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〈35〉



………音楽が流れてきた。
オルゴール?
音のする方向がうっすらと明るくなった。
そちらに向かってみる。
時計塔のシルエット。
その中でこびとの人形がオルゴール箱のハンドルを回している。
その周りを同じようなこびと達が輪になって踊っている。
そこだけ別の次元があるように光に包まれている。
ザザーーッという音。
今度は後ろだ。
振り向いた僕はあまりの衝撃にひっくり返った。
巨大なサメが口を大きく開き牙を剥き出しにして襲いかかってきたのだ。
空気中を、水の中のように泳いで来たっ!
僕は思いきり身をそらし、かわしたけれど、サメはUターンしてまた襲いかかってくる。
僕はまたひっくり返り、積み上げてある建材の影越しに這ったまま逃げた。
サメは通り過ぎ、どこかへ行ってしまった。
どうなっているんだ???
これは幻影か?
薬の効き目??
しかし、すごくリアルだし、痛い。
何がなんだか訳が判らないが、とにかく逃げなければ。
越田や中浜を殺した連中がここにいて、こんな状態で襲われたらひとたまりもない。
とにかく入り口を目指さなければ。
暗いし、雑多に物が置かれているので方向が判らない。
僕は慎重にあたりを窺い、ゆっくりと立ち上がった。
………今度は歌が聞こえてきた。
ローレライ?
ドナウ河を渡る船を迷わせたというローレライ。
魔女の歌。
その声に引き寄せられるように歩いて行く。
………スポットライトに浮かび上がった岩の上に…………人魚が横座りしていた。
人魚が歌っている。
これも人形か?
えいや、口を開き、ゆっくりと首を振りながら歌っている。
肌は人間の肌そのものだが、けど、伏し目が妙に妖しい魔物のものだ。
人魚は片手で長い髪をかき上げた。
そのうなじと、肩から乳房にかけての柔らかな曲線に目を奪われ、僕はよろめくように近
づいた。
人魚はゆっくりとこちらに振り向いた。
青い、見える物は全て吸い込んでしまいそうな瞳で僕を見つめる。
魔物の瞳だ。
その歌う魔物の後ろにもうひとつ人影が現れた。
………越田? 越田!
あの越田がそこに立っている。
幽霊?
いや、実体だ。
しかし僕はあまり驚いていない。
今の自分の状態でであるなら当然このくらいのものは見えてもおかしくないという思いが
あったからだろう。
なつかしい旧友に会ったような気分でもあった。
越田が口を動かして何か言ったがローレライの魔物の歌でよく聞き取れない。
「え?」
僕は聞き直して越田に向かって歩いた。
しかし越田はそれ以上喋らず、スポットライトの光の輪から出ていった。
「越田、越田っ」
僕は追いかけたけれど、薄闇の中でもうその姿は見えなかった。
僕は立ち止まり、また気配を探る。
今度は正面でシルエットが動いた。
そちらに向かう。
また気配が逃げた。
すると周りがほのかに明るくなった。
見ると僕は何枚ものスクリーンに囲まれていた。
いきなり電子音が大音響で響き渡った。
頭の中で反響しまくるような音。
合わせてスクリーンに人影が浮かび上がった。
人……じゃなくて、これは妖精?
緑色の瞳をしていて耳が長くて背中に羽虫の羽根が付いている。
その妖精が何人も何人も現れて僕を囲んだスクリーンの中を飛び回っている。
電子音のメロディに合わせて踊っているかのように。
僕の耳元を何かがかすめた。
僕は慌てて身体をかわして振り向くと、今までスクリーンの中にいた妖精がその中から出
てきて実体となり、僕をめがけて飛んできたのだ。
続けて何人もの妖精が次々と飛びかかって来たっ。
これは映像じゃないっ。
実体の妖精達がにやりと、あるいは口を開けて笑いながら僕のまわりを飛び、舞いだした。
もう何がなんだか判らない。
僕は頭にたかってくる妖精達を手で振り払い、よけながらスクリーンの囲いから逃げ出し
た。
電子音が追いかけてくる。
周囲からスポットライトを浴びせられているようにまぶしい。
僕は目を覆いながら走る。
電子音にまぎれて、またローレライが聞こえてきた。
スポットライトのまぶしい光は消え、さっきのローレライの魔物の座っていた処に戻った。
薄明かりの光の中にまだ魔物は座っていた。
ややうつむき加減のその魔物………さっきと髪の色が違う。
ゆっくりと僕の方に向けたその顔は……宣子?
宣子がローレライの魔物?
魔物の宣子は目を上げ僕を見つめた。
獲物を陥れた魔物の目だ。
僕はひどく冷たい恐怖感に襲われていた。
しかし、逃げる事の出来ない恐怖。
僕はゆっくりと魔物に近づいた。
魔物もゆっくりと立ち上がり、髪をかき上げ僕を見る。
魔物は何も身にまとっていない。
白い裸身が浮かび上がる。
ゆっくりとローレライの歌を口ずさんでいる。
魔物は近づいて来て僕の首に腕をまわす。
僕も自然に魔物を抱きしめる形になった。
柔らかく柔軟な魔物の身体を引き寄せ、口づけた。
懐かしい匂いに包まれた。
天井から線羽根が降ってきた。
僕達の周りを吹雪のように舞っている。
やがてそれは僕達の周りにベッドのように降り積もった。
僕達はその上に倒れ込み、僕も服を脱いで魔物に重なった。
何故この魔物は宣子なのか、何故いきなり抱いているのかなんて一切考えなかった。
もう現世にいるとは思えなかった。
魔物と契り、果てていくのだなとおぼろげに考えるのがやっとだった。
ただ本能で白く柔らかい裸身を求め続けているだけのような気がした。
どのくらいまさぐり合っていたのか判らない。
ローレライの歌に包まれながら、やがて僕は宣子とつながり、果てた。



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憂想堂
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