〈4〉



 2

 「しかしまあ、あんなとこから骸骨が出て来るとはな」
 「ふっ、マリアの降臨とはよう言うたもんや」
 竹内と竜崎は工芸高校の近くにある喫茶ギンで煙草の煙にまかれてへたり込んでい
た。 工芸高校には伝統的に各クラブごとにいきつけの喫茶店があり、代々の部員は
必ずそこにたむろする。 ギンは柔道部の伝統ある溜り場だ。
 もっとも、ここは工芸高校柔道部だけではなく、近くにある辻調理師学校の生徒達
も溜り場にしているため、結構にぎわっている。 竹内達も煙草を吸うし、調理師学
校の連中も吸うものだから、ギンの中はいつも煙草の煙で充満している。 冬に店内
に円形ストーブをいれていた時など、そのストーブの上に天使の輪よろしく煙の輪っ
かが出来た事もあった。 客はその輪を崩さないように避けて通っていた。
工芸高校には制服が無い。 竹内、竜崎ともに武道をたしなんでいる迫力ゆえに到
底高校生に見えない。 補導になどかかった事がない。 工芸高校の教諭達は自由な
校風を旨としている為か自ら補導になど絶対にまわらない。
 ギンは落ち着く場所だった。



 「あの人型がまさかそっくり壁に塗り込められてた人間の染みやったとはなあ、恐
いもんやねえ」
竹内は煙草の煙を手ではらいながら言った。
 「松嶋が血相変えてたからなあ、かわいそうに」
竜崎は哀れなものを想うような顔で言う。
 「自分が教頭してる学校の壁からあんなもん出てきたらやっぱり責任問題になるの
やろか」
 「さあ、どやろ。 あの骸骨の古さから見て、二十年や三十年は経っとるやろ、時
効やないか。 いまさら現職の責任なんかあるかいな。 まあ、それにしても、あの
ものに動じん松嶋のうろたえ方はちょっと意外やったな」
竹内は首を傾げて言う。
 「やっぱり殺人事件やろか」
 竜崎はまるで他人事のような言い方をした。
 「当り前やないか。 どこのどんな事故で死体が壁の中に埋まるんや」
 「いや、しかし、例えばやな。 あの壁造る時に仮枠作った段階でその枠の中に足
滑らして落ちてしもて、あわてもんがそれに気ぃ付かんとそのままモルタル流し込ん
だとも考えられるで」
 「建築現場に女がおったんか」
 「女?」
 竜崎は聞き返した。
 「あの骸骨についてた髪の毛、見たか?」
竹内は身を乗り出すようにして竜崎に言った。 竜崎も結構豪胆なほうで、壁に塗
り込められていた骸骨くらいで動転したりはしない。 その場でもかなり見ていたの
だが、やはり頭蓋骨の面妖さに目がいってしまい、そんな細かいところにまで目が届
いていなかった。
 「…………」
 「かなり長い髪の毛やった。 垂らしたら背中の中くらいまであるのと違うかな。
今の時代やったらともかく、壁の中で白骨化するほどの昔に男があんな長い髪はして
ないからな」
 竹内は自分の短い髪の毛を長く伸ばすような仕草をして言った。
 「……女か、……工事現場に女はおらんわなあ」
 「それと、殺人やと思うもうひとつの理由はやな」
 「服を着てなかった」
 「なんや、それは気が付いてたんか」
 「いや、今、気が付いた。 女やったとするとどんな服着てたかなって思たから。
 そういえば服は着てなかったな」
 竜崎はあらためて壁の中を思い出しているように頬杖をつきながら言った。
 「一昔前の女が裸で事故に遭うとは思われへんからな。 服を着てなかったってい
う事は殺したやつが死人の身元を隠す為にやった事やろ。 おおいに人為的な事やか
ら、殺人に違いない」
 竹内は断定した。 まず間違いのない判断だろうと竜崎も思う。
 「服を脱がす事によって身元が隠せるという事は、反対に服を着てたら身元があっ
