現場の井の頭公園に着くのに一時間かかった。
「浦賀さん、どうしてこんなところで発見されたんでしょう? ここで死んだんですか?」
「ところで御堂君、じつに良いタイミングだったけど、電話、何か用だったの?」
臨検の所長だ。
「越田は死んだ。 これは刑事事件だ。 ここから先は僕らの世界だよ」
高校時代からの友人が死んだというのに悲しさが湧いてこない。
もう浦賀刑事達は来ていた。
「よう、来たか」
「越田は?」
「こっちだ。 確認してくれ」
野次馬をかきわけて現場保存の為のテープをくぐり、池端の芝生に入った。
越田はまるで、そこに昼寝でもしているかのような格好で横たわっていた。
顔は土気色をしていて、だらしなく口を半開きにしていたが、確かに越田だった。
「どう? 越田に間違いない?」
「………はい、越田隆、その人です」
「やっぱりね………」
しかし、なんだか昨日見た越田とはずいぶん違った印象だ。
確かに今、目の前の越田は死んでいる訳なのだが、昨日見た方がずっと死人に見えた。
顔色もそうだったし、表情もうつろだった。
まるで墓場から出てきたゾンビのような印象だった。
それに比べればまだ、この倒れている越田の方がなんだか生活感がある。
宣子もじっと越田の顔を見つめている。
普通、女の子ってものは死体なんかを見れば目を背けるものだと思うのだが、宣子はその
普通ではないらしい。
「死因は何です?」
自分が撃ち殺した、と言わせてやろうと思ったのだが、
「………それが、外傷は全く無いんだ。 解剖してみないと判らないんだけど、どうも薬
物によるショック死みたいなんだ」
「え? あの、銃で撃たれたんでしょ?」
「その筈なんだけど、まったくその痕跡が無い。 皮膚にかすり傷すら付いていない」
「…………」
いくらなんでも、そんな筈はない。
弾き返したにしても、いくらかは傷跡や充血痕が残っているだろうに。
中浜は横たわっている越田のシャツの胸元を開いた。
係官が触らせまいとしたが、浦賀刑事はそれを制して中浜の行動を見ている。
中浜は越田の身体に指を這わせ、胸から腕、指などを調べている。
「どうだ? 何かおかしいところ、ある?」
「いや、擦過、挫傷、鬱血、何も無い。 皮膚、筋肉に硬化も軟化も無い。 外科的な手
術痕も無い」
「………という事は?」
「………まったくの常人や」
「超人じゃないって事か」
思わず僕も口を出した。
「今はな。 もっとも、超人性が薬物による一時的なものだと考えたら、その薬性が切れ
た状態であるとも考えられるが………ん?」
「何?」
「静脈注射の跡がある」
中浜は越田の右腕の内側を指さして言った。
「注射痕か」
浦賀刑事も覗き込む。
「これが超人薬を注入した跡か………」
中浜は言ったが、それはどうだろう。
山本えい子の話によれば、越田は超人薬らしいものを飲んでいたという事だった。
とすれば、超人薬は経口薬だという事で注入薬ではない。
「もういいだろう。 救急車も来たし、遺体を動かすぞ」
浦賀刑事は僕達を死体から離した。
越田は救急隊の担架に乗せられて運ばれて行った。
今、時間は午後三時だ。
本人が自分でここに来て倒れたのなら目撃者がいるはずだが。
「それがね、ここで人が死んでいるらしいって通報が入ったのは午後一時三十分なんだが
本人はそれよりずっと前からここに居た」
「え?」
「ここに朝からずっと倒れていたんだ」
「でも、こんな場所なんだから、人がたくさん見ているでしょう」
井の頭公園のど真ん中の芝生なのだから、相当多くの人達が見ている筈だが。
「この芝生の上はよほど寝心地が良いらしくてね、よく昼寝している人がいるんだよ。
この陽気だし。 みんな越田を見て、気持ち良さそうに寝ていると思ったらしい」
確かに横たわっていた越田はリラックスして昼寝をしているように見えた。
「死んでいるんじゃないかと気付かれたのは、近くでキャッチボールしていた子供が取り
損ねたボールを越田に当てて、それでもまったく反応が無かったから、おかしいと思っ
て近づいてみると、息をしていなかったってんだな。 それで通報した」
「それじゃ越田はいつ死んだんですか? 朝からずっと死んでいたんですか? それとも、
寝てから時間が経って死んだ?」
「それも解剖してみないと判らないね。 死亡推定時刻が出れば、そのへんのところも判
るんだろうけど」
「その前の目撃者は?」
「探してみないと判らない。 僕だって今ここに着いたばかりだからね」
もし越田が朝ここに来て死んだのなら、昨日、六道記念館から消えた後、一晩どこかに姿
を隠していて、そして、ここまでやって来た。
どこに隠れていたのか?
