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〈1〉



<プロローグ>

 薄明かりの中。
 白く波打つ女の上に、男の肌が汗光りし、律動している。
 女の顔は、声を上げまいとしているような悲痛な表情とも見え、また、喜悦をかみ
殺している自責のそれとも見れた。
 指は、時に男の背中に立ち、時には布団のへりの畳に立つ。
 やがて、男の動きが頂点に達し、その精を女の身体の中に放出した。

 男が立ち上がると、それと同時に、襖戸の陰に息をひそめて座っていたもう一人の
男が立ち上がり、女の前に入れ替わる。

 新しい男は、間を置かず、女の上にかぶさり、女の中に己を埋めていった。
 女は受け身でありながらも、能動的に男を迎え入れ、その官能を高めようと努めてい
るようである。
 声を押し殺しながらも男の激情を誘おうとする姿に見える。
 男は女の身体に没頭していき、その動きは激しさを増していった。

 最初の男は襖戸の陰に座り、じっと自分の膝頭を握りしめていた。


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 <1>

 江戸時代、慶安年間。

 彦根城下。 彦根藩家老、新田親兵衛の三女、“こう”は、幼い頃より愛らしく、
やんちゃ盛りにも気品めいたものを兼ね備え、親兵衛自身、目の中に入れても痛くな
いかのごとく可愛がった。 新兵衛は彦根藩主井伊直孝参勤随行の折にも、必ず、こ
うへの土産は欠かさなかったし、常に、こうの気に入ったものを与えてやりたいとい
う気持ちがあった。 綺麗なもの、可愛いもので、包んでいたいという気持ち故、こ
うの身の回りにも気を使っていた。

 こう、は物心ついた頃より、身の回りのものには全て恵まれていた。
 自分の欲しいと思った物で、持てないものはなかった。
 姉達の持っている物でも、欲しい、と思えば、すぐに自分のものにする事が出来た。
 姉達にすればおもしろくない事なのだが、姉妹で物の取り合いになった場合、当主
である父親は盲目的に、こうの味方となり、自分達の物にはならないと知っていたの
であえて、争いもせず、こうのしたいがままにせさておいた。

 城下に出ても、こうは目についたもので気に入ったものがあれば、全て手に入れる
事が出来た。 ひとこと言えば、お付きの者が即座に買い求めたし、他人のものであ
るならば、城代ご家老のお娘御じゃ、と脅しをきかせ、手に入れ、与えた。

 こうにはお気に入りの柿山という乳母がいた。
 その乳母が亡くなった時、こうは親兵衛に、柿山を返してくれ、とせがみ、親兵衛
を困らせた。 そして、柿山の骨壺を自分の部屋にもってこさせ、そのまま遺族に渡
す事はなかった。
  

 こう十六の時。
 井伊家藩士、梅本吉兵衛の嫡男、成益が親兵衛のところに家督相続の挨拶に来た。
 父親の三代目吉兵衛が亡くなったので、自分がこれからは四代目吉兵衛として家督
を継いでいくというものだった。 親兵衛は一藩士の家督相続になど興味はなかった
が、一応、城代家老としての受け答えはしておいた。
 ところが、この成益あらため四代目梅本吉兵衛は皆が驚くほどの美貌の持ち主であ
った。 成益ひとたび城下を歩けば、町娘から武家娘、商家のご新居、果ては尼僧ま
で、振り返り見とれた。 類い希な美藝公であった。
 その成益が相続挨拶の時、こうの目に止まった。
 こうはただちに成益を自分の元に呼び、愛玩物を愛でるように成益を愛でた。
 それからは、常にこうの身辺には成益の姿が見られるようになった。
 こうが屋敷にいる時はお庭番のように、城下を歩く時はお付き役のように。

 成益にしても、こうは美しい女であったし、城代家老の娘という事もあったので、
尽くしておくにこした事はない、という気持ちであった。
 親兵衛にしても、いつものこうの独占欲であろうと見ており、いずれ飽きればそ
れまでの事だろうと、気にかける事もなかった。
 ところが、やがて二人は想いのたけをつのらせ合っていくのであった。
 こうがその気性から成益を手に取っておきたいと思うのは当然の成り行きであっ
たが、成益にしても、次第に想いを深めていったのである。
 そして、ついに二人は深くつながる事になる。