さりばれてしまうって事やろ。 という事は、あの骸骨は服で身元を特定できる人物。
 服が特徴的やった人物やな。 ……当時あった工芸高校の制服とか」
 竜崎は竹内の説を補足した。
 「そやな、それやったら身元はあっさりと判るやろ。 一昔前に失踪したままにな
ってる生徒がおったら、その特徴を合わせてみたらええんやから。 そやけど、その
時期が戦争中やったり、戦後のどたばたの時やったりしたら、難しいかもしれんけど
な。 戦時中に行方不明になったままってのは結構あるかもしれんし」
 「竹内よ、それはおかしいで」
 「なに?」
 「戦時中や戦後すぐはないやろ。 その当時はこの学校は男子校やったから。 こ
の日本で高校が男女共学になったのは戦後十年以上くらいからの事やろ。 そやから、
もし、あれがこの高校の生徒やったとしたら、殺されたのは少なくとも、戦後十年以
上は経ってからの事やで」
 竜崎はそんな事も忘れてるのかと鼻で笑って言う。
 「生徒やったらな。 部外者で、外で殺されて、死体の捨て場所に困って学校の中
に捨てたんやったら、それは判らんやないか」
 竹内も負けずにやり返す。
 「外で殺してわざわざ中に運び込むていうのも無理があるような気がするなあ。
  やっぱり工芸の生徒やと考えた方が自然やで」
 「そんなもん、判らんわい。 可能性はあるけど」
 「そのへんは警察が調べよるやろ。 こんなとこで言い合いしとっても判らんわな」
 「しかし、生徒やったとしたら、確かにそうやな。 まあ、竜崎にしては鋭いやな
いの。 びびってしもて骸骨の髪の毛も見れんかった男が」
 「誰がびびってたやて。 あれは見落とし、単なる見落としや」
 「そやろか、警察が来てからは壁の方を見もせんかったやないか」
 「ふん、骸骨みたいなもんをしげしげと見つめる物好きはおまえと警察くらいのも
んや」
 竜崎はそっくり返って煙草をくわえて言った。 竜崎は性格的に豪胆ではあるが、
気持ちの悪いものを必要以上に見たいと思う気持ちは無い。 だが、竹内は恐いもの
知らずの上に好奇心の強さも合わせ持っているので、奇怪なものに対する興味はこと
さら強い。 警察が来てからも竹内は現場を離れずに、壁から骸骨の全身を掘り出す
様子をしつこく見ていた。 本来なら警察と鑑識以外の人間は現場には立ち入らせて
もらえないものだが、一応、竹内、竜崎、松嶋は第一発見者という事で、その場で事
情聴取を受けていたのだった。 その上、駆けつけた阿倍野警察の刑事、大門忠輝警
部補というのが、学生時代柔道をやっていたとか言って、柔道着姿の竹内と妙に気が
合って、白骨発見現場を竹内に平気で見せていたのだ。 白骨死体が出たといっても
一目見て死後何十年も経っているのが判るものだから、事件としては成立しない。
  だから、警察としても気が緩んでしまっていたのだろう。
 「お前にはロマンが無いんや、ロマンが」
 「ロマン? 骸骨がロマンか? そら何十年か前はあの骸骨もべっぴんやったかも
知れんけどな」
 「阿呆、ロマンスやのうて、ロマン。 ミステリーやないか。 おまえ、あの骸骨
見て何とも思わんか? じつに奇怪な事やぞ、女が裸で壁に埋められてるなんて事は。
単なる殺人事件やったら殺してそのままどこかへ捨てといたらええのに、わざわざ壁
に塗り込めるやなんてよっぽど何かの訳がある筈や。 世にも恐ろしい怨恨があった
とか、先祖代々の怨み事があったとかやな。 仮にも学校ていう人の出入りの多い場
所でや、目撃される恐れも充分にあったと思うし、壁を壊してまた埋めるなんて、道
具なんかもいる事やろ。 それをあえてやってるていう事はそうせなあかんていうよ
