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〈34〉



「行こ」
そんな僕を見て、えい子は立ち上がり、店を出た。
ロアジールから蟻村工藝社まで歩いて5分くらいだった。
このあたりは夜になると急に人通りが少なくなって寂しい。
僕は飲み過ぎてしまったのか、なんだか平衡感覚がおぼつかない。
ビールばかりだったのに、おかしい?

蟻村工藝社はちょっとした小学校くらいの敷地の中に10階建てのビルと制作工場それと管
理倉庫を持っていて、僕が思っていたよりずっと大きな会社だった。
正門を入り、ロビーに通された。
午後8時過ぎだけど、建物は煌々と灯りがつき、ロビーにも打ち合わせ中の写真が何人か
いた。
「ちょっとここで待ってて」
と言って、えい子はエレベーターで上の階に上がって行った。
僕はソファに腰を下ろす。
なんだか身体がだるくて寝てしまいそうだった。
受付にはもう誰もいなかった。
ロビーの壁に大きな絵がかかっている。
女性がこちらに向かって微笑んでいる絵で。
ルリアールみたいだなと思っていると、それによく似たふっくらとした顔が目の前にぬ
っと出た。
「お待たせ、こちらに来て」
えい子は僕を立たせてロビーを出た。
エレベーターには乗らず、本社屋を出て裏に回る。
噴水のある中庭を通り、巨大な倉庫のような建物の中に入った。
1階は半分オフィスになっていて、パソコンやドラフターが並んでいる。
もう半分は倉庫みたいだ。
倉庫側にある運搬用の巨大なエレベーターに乗って2階に上がった。
2階は電灯が消えていた。
えい子はエレベーターを降りて方翼にある扉を開いた。
扉の中も電灯はついていない。
えい子が操作盤をいじくって照明をつけたけど、何故か全部つかなくって、部分的に
ダウンライトがついただけだった。
部屋というか、これもまた巨大な倉庫の中が薄ぼんやりと浮かんだ。
その中にはなんだか訳の判らない機械類や展示用の什器、マネキンやロフト風の高天井
いっぱいにまで首を伸ばしている恐竜の実物大のレブレカなんかが処狭しと置かれてい
る。
それらがほとんどシルエットで見えているために、ひどく不気味な雰囲気を倉庫全体に
醸し出していた。
「造形課の制作管理室よ。 展示品の出庫管理や制作組立をするところ」
「こ、ここに宣子の兄さんがいるのら?」
なんだかろれつが回っていない。
「うん、誰かに聞かれたらいけないから、ここで待っててって」
「聞かれたらいけないって………やっぱり何か絡んでんだ」
僕の推理はたぶん間違ってなかったんだ。
「待っててね」
えい子は言って、その部屋を出た。
エレベーターの動く音。
僕は薄暗い倉庫にひとり取り残された。
しんとした暗い空間。
なんだか押しつぶされそうなレプリカや人形達の威圧感。
じっと立っていると周りから何か訳の判らない物達に襲いかかってこられそうだ。
「え?」
倉庫の奧の方でコトリと音がした。
耳をすます。
コトリとまた音がした。
今度は判った、足音だ。
誰かがいる。
宣子の兄さんか?
入り口から入ってこないでいきなり部屋の奥から?
僕は音のする方向に目を凝らした。
暗くてシルエットしか美宇無い中、何か人影が動いたように見えた。
さらにその人影を追ってみたけど、なんだか目が霞んでよく見えない。
おかしい、頭の中まで霞みがかかっているみたいだ。
僕は置かれてある什器やレプリカの間を手探りでたどりながら人影の動いた方向に向かっ
て歩いた。
近づいたかなと思ったら、さっと離れていく気配がする。
「山崎さん?」
声を出してみた。
宣子の兄さんであるなら返事をしてくれるはず。
「……………」
気配はあるが……返事はない。
向こうはあきらかに僕に気が付いている。
蟻村工藝社の社員?
社員ではない者がこんな処にいるので不審に思って見ているのか?
それなら、誰だっ、て声をかけてくるはず。
「山崎さん?」
もう一度声をかけてみた。
「ぼ、ほふはみどふでふ………」
ろれつがまわってない。
どうしたというんだ? あんなビールで酔っぱらってしまうなんて。
また人影が動いた。
マネキンの間、今度は間髪を入れずその方向に向かって近づいた。
しかし什器や訳の判らない造形物が雑然と置かれてあるのでまっすぐに近づけない。
おまけに僕の足取りが怪しく、バランスを失っている。
よろけて手に触れた固まりにしがみついた。
発砲スチロールで作られた岩のレプリカみたいだ………それが………え?
宙に浮かんでいる?
スチロールの岩は台の上に置かれている訳でもなく上からロープで吊られている訳でもな
い。
何の支持もなく宙に浮かんでいる?!!
よく見るとそれひとつだけではなく、5〜6個の隕石みたいな岩が群がるように宙に浮い
ている。
目がかすんできた上に幻影か?
いや、あきらかに浮かんでいる。
カタタッ
「は?」
今度は真後ろで音がした。
振り向くとマネキンが数十体並んでいて、その中を人影が通り抜けた。
僕はすぐにそちらに足を向けたけれど、足元にあった建材に足をぶつけてひっくり返った。
両手をついたけれど、すぐによろけて仰向けになった。
その僕の上に今度は恐竜、ステゴザウスルが大きく口を開けて襲いかかってきたっ!
ディスプレイ用に置かれていた動かない筈のただのレブリカの恐竜。
動いているっ!!
生きているっ!!!
咆哮こそ無いが首の長いステゴザウルスがその首を振り、大きく口を開けて牙をにぶく光
らせながら僕に向かってきた。
その攻撃から僕は反射的に身をかわした、つもりだったが、たんにゴロリと反転しただけ
だった。
身体が思うように動かない。
かわしそこねて腕に食いつかれて激しい痛みが襲った。
しかし、かろうじてそれを振り切り、四つん這いのままぶざまに恐竜から離れた。
闇の中を逃げる。
悲鳴を上げようとしても喉が引きつって声が出ない。
目の玉がひっくり返るような感覚を覚えながらもとにかく逃げた。
恐竜は追ってこない。
ディスプレイ用のテーブルがあったのでその下に転がり込み、まわりを見る。
心臓が潰れそうなくらいに高鳴っている。
頭がしびれて目がまわっていた。
次の攻撃は、無い。
僕自身、身体が思うように動かない。
このままでは危ない。
しかし、おかしい。
ビールを飲んだだけなのに、なんだか薬を盛られたみたいだ。
薬?
越田も中浜も薬物によるショック死だった。
もし僕のこれも薬物によるものだったとしたら、どこでその薬を?
………えい子。
えい子しかいない。 ロアジールで飲んだビールだ。
最後の1本はえい子が運んできた。
あの中に盛られていた。
えい子は僕を抹殺しようとする連中とグルだったんだ。
………もしかすると越田もえい子に!
こんなところでやられてたまるか。
僕は痺れる身体の中の力を絞ってテーブルの下から這い出し、全神経を耳にして気配をう
かがった。



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憂想堂
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