翌日、医学部のピロティで待てど暮らせど中浜は来ない。
?……出てきていない?
急用でも出来たか、急病にでもなったか。
胸騒ぎがした。
……本に埋もれた六畳間に中浜は布団を敷いて、その上にだらしなく寝ていた。
一目見て判った。
僕は中浜の枕元に座り、その額に手を当てた。
中浜は殺されたんだ。
時計の音が聞こえていたみたいだが、それが本当の音か意識の中での思いこみの音だっ
どのくらい、そのままでいたんだう?
注射器だ。
はっと思って離したけれど、もう遅い。
こりふたりの警官は本物だ。
浦賀刑事はゆっくりと中浜の様子を見て、注射器を調べた後、
とてつもない力が動いた。
もう何も躊躇する事はない。
手錠に手を出させるために警官の掴んでいる腕が緩んだ。
これで簡単には見つからないだろう。
あいつ、なにやってやがんだ、と業を煮やしているところへ、中浜と同期のやつが来たので尋
ねてみた。
そしたら中浜は今日は朝から大学に出て来ていないという事だった。
連絡もなしに?
なんだか訳の判らない鉛みたいなものが胸の中に芽生えた。
僕はその場から走って中浜のアパートに向かった。
医学部からたっぷり30分。
息せき切りながら、汗まみれになって、アパートの階段を駆け上がり、中浜の部屋のドアを引
っ張った。
鍵はかかっていない。
思い切り開いて中に入った。
寝ていた……それは横になっているという意味でだ。
中浜は死んでいる。
もう冷たくなっている。
剥き出しにされた腕に注射針の跡があった。
中浜の時と同じだ。
超人伝説に近づきすぎたからか。
伝説の裏にいた連中は大きすぎた。
国を動かせる人間が自分の過去にたかる小さなハエを潰す事など簡単な事だったんだ。
越田の死は警告だったんだ。
たか憶えていない。
シーンという被膜のようなものが耳を押し続け、その向こうでそういったものが鳴って
いたような感覚だった。
「……中浜のやつ、ちょっと面白いものを見つけたと言っていたな」
確か、広都大学史。
僕は周りを見回したけれど大学史は見あたらない。
中浜を殺したやつが持って行った?
大学史の中に何か見つけたというのは、昨晩、電話で話しただけだ。
……盗聴されてた?
この部屋が?
あるいは僕の家に?
それくらいの事はやられていたんだろう。
僕は頭を抱えた。
部屋が薄暗くなってきて、はじめて中浜をこのままにはしておけないと思った。
電話機に手を伸ばして110番をまわした。
中浜が死んでいる事と住所を言って、簡単に切った。
ついでに浦賀刑事にも電話をしたけど、出なかった。
その電話を切るか切らないうちにドアが開いて警官がふたり入って来た。
「どうしたっ! どうなってるっ!」
ひとりが高飛車に言って、もうひとりが僕の腕を掴んだ。
「僕の友人ですよ。 さっき尋ねて来たら死んでたんですよ」
「死んでたあ? ちょっと待て」
あいかわらず高飛車に言って中浜の顔を覗き込み
「自然死じゃないだろ、お前が殺したんじゃないのかっ」
と言った。
僕は一瞬、この警官が何を言っているのか判らなかったが、とりあえず第一発見者を詰
問しているのかと思った。
「どうして友達を殺さなきゃいけないんです? 僕が来た時にはもう殺されていたんで
すよ」
「どうして殺されてるなんて判る?」
「今あんたが言ったじゃないですか。 自然死じゃないだろって」
「やかましいっ、お前が殺したんだろがっ」
なんだか、おかしい。
この警官はあらかじめ決まっているセリフを吐いているみたいだ。
「冗談じゃないっ。 僕が来たら死んでたんだよっ」
言い返したけれど、この警官はますます僕の腕を強く掴む。
まるで犯人を捕まえたかのように。
「おいっ、これは何だ?」
もうひとりの警官がもう一方の僕の腕を掴んで何かを握らせた。
え?と思ってそれを見ると、
僕の指紋はその注射器にべったりと付いてしまった。
その時はじめて、やられた、と思った。
警察に通報してから、こいつらの来るのが早すぎた。
その時点で気付くべきだった。
僕の腕はがっちり押さえ込まれて動けない。
「おい、連れて行け」
白手袋をはめて、落とした注射器を拾い上げた男が言った。
僕は部屋から連だされそうになった、その時、新たにふたりの男が入って来た。
「浦賀刑事っ」
助かった。
こいつらが偽警官なら浦賀刑事が助けてくれる。
僕は捕まれた腕をふりほどいて浦賀刑事に駆け寄ろうとしたが、警官はますます強く掴
んで離さない。
浦賀刑事はふたりに、
「ごくろうさん」
と声をかけて部屋の奥に入って行った。
「………え?」
「御堂鉄夫。 殺人容疑で逮捕する」
と言って手錠を取り出した。
その顔は無表情で僕の目を見ようとしていない!
