〈2〉



 <2>

 昭和二十四年、春。

 大阪、阿倍野区、市立工芸高校。
 放課後、人気のなくなった教室に土屋恵子とクラスメイトの幸伏由希子、多田良
美の3人が残っていた。 中間試験の前であったので、ノートの写し合いをしてい
たのだ。
 やがて、陽も暮れ、このくらいにしようという事で、3人そろって教室を出た。
 校舎の廊下にはクラブ活動帰りの生徒達がまだ数人たむろしており、3人を見送
った。
  校舎を出ようとした時、土屋恵子が、教室にノートを忘れたと言って、由希子達
2人を残して、階段を駆け上がり、3階の教室に戻った。 2人はしばらく待って
いたのだが、土屋恵子がなかなか戻らないので不審に思い、2人して3階に上がり、
教室を覗いて見た。
 最初、教室の中には誰もいないように見えたので、恵子はもう教室を出て、由希
子達の上がってきたのとは違う方向の階段から降りたのかと思い、教室の外にいた
生徒達に、「恵子はもう出た?」 と訪ねた。
 すると、その者達は、「土屋なら、さっき入ったきり出てきてない」と答えたの
で、由希子達はもう一度、教室に入ってみた。
 しん、と静まった教室内であったが、今度は直感として、何かが起こっている、
という気配を感じた。 そっと教壇に進んでみると、窓際に、白いものが見えた。
近寄って見るまでもなく、それが何であるのかに由希子は気づいた。
 一瞬立ちすくんだが、すぐに声を出して、廊下にいた男子生徒を呼んだ。
 入って来た男子生徒達と、由希子、良美は、ゆっくりと、その白いものに近づく。
 それは由希子の想像通りのものであった。
 土屋恵子は机の間にうつぶせに倒れ、息絶えていた。
 最初に見えた白いものは、制服のスカートから伸びていた土屋恵子の脚だったの
だ。

 すぐに警察がやって来て、現場検証がおこなわれた。
 その時間まで居残っていた教師達や生徒達も集まり、一時は騒然としたが、一人
の教師の機転で、由希子達2人と、教室前の廊下に居残っていた数人の男子生徒達
を残し、他の生徒達を強制的に校外へ閉め出した。 それが結果として、容疑者ま
で帰してしまったのではないかと、刑事からとがめられたが、しかたがなかったと
しか言いようがなかった。
 現場検証にあたった阿倍野署の刑事は首をひねった。
 土屋恵子の死因は絞殺である。
 誰かに後ろからヒモのようなもので首を絞められての窒息死と見られた。
 つまり自殺ではない。
 教室の前には数人の男子生徒達がいた。
 その目の前を通って、土屋恵子は教室の中に入った。
 そのまま土屋恵子は教室から出てきていない。
 約10分後、由希子達が来て、教室に入った。
 そして、土屋恵子の死体を発見した。
 由希子達は廊下にいた男子生徒以外の人間を見ていない。
 もちろん教室の中には誰もいなかった。
 男子生徒達も土屋恵子と幸伏由希子、多田良美の3人だけしか見ていない。
 廊下にいた間中、それ以外の人間が教室に入りも出もしていないのである。
 教室は3階にある。 窓はあり、鍵はかかっていなかった(校舎が古く、鉄製
の窓枠とレバー錠は錆びついていて、鍵をかけれる状態にはなっていない)が、
窓自体は閉まっていた。 仮に開いていたとしても、3階の窓からの出入りは不
可能である。
 という事は、廊下に面した引き戸の入り口しか出入りは出来ない。
 つまり、密室状態であった。

 刑事は即座に廊下にたむろしていた男子生徒達を疑った。
 その生徒達が口裏を合わせていれば、土屋恵子を殺害するのは簡単な事だから
だ。 そして、その生徒達は阿倍野署に連れていかれ、さんざんにしぼられたが、
ついに自供を取る事が出来なかったし、その生徒達が嘘をついているとは刑事達
にも確信が取れなかった。

