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〈20〉



翌朝、僕は中浜の部屋で目を覚ました。
昨夜はなんだかひどく疲れてしまい、そのまま三人でザコ寝してしまったのだ。
壱岐教授の話について討論する元気も無かった。
それだけ内容に重いものがあったのだ。

隣で宣子がちょうど目を覚ましたらしく、薄目を開けてこちらを見ている。
「おはよ」
甘ったるい声。
情事の朝のようだ。
中浜はまだ寝ている。
「おはようさん」
「ねえ、御堂」
宣子が身体をすり寄せ、僕の耳元に唇を寄せた。
「ん?」
「あのね、ゆうべ、あの子を送って行って家の近くまで行ったんだけどね。 車停めて、
 あの子にキスしちゃった」
「………え?」
まだ頭の中が完全に起きてないらしく、理解が出来ない。
「キスしたの。 あの子と」
「……どういう事?」
女の子同士で?
僕だってまだ宣子とはしていないのに?
「車の中であの子、ずっとうつむいたままだったの。 すごく思い詰めていたみたいで。
 その横顔見てたら、なんだかすごく清楚でね。 可愛いなって思ったから。 だから」
「だからって、それ、でも、女の子同士で?」
「可愛いって思ったら男の子でも女の子でも一緒。 御堂だってあの子の横顔見てたらし
 たくなったと思うよ」
「そりゃ、僕は男だから……」
「可愛いって思う心に男も女もないのよ。 でも、あの子の唇って、柔らかいの」
「え? 唇にしたの」
「そうよ。 どこにしたと思ったの」
「……いや」
おでことかほっぺたかと……。
「あの子、嫌がらなかったの?」
「待ってたみたい」
「そう……」
なんだか、僕には判らない世界の話だ。
もっとも、理解を拒むつもりはない。
宣子と麻理江なら、それもそれなりに絵になると思うからだ。
「御堂にもね、なんとなく、そんな場面で可愛いなって思ったらしてあげる」
「僕は可愛くならないよ」
「どうかな」
今、上目遣いに微笑んでいる宣子は可愛いと思う。
ここで僕の方からしたら、どうなるだろう。
「さ、起きよっ。 朝ごはん、食べようよ」
僕のすけべ心を見透かしたかのように、宣子はすっくと立ち上がり、まだ寝ている中浜の
上をまたいでキッチンに行った。
六畳間にくっついた、ほんの申し訳程度の流し台で、水の音と湯沸かしの音が混ざり合う。
朝の音だ。
僕も起きあがり、まだいびきをかいている中浜の枕を蹴飛ばした。

「まったくお前は……」
中浜が頭をさすりながらトーストを頬張る。
「いつまでも高いびきをかいているからだ」
「見て、新聞に載ってる」 宣子が朝刊を取って来て、僕達の前に差し出した。
社会面のトップにでかでかと『女子高生誘拐。 無事もどる』と大見出しで出ている。
一瞬、事の大きさにドキリとしたが、サブタイトルの『犯人は不明。 女子高生も犯人の
顔を見ず』とあったので、ややほっとした。
「あの子、私達の事、喋らなかったみたいね」
宣子もにこりとして言う。
「そりゃ言えんわなあ。 自分の爺さんの旧悪をばらす事になるさかいなあ」
中浜も新聞を覗き込みながら言った。
「違うよ、そんなんじゃないって」
「なんで?」
「私の誠意と優しさが通じたの」
「何を優しゅうしたんや?」
「それは……ほら、ちゃんと送ってあげたし」
キスしたとは言えないか。
けど、確かにそれは効いているかもしれない。
女の子同士の小さな心のふれあいっていうのはたんなる男と女の仲よりも強かったりする
ものらしいから。
「なになに、『麻理江さんは午後七時頃帰宅途中、自宅近くの路上で車の中から出てきた
 男に毛布のようなものをかぶせられ、そのまま車の中に引きずり込まれた。 車はその
 まま約三時間走り回り、再び自宅の近くに戻り、そこで麻理江さんを解放し、逃走した。  その間、犯人からの要求は無く、その目的が何であったのかは判っていない』やと。 
 えらい、まあ、とぼけてくれてる事」
「狂言誘拐って、あの子が取り調べられたりしないかな?」
「大丈夫だよ。 あの子は本当に被害者なんだし、事前共謀の証拠なんて無いんだから」
「壱岐教授の事は書いてないね」
「教授自身、孫は無事で帰るだろうって確信してたと思うし、過去の事に触れられたくな
 いって思いもあるから、わざわざ警察に届けたりしないだう」
「でもさ、あの浦賀刑事なら、そのへんのつながりに気が付くんじゃない?」
「何かあるとは思うかもしれないけど、あの子が喋らない限り大丈夫だよ」
「まあ大丈夫やと思うとこ。 証拠も無い事やし」
「私も大丈夫だと思うけどね」
宣子が一番自信ありそうだ。

「しかし、まあ、昨日の壱岐教授の話にはまいったな」
「生体実験か」
「その事自体も凄いけど、あれだけの事しといて、それが今まで史実として公にされてな
 いていうのがすごい」
「よっぽど徹底した管理下にあったんだな。 人間を物資として運んだり」
「当事者の薬研の医師達は全員殺されたし、研究を指示した軍部の人間や政治家は絶対に
 口を割らないだろうし」
「しらっとぼけて後生を過ごしてるのね」
「でもね、ほら、言ってただろ。 南教授ってのが研究書類と一緒に当時の関係者の組織
 図も六道記念館に隠したって。 もしそれが見つかったら、歴史的な大スキャンダルに
 なるな。 マスコミが大喜びする」
「生き残っている関係者は困るだろうね」
「でもまあ、戦後、隠遁生活してて、普通の生活をしている人だったら、いくらマスコミ
 が取り上げても名前が出たりはしないよ。 犯罪としても成立しないし」
「けど、今、すごく高い地位についていて有名な人だったら、名前が大きく出るかもしれ
 ないし、そんな人は困るよ。 もしかしたらさ、保存派の中に軍関係の人がいてさ、記
 念館取り壊されて、その時に見つけ出されるのを恐れて、それで取り壊しに徹底して反
 対しているって事も考えられるじゃない」
宣子は話を飛躍させて言った。
確かにそれも考えられる事だ。
「教授会の誰かとか?」
「今の教授会に軍人あがりはおらんぞ」
「教授会とつながりのある政治家とか」
「その線はあるかもしれないね。 けどそれは、研究を指示した軍人か政治家がまだ生き
 残っていた場合だ。 戦後六十年も経っているんだから、いくら当時の若手将校だって
 生きてても、もう80歳は過ぎているだろうし」
「教授会の後ろ盾を探ってみるのも手やな。 案外そっちの方から越田の消息が判るかも
 しれんし」
「でも、そんな事、どうやって探るのよ。 政治家なんかが絡んでたら、私達じゃ太刀打
 ち出来ないよ。 組織動かせる人間ってのは強いんだから」
「なにも僕ら自身が手を動かさなくったって、動いてくれる人いるじゃない。 それも組
 織で」
「浦賀刑事?」
「そう。 それとなく匂わすだけで大阪まで飛んで行ってくれる人だからね。 しかもご
 ていねいに結果報告までしてくれるし」
「でも、それじゃ私達が壱岐教授から聞いた内容も話さなきゃだめなんじゃない?」
「そこまでは喋らないさ」
「大丈夫か?」
「大丈夫だと思っておこう」
僕達はそれで話しを切り、残りの朝食を平らげた。


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憂想堂
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