っぽどの理由か深い恨みがあったからやないか。 そしたらその恨み事ていうのは何
や? 動機は? 手口は? 壁に埋めた方法は? それから犯人は? 推理の宝庫や
ないか。 まさにミステリーロマンやで」
 「現実の警察の捜査にロマンみたいなもんがあるか。 動機や手口なんてもんは現
実的に科学的に実証されていくもんや。 名探偵の時代は終わったんやで」
 「名探偵。 ロマンのある響きやないの。 それや、それが欲しいんや。 この奇
怪な事件は名探偵登場の場面やで。 目を覆うような惨劇を名推理で暴いていくてい
うあれやな。 そういうロマンが欲しい場面やのに、あの大門とかいう刑事はなんや、
まるで緊張感のない、から威張りだけの阿呆やないの。 あれにこの事件は解けんわ
な」
 「その阿呆刑事と仲良う喋っとったんは誰やねん」
 「あれは捜査の状況を聞き出す為やないか、判らんやつやな」
 「状況なんか聞き出してどないするねん。 おまえが名探偵にでもなる気かいな」
 「それもええな」
 「やめとけ、似合わん。 それより、なんや、警察なんぞにへらへら愛想笑いしや
がって」
 「竜崎の警察嫌いは判るけどな。 けど、それはバイクでスピード違反するやつが
悪いんや」
 「ネズミ取りなんていう姑息な真似をした上、人を人非人の極悪人みたいに言いや
がったやつらにどないしたらええ顔出来るんや」
 「あれもお仕事。 お上に逆らったらあかんよ」
 「ふん」
 竜崎はもうこの話はしたくもないという顔でそっぽを向いてしまった。 竹内は腕
を組んでやや背中を丸めながら考えるポーズをとった。 まるで獲物を逃がしてしま
って腹ぺこになり、不機嫌に寝そべっているの豹と、冬眠前に満腹になるまで食って
満足そうに寝る準備をしている熊の取り合わせのようだった。

ギンの扉が開いて、女生徒が入って来た。
 工芸高校の生徒だ。
  少しおとなしそうな感じはするが、整った顔立ちをした女生徒、国領香代子。
 竹内、竜崎とはクラスが違うが、なぜか気が合って、よく一緒に遊んでいる女生徒
 だ。
 「いたいた」
 国領香代子は、探し当てたぞ、とばかりに竹内と竜崎のテーブルにやって来た。
   なにを探しとったんや、と竜崎がぽかんと国領香代子の顔を見ていると、国領香代
子はまだ彼女の存在に気づいていない竹内に向かって声を掛けた。
 「竹内君」
 「は?」
 竹内はこんな所で掛けられる筈のない女性の声で名前を呼ばれたので驚いて顔を上
げた。
 「探したのよっと」
 「え? あ、はいはい」
 竹内は竜崎に向かって手を払い、席を譲れとジェスチャーをした。 竜崎なんやね
ん、という顔をして、隣の席に移り、あらためて国領香代子の顔を見た。
 国領香代子は今まで竜崎が座っていた席に腰を降ろして、竹内と向かい合う。
 「で?」
 「あの、竹内君にお願いがあるの」
 「?」
 竹内は人差指をで自分の鼻を指して、あらためて国領香代子の顔を見た。
 「うん、竹内君に」
 「僕はあんたに何かお願いされるような事あったかな?」
 「それがね、あるの。 竹内君にしかお願い出来ない事」
 「ほお、俺にしかお願い出来ない事。 おい、竜崎、聞いたか。 おまえにはお願
出来ん事やそうや」
 竹内は竜崎を横目で見てにやりと笑った。
 「あん、あの、そんな事……」
 国領香代子は竜崎に向かって首を二、三回横に振る。
 「お願いされましょう、なんでも。 なんなりと言うてちょうだい。 強盗でも人
殺しでも何でもさせてもらいまっせ」
 竹内は今度はふんぞり返って言った。
 「え? いえ、そんなんじゃなくて。 あの、私、映研部に入に入ってるでしょ。