浦賀刑事もグルだったんだ!
このまま闇から闇に葬り去られてたまるか!
その瞬間、僕はその警官に思い切り体当たりをしてはね飛ばし、その反動で反対側にい
た浦賀刑事を突き飛ばした。
ちょうどすぐ後ろにあったキッチンのダストボックスに足を取られて浦賀刑事はひっく
り返り、僕はその一瞬の隙にアパートのドアから外に飛び出し、階段を駆け下りた。
アパート前には二台のパトカーが止まっていて、その中にそれぞれ二人ずつ警官が乗っ
ていたけれど、その連中は走り降りる僕の姿に気付くのが遅れ、慌てて車から降りて来
た時には僕は易々と駆け抜けて田出する事が出来た。
「待てっ」
「待たんかっ」
と怒鳴っているのが聞こえたが、そんな声はいっさい無視。
とにかく走りに走って大通りに出た。
時間的にラッシュ帯なのだろう、走る車の量が多い。
僕はもうやけくそでガードレールを飛び越え、車の走り交う車道に飛び出し、何台もの
車に急ブレーキを踏ませて対面にまで走り抜けた。
そこで後ろを振り向くと、追いかけてきていた四人の警官達は命が惜しいとみえてガー
ドレールの前で立ち止まっている。
僕はそのまま路肩の人達に紛れて裏通りに走り込んだ。
夕刻の人の賑わいが僕を救ってくれた。
行き交う人達をかき分けながら、どこをどう通ったかは判らないけど、僕は走り続けた。
いくつかの角を曲がったところで後ろを振り向き、警官の姿が見えないのを確認したと
ころで、すぐ目に付いたマンションの地下駐車場へのスロープを駆け下りた。
駐車場に誰もいないのを確認し、ボディカバーのかかっている車の窓のあたりを思い切り
跳び蹴りを入れた。
ボンッとにぶい音がしてガラスが割れる。
僕はカバーをまくり上げて割れた窓から手を突っ込み、ロックを外し、ドアを開いた。
もう一度、駐車場に誰もいないのを確認し、車内にもぐり混み、カバーを引き下ろした。
そのままシートを横に倒し、そこへ倒れ込んで、ほっと一息ついた。
けど、どうする?
とんでもない状態になってしまった。
警察が、あの浦賀刑事までが、手前の旧悪を葬ろうとしているやつらの手先になって殺人
犯人をでっち上げようとしている。
国家レベルの力が動いている。
こうなったらもう、どこへ逃げ込んでも無駄だという事だ。
何をどう言い訳しようと間違いなく僕は殺人犯に仕立て上げられてしまう。
殺人容疑で指名手配されるだろうし、マスコミなんかも簡単に操作されてしまうだろう。
僕の名前は今夜中に全国に知れ渡るに違いない。
最悪の事態だ。
ある時点で想像しえた事だったが、敵は大きすぎた。
といって、みすみす捕まる訳にはいかない。
こうなったら逃げて逃げて逃げまくってやる。
そして、いずれは捕まるにしても、それまでに超人伝説にもっと肉薄し、最終的にそれを
手中に出来れば、まだ逆転の目はある。
負けてたまるか。
越田のためにも中浜のためにも、かならず超人伝説を僕の手に。