。
越田の言葉は本当だったんだ。
そしてまさに、それが現在に蘇ったのだ。

「軍人達は手を叩いて大喜びしておった。 そして、恥ずかしながら私もその場で同じ研
 究員の端くれとして興奮と喜びで浮かれ上がっていた」

越田はやはり、この超人研究の成果を手に入れていたんだ。
しかし、どうやって手に入れた?

「その、投与されていた薬はいったい何だったんですか?」

そして、これが本題となる。
ここまでの薬研での研究事実はほんの枕に過ぎない。
僕がここまで追いかけ、中浜が医学的興味をつぎこんできた本題は、その薬品の内容なの
だ。

「残念ながら判らない。 被験者の中に巨人症の症状を出す者もいたからホルモン系のも
 のではなかったのかとも思えるが、それ以上は判らない。 薬研で扱われていた薬剤は
 全て最高機密だった。 直接関与していた上位の医師達しか判らないようになっていた。
 私のような研究生には臨床データや化学式さえも見る事は許されなかった」
「本当ですか?」
「本当だ」
「麻理江さんの命にかえても、そう言い切れますか?」
「麻理江には手を出すな。 これは本当の事だ。 何よりの証拠に、今、私は生きている」
「?」
「日本の敗戦が決まったと同時に薬研で、薬事、育成に直接かかわった医師は全員、南教授
 によって殺されてしまったのだから」
「……!」
山神教授の話では、研究所員は戦後大学を離れ、経歴を隠しながら表立つ事の無い人生を送
っているという事だったが。
「米軍が進駐して来て、真っ先にやった事は軍事施設の占拠と軍事機密に関する化学物理生
 理全ての研究成果の奪取だった。 当然、薬研にも米軍が踏み込んで来た。 だが、その
 前に超人研究を奪われるのを恐れた南教授は最終的な研究レポートと薬品関係の化学式、
 超人研究の組織図を残し、その他のいっさいの研究内容を示す書類や物品を消却してしま
 った」
「残した。 やはり」
そうでなければ、あの超人の復活は無いのだ。
「さすがに長年の研究成果であり、やっと日の目を見たばかりの驚異的な発明を焼いてしま
 う事は出来なかったのだろう。 南教授はそれらを六道記念館のどこかに隠された」
「え! え! え! 六道記念館にっ!!」
「そうだ。 南教授ひとりで隠された。 ひとりで記念館に入り、ほんの短時間で隠されて
 しまった。 そして南教授は特研の中庭に研究員全員を集め、別れの杯と言って日本酒を
 ふるまったのだが、その中には毒薬が仕込まれていた。 全員が飲み干し、死んでしまっ
 た」
「あ、あの、それじゃ、あなたは……」
「教授は私にだけは酒を勧めなかった。 たぶん、研究員達の死体の後かたづけに人手が要
 ると考えての事だったんだろう。 その後、教授と私は研究員達の死体を、実験用の人体
 の死体を焼却するための焼却炉に運び、骨も残さず焼いてしまった。 生き残っていた被
 験者達も同じように殺され、焼かれた。 私は手伝いながら、これが終われば、いよいよ
 最後に殺されるのは自分だと思いながらも、逃げようという気持ちにはなれなかった。
 あれほどの、虐殺と言ってもいいほどの実験を繰り返していた特研の、研究生とはいえ一
 員だったのだから、このまま生きながらえる事は許されるものではないという覚悟からだ
 った。 だが、全ての処理を終えた時、南教授は私に言った。『お前はまだ若い。 実験
 に直接手を染めていない。 生きろ』と。 そして『全ての証拠は無くなった。 研究員
 達は骨も残っていない。 米軍が来たら研究員は全員郷里に帰ったと言え。 研究内容を
 問われたら、自分は下働きだったのでいっさい内容は判らないと答えろ。 この研究に関
 与していた軍関係の人物名を記した組織図は六道記念館の中に封じ込めた。 絶対に見つ
 けられる事はない。 いっさいを知らぬ存ぜぬで通し抜け。 そして、私の身体は焼くな。
 全てを私ひとり責任として、この特研を葬ってしまわなければならない』 そう言われて
 南教授は自ら毒薬を飲まれて死んでしまった」
 

山神教授の話はこの時の南教授の指示で壱岐教授が作り上げたものだったのだ。

「進駐して来た米軍はじつに早く薬研にやって来た。 だが、その中で接収出来たのは表向
 きの軍用麻薬と覚醒剤、それに強壮剤ぐらいのものだった。 私は口を閉ざし続けた。 
 米軍の執拗な取り調べにも合ったが喋らなかった。 いや、喋れなかった。 自分自身の
 あの特研での羅卒の姿をどうして人に喋れようか。 特研の中から何も出てこず、南教授
 が隠した書類も見つからず、とうとう生体実験も人体実験も表に出ないまま、超人研究は
 闇へと葬られていったのだ」
 