「あ、いや、たいした用じゃなかったんですけどね。 ほら、この間言っていたでしょう、
記念館建て替えに絡む政治家レベル暗躍ってやつ。 あれ調べたかなって思って」
「あーー、あれね。 やけにこだわるね」
「記念館が政治家の利権絡みで壊されるのはいただけませんからね」
「なるほどね」
調子よく相づちを打っているけれど信用しているのかどうかは判らない。
「調べました?」
「ああ、一応ね。 やっぱり偉いさんとの絡みはあったよ。 現総理大臣まで出てきた」
「竹之内総理」
「………ああ、 角沢学長と竹之内元総理は同郷の友人だ。 角沢学長が記念館を新築し
たいって事は総理に届いている。 内偵を進めているところだけどね、
学長サイドの建築指定業者が小林組っていう大手のゼネコンで、これが竹之内総理とか
つて癒着がささやかれた会社だ。 毎年、自民党への献金額も相当なものになっている
会社だよ」
「やっぱりね。 そんなところだろうとは思ってましたけど。 でも警察としてはそんな
に突っ込めないんでしょ。 親方日の丸だし」
「はっきり言うね。 我々が出来なくても検察が動くさ」
「期待はしていませんけどね。 それにしても総理大臣まで絡んでいて、それでも保存派
が今だに頑張っているってのはどういう事なんでしょうね。 現職総理大臣がその気に
なったら、いくら保存派が騒ごうが雲の上の根回しや締め付けとかでいくらでも押さえ
込めるでしょうに」
「それがだな、保存派にも付いているんだよ、大物が」
「誰ですか?」
「元総理の中根信宏氏だ」
「中根元総理っていったら、確か竹之内総理の親玉みたいなもんでしたね」
「現職総理にだたひとり盾突ける人なんだよ。 知ってたかい? 中根元総理が広都大卒
だったって事」
「……そういえば聞いた事ありますね」
「中根氏が教授会と組んでいるんだよ。 だから竹之内総理の取り壊し派が意気込んでも
勝手に取り壊しを決定出来ないっていう訳だ」
「でも、中根、竹之内っていったら、いわば同胞でしょう? そんなの話し合いつかない
んですか?」
「少し前まではな、竹之内総理は中根派って言われてたけど、中根氏が総理時代からアメ
リカと結託して進めていた防衛費拡大問題を竹之内氏が総理になってから拡大抑制政策
をとりだしたんで、それ以後、こじれてきたみたいなんだな。 中根氏にしてみれば飼
い犬に手を噛まれたみたいなもんだけど、竹之内総理にすれば、今や中根氏は目の上の
コブなんだ」
「ふーーん、その政治上のいざこざが記念館で代理戦争してるって事ですか」
「それだけじゃないんだろうけどね。 赤絨毯の向こう側は我々には判らない事だらけだ
から」
「元総理が保存派で現総理が取り壊し派か」
竹之内勝政が隠された資料を捜し出そうとして、中根信広がそれを守ろうとしている。
竹之内にとって中根は目の上のコブ………。
「中根氏と教授会のつながり、もっと詳しく調べられませんか?」
「中根氏を? 反対だろ。 企業との癒着を疑われているのは竹之内総理の方だ」
「そうですね。 それじゃもちろん竹之内も調べてもらうとして、中根、竹之内両氏ので
すね、過去、特に戦時中は何をしていたかを調べられますか?」
「……君はいったい何を知っている? もうそろそろ、ちゃんと話してくれてもいい頃だ
と思うんだけどね」
性急に聞きすぎた。
しかし、その前から浦賀刑事は僕達が何かを掴んだ上で行動しているっていう事は判って
いるだろう。
頃合いだと見られたか。
「超人伝説ですよ」
「前に言っていたやつだね」
「越田があんな形で超人化を披露する前から広都大には超人伝説があったって言ってたで
しょ。 戦時中に広都大薬研が軍事目的で兵士の体力を飛躍的に向上させる薬品の研究
をしていて、それが終戦間際で完成して、常識じゃ考えられない力を持った超人が造り
あげられていたっていうやつです。 資料も残っていないし、興味本位の伝説みたいに
思われていますけど、あれから僕達もいろいろと聞き込んで、やっぱり超人伝説はある
部分では本当の事だったらしいんです」
「……ある部分でとは?」
「超人を造り出すために軍部が研究を指示していた事。 その結果、超人が本当に作り出
されたって事。 終戦と同時に、当時の研究者が全員殺されて、研究資料は研究を指示
した軍人によって持ち出された事」
「壱岐教授から聞きだしたのか?」
「僕は壱岐教授とは接触していませんよ。 広都大の医学部、特に臨検にいる者なら誰で
も知っている事です。 伝説って形で伝わっていますけどね。 それが超人伝説なんで
す」
「という事は」
「研究を指示して完成させ、その関係書類を持ち出した軍人が現在、政府の要職にあって
そいつが何かの目的で超人を蘇らせたっていう仮説はどうですか?」
「……恐ろしい仮説を立てるね、君は。 ……つまり、元総理が記念館を守るために伝説
を蘇らせたって訳か?」
「それだけじゃないような気もしますけど、よく判りません。 中根元総理の過去は洗え
ますか?」
「…………」
返事が無い。
木っ端役人では無理って事か。
「中根氏は教授会とつるんでるって言いましたね」
「ああ」
「教授会の誰とです?」
「野上教授と仲が良いらしい」
「医学部の?」
「ああ、野上福正教授だ」
つながった。
「そうですね、しかし………」
その調子でさらに深くさぐってほしいものだ。
「君達はもうあまり手荒なマネはしないでくれよ」
「え?」
お見通しだという事だ。
ま、当然といえば当然か。
「とりあえず目撃者探しと聞き込みがあるから君達は帰っておいてくれ。 もう一度詳し
く聞かせてもらうから」
「僕達でお役に立つ事でしたらいくらでも」
「頼むよ」
「それじゃ。 あ、あの」
「ん?」
「越田の解剖結果、教えてもらえますか?」
「報道に公開出来る範囲なら」
「あとは企業秘密ですか?」
「我々も公僕だからね」
「そうでしたね。 じゃ」
強くなりたい、その願望を持ち続けている僕を置いてけぼりにした嫉妬なのだろうか。
それともすでに人間の枠を越えた実験材料、試作品としての状態が過去の友人としての感
情を無くさせてしまったのだろうか。
今だに超人化の解明は出来ていない。
追えば追うほど手の届かない高みに逃げて行くようだ。
しかし、ここまで来たら、何が何でも超人伝説の謎を解明してやろうと、さらに闘志が湧
いてくるのだった。