 その後、あらゆる角度から捜査は進められたが、ついに、犯人はおろか、殺害
方法、殺害動機にいたるまで、何ひとつ解明されないまま、迷宮入りした。




 <3>

 昭和二十四年、秋。

 工芸高校の校舎には時計塔がある。
 塔の表裏両面番面があるので、日々刻まれる時刻は校外からも校内からも見る
ことが出来た。 時計塔内に上がるには、校舎の3階から時計塔下の生徒会室に
入り、その部屋の中にある階段を上って上がらなければならない。
 その日は畑中尚子と黒津智子が時計塔の掃除当番に当たっていた。
 二人は生徒会室で会議中の生徒会役員の前を通り、階段を上がっていき、塔内
の掃除を始めた。 この時計塔には、学校に特有のさまざまな伝説めいたものが
沢山語り継がれている。 戦時中、この時計塔の中でリンチにあって殺された生
徒の血が壁にこびりついて取れない、とか、失恋した女生徒が、ここで首吊り自
殺をし、それ以来、夜中になると時計塔の中から女生徒のすすり泣く声が聞こえ
てくる、とかいったものである。 それゆえ、この時計塔の掃除当番に当たった
生徒達は一様に後込みし、嫌がった。
 畑中尚子にしても黒津智子にしても同様で、いやいやながら当番として上がっ
て来たのである。
 しばらく掃除をしていたのであるが、黒津智子が小用をもよおし、便所に行っ
て来ると言って、下に降りた。 階下の生徒会室に降りたところで、時計塔の中
から「恐いから早く帰ってきてよーー」という声がかかり、黒津智子も「うん、
早く帰るからね」と返し、それを生徒会室にいた生徒達も聞いていた。
 小用を終え、時計塔に戻った黒津智子は、塔の中に横たわっている畑中尚子を
見て驚いた。 怖々近づいて声をかけてみたが返答が無い。 恐くなって、大声
で階下にいた生徒会役員の生徒達を呼んだ。
 黒津智子の声の異常さに、すぐに生徒会の生徒達は塔内に駆け上がり、畑中尚
子を抱え起こしたが、もうすでに畑中尚子は息絶えていた。

 この時もすぐに阿倍野署から刑事達が飛んできた。
 そして、再び首をひねった。
  

 畑中尚子の死因は前回と同じ絞殺である。
 誰かに後ろからヒモのようなもので首を絞められての窒息死であるところも同
じであり、自殺ではない。
 時計塔の下の部屋には数人の生徒達がいた。
 その前を通って、畑中尚子と黒津智子は階段を上がり、時計塔の中に入った。
 その階段以外には塔内への出入り口は無い。
 掃除の途中、黒津智子は下に降りて来たが、その時、塔内から畑中尚子の声が
かかり、それを階下の生徒達も聞いている。 つまり、その時点では畑中尚子は
生きていた。
 数分後、黒津智子が再び時計塔に上がった時には、畑中尚子は倒れていた。
 黒津智子の声を聞いて、すぐに階下の生徒達は駆け上がったが、畑中尚子はす
でに死んでいた。
 もちろん、黒津智子が便所に行っている間、誰も時計塔には上がっていない。
 時計塔にも窓はあるが、5階に相当する高さである。 そこからの出入りは不
可能である。
 これもまた、密室状態であった。

 今回もまた刑事は階下にいた生徒達を疑ったが、捜査の結果、そのもの達に殺
害の動機もなければ、自供も取れず、犯人と特定する事が出来なかった。

 今回は事件内容の類似性から、前回の事件をもう一度捜査のやり直しをし、そ
れと照らし合わせ、さらに、大阪府警からの応援も仰ぎ、大がかりな捜査をおこ
なったが、やはり、何一つ手がかりも得られないまま、迷宮入りしていまった。

そして、それ以後、この時計塔は生徒立ち入り禁止となり、掃除も機械の整備も
おこなわれなくなり、やがて時計の針は止まり、時刻を刻まなくなった。



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憂想堂
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