「…………」
「これで話は終わりだ」
「……いえ、まだ……」
「当時の関係者はもう誰も生き残ってはいない。 これ以上掘り返しようがないだろう」
「ええ。確かに研究員はいないでしょうけど、軍関係の人達はいるでしょう。 軍属化し
 ていた薬研に研究を付託していた軍部の人間は」
「今となっては、誰が関与していたかも判らない。 私など当時はそんな連中に近寄る事
 も出来なかった」
「名前くらいは覚えていませんか?」
「……ひとり、端正な顔をした若手将校がいて、それが確か、ナカ……が頭に付く名前で
 呼ばれていたのを憶えているくらいだ」
「ナカ……中田とか中山とか?」
「そうだが、正確には憶えていない。 南教授が隠した組織図が見つかれば判るのだが」
「六道記念館ですか」
「そうだ」
「まだ見つかっていないんですね?」
「いや、もしかしたら、もう見つけられてしまったのかもしれん」
「え? どういう事です?」
「超人が現れたのだろう。 越田とかいう」
「あ………」

確かにそうであった。
今の話の中での研究成果を手に入れなければ、あの超人化は不可能なのだ。
「すでに誰かが見つけ出し、それらの資料を基にして超人薬を作り上げていたとしたら、
 その臨床例が君の目の前に現れたという事だ」
「可能性としてですが、その若手将校が化学式を持ち出していたかも。 薬研は軍属だっ
 たんですから、当然軍に対しては報告義務があったでしょう」
「だが、それなら南教授はあんな隠し方はしないだろう。 どうせ流出してしまっている
 ものならば」
「そうですが、やはりまだ記念館のどこかに残っていると考えたいですね」
「どう考えようと君の勝手だ。 話はこれで終わった。 約束通り麻理江を帰してもらお
 う」
「はい、ありがとうございました。 無事お届けします」
「誘拐犯が律儀だな」
「真実を知りたかったのです。 あ……最後にもうひとつ」
「何だ?」
「南教授の趣味は何でした?」
「趣味? どういう意味だ?」
「言葉通りです。 絵を描くとか、音楽を聴くとか」
「そんな事までは知らん」
「スポーツは?」
「……山登りがお好きだったようだが」
「山登り………」
「もういいだろう。 麻理江を早く帰せ」
「判りました。 すぐにお帰しします。 失礼します」

通話を切り、振り返ると、
「え?」
麻理江がいつの間にか紐を解いて毛布から頭を出している。
どころか、宣子と並んで座り、こちらを見ているのだ。
「外れたの……」
宣子が言った。
誘拐犯が顔を見られて、外れたの、とは間の抜けた言い方だけど、今さら顔を隠したって
しかたがない。
麻理江はこくりとうなずいて、
「誰にも言いません。 ……だから、あの……お爺ちゃんの事、誰にも……」
音声をオープンにしていたのだから、今の壱岐教授の話は全て麻理江にも聞こえていた。
歴史に埋もれていた虐殺事件を自分の近親の口から語られたのだから、感受性の強いこの
年代の女の子にはひどい衝撃だったのだう。
「あのね、僕達は君のお爺ちゃんの過去を暴いたり糾弾するのが目的じゃないんだ。 そ
 れじゃ何かって事は言えないけど、とにかく、昔の事を今、公にする事はないから」
僕は本心で言った。
麻理江を悲しませたくはない。
「お願いします」
麻理江はこくりと頭を下げた。
今、ひどく心を痛めているところであるのかもしれないが、麻理江は涙を流したり取り乱
したりはしない。
それだけ衝撃が大きすぎたか、それとも気丈な正確ゆえかは判らなかったけれど、僕とし
てはなんだか、ほっとした。

「私、送って行くから」
宣子が麻理江の手を取って立ち上がった。
「そうだな。 女の子ふたりだけの方がいいかもしれないな」
おそらく麻理江の言えの周辺には警察が張り込んでいるだろう。
電話の声が男のものであっただけに、ここは宣子に任せておいた方がいい。
「それじゃ、行ってくる」
「……さよなら」
麻理江が小さな声で言った。
誘拐された本人がその犯人に向かって別れの挨拶をするというのも変なもんだが、何故か
自然に聞こえた。
僕は電話機を持って座ったまま、宣子と麻理江が出ていくのを見送った。


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憂想堂
E-mail: yousoudo@fspg.jp