こうなると、さすがの親兵衛も、「これはいかん」と思いだした。
 梅本家は武家とはいえ、所詮足軽あがりの一藩士、いわば下級武士である。
 家老職の新田家とは位が違いすぎる。
 親兵衛は成益に江戸に上がらせ、藩屋敷の警護役を命じた。
 成益にすれば家老からの命令であるので従わざるを得ず、しかたなしにこうへの
想いを裁ち切り、江戸に向かった。

 しかし、収まらないのはこうである。
 父親の親兵衛に哀願し、懇願し、果ては父をののしりさえしたが、さすがの親兵
衛もこればかりはこうの願いを聞き入れる訳にはいかず、弱り果てながらも退け続
けた。
 こうは想い余り、密かに屋敷を抜けだし、江戸に向かおうとしたが、親兵衛の知
れるところとなり、無理矢理連れ戻され、屋敷に幽閉された。
 そうなると益々、想いは深まるばかりで、次第にこうは執念めいた想いに取りつ
かれるようになっていく。 元々、欲しいものを手に出来なかったこうが、初めて
欲するものを手に入れる事が出来なかったのであるから、その気持ちはもはや業火
のごとく憎悪に燃え上がっていったとしても不思議ではない。
 再び屋敷を出ようとしたところを見とがめられ、引き戻そうとした警護の者を懐
刀で刺し、深手を負わせ、駆けつけた腰元にも刃を向け、殺傷してしまった。
 親兵衛はさすがにそれまでのこうへの溺愛を反省したが、こうなってはどうしよ
うもない。 至急にこしらえさせた座敷牢にこうを閉じこめ、江戸表にいる成益に
は、やはり彦根藩士である藤多士右衛門の娘、彩を娶らせ、事を落ち着かせようと
した。

 そして、それは、しばらくは親兵衛の思惑通りに運び、落ち着いたかに見えた。
 それから一年が過ぎ、成益は一子をもうけ、国元に帰って来る。
 もう事は沈静したと見て、親兵衛もそれを許したのであった。

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 噂というのは不思議なものである。
 ひっそりと帰ってきた成益の事が、座敷牢に幽閉されているこうの耳に入ったの
である。 それも、成益が妻を娶り、子までもうけたという事実まで。

 こうは狂乱した。
 欲したものが手に入らなかったばかりか、その手に入らなかったものが他の女の
手に入り、その情愛を受け、子までもうけたのである。 業火の炎が燃え上がり、
その憎悪は親兵衛に、新田家の者達に、成益の妻に子に、そして、成益自身に向か
っていったのである。
 こうは座敷牢でうずくまり、苦痛を訴え、心配して入って来た腰元を殺害し、牢
を抜けだし、成益、いや、四代目梅本吉兵衛の元に向かった。

 吉兵衛は幸せな家庭を築いていた。
 江戸に飛ばされた時、こうへの想いがあり、悲観にくれた日々を送っていたが、
彩を娶り、やがて嫡男忠利が生まれるにいたって、家主としての自覚も出来、それ
なりの家庭に満足するようになって来たのだ。 彩も優しく、よく尽くす妻であっ
た。 吉兵衛は平穏な日々に満足し、次第にこうへの想いは薄らいできていたのだ
った。

 夜、吉兵衛は寝屋の外になにやら物音を聞いた。 何かと思い、外に出てみると、
なんと、そこには、こうが立っていたのである。 どのようにして入ってきたのか、
あるいは、だれが屋敷内に導いたのか、目の前にこうが髪振り乱し立っていたので、
吉兵衛は驚きのあまり、一瞬、凍り付いたように立ちすくんだ。 その一瞬に、こ
うは吉兵衛の腹部を小刀でひと突きし、突っ伏した吉兵衛を乗り越え、寝屋に入り、
就寝していた彩の首を切り裂き、絶命させた。 まだ赤ん坊であった忠利は隣室で
乳母と寝ていたのであるが、寝屋での物音に異常を察した乳母が忠利を抱きかかえ、
逃げ出したため、忠利は難を逃れる事が出来た。

 こうは、忠利を追うのはあきらめ、腹部を刺され、うずくまっている吉兵衛を背
後から再び刺し、とどめを刺した。
 こうの逃走に気がついた新田家では追手を出し、すぐさま梅本家に駆けつけたが
、追手がなだれ込んだ時、こうは、狂人の目をし、すでに死に絶えている吉兵衛の
顔を小刀で切り刻み続けているところであった。


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憂想堂
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