それで、今度の映コン、高校映画制作コンクールって言うのがあって、それに出展す
る作品を作るんだけど、その中に出てくるちょっと大きくて強い男の人の役を、あの、
竹内君にやってもらえないかなって思って。 それで」
 「映コンって言うたらあれ? 毎年どこかの出版社が主催してて、全国規模でやっ
てるやつ?」
 「そう、うちの高校毎年結構いいところまでいってるんですよ。 去年は準グラン
プリだったし」
 「竜崎よ、聞いたか。 映画出演の話や。 あたしも芸能界入りやねえ」
 「化物の役か?」
 竜崎は頬杖をついたまま国領香代子に向かって聞いた。
 「え、ううん、そんなんじゃなくて」
 「阿呆っ、向こう向いとけ」
 竹内が怒鳴り、竜崎はそっぽ向く。
 「絵描きとグラフィックデザイナーの恋とミステリーの絡んだ脚本なんです」
 国領香代子は恥ずかしげもなくあっさりと言った。
 「恋愛もの? ほー、ええやないの。 僕むきやねえ」
 「おおかた、惚れた女を他の色男に寝取られるまぬけな三枚目の役やろ」
 竜崎は二人に背を向けたまま言った。 竹内はその後ろ頭に使いさしのおしぼりを
投げつける。
 「あの、じつは、そうなの」
 「へ?」
 「はあっはっはっはっ。 へっへっへっー」
 竜崎はテーブルにつっぷして笑いだした。
 今度は竹内もさすがに竜崎を罵倒もせずに口を半開きにしたままでいる。
 国領香代子は少し申し訳なさそうにしたが、そのまま続けた。
 「工芸高校を舞台とした美術科の男子と図案科の女の子の恋愛話なんだけどね。
どういう訳か、美術科と図案科にはそれぞれ派閥があって、いつももめ事を起こして
いる訳。 そんな中で二人は表だって会う事も出来ないでいるんだけど、ある時、図
案科の生徒が校内で事故死するの。 図案科派の人達はその事故の原因は交際してい
る二人の美術科の男だって言って大騒動になるのよ。 そんな中でも二人の関係はま
すます深まっていくんだけど、あるきっかけで、図案科の人の死は事故じゃなくて、
実は殺人だったって二人は気づくの。 そして、ミステリー仕立てで推理ゲームに入
っていくんだけど、でも、そのおかげで二人は犯人に追われるようになって、ついに
は男の方が殺されてしまうのよ。 結局はそれがきっかけになって真犯人が判るんだ
けど、女の子は悲しみのあまりに男の人の後を追って自殺してしまうの。 その事件
が元で美術科と図案科は仲良くなって新しい工芸高校が出来るっていうお話。 恋愛
悲劇ね」
 「なんか、聞いた事あるような話やな」
 竹内は顎を撫でさすりながら、思い起こすように言った。
 「ロミオとジュリエットやないか。 シェイクスピアて言うてな、おまえとは一番
縁遠い文学や」
 竜崎が横から口を出す。
 「そう、そうなんよ。 ロミオとジュリエット、ウエストサイドストーリーのミス
テリー版。 よくある話だけど、ミステリーに絡めているところが新しいと思らない
?」
 「そんなもんかね。 で、俺の役は?」
 もう判ってるけどなという顔で竹内は聞いた。
 「殺人犯の役」
 「やめさせてもらうわ」
 竹内は国領香代子が最後まで言わないうちから言葉をかぶせて言った。
 「でも、この役は竹内君しか適役思い浮かばなくて」
 「あんたの思い浮かぶ範囲に人殺しの顔は俺しかおらんかったって訳か」
 「ごめんなさい。 そういう訳じゃなくて、やっぱり迫力って欲しいでしょ、そう
いう役には」
 「しらん」
 「でも、さっき、強盗でも人殺しでもするって言ったじゃない。 強盗の方はいい
から、人殺しの方だけやってよ」
 「あのなあ」
 竹内は呆れ果てたって顔でしげしげと国領香代子の顔を見た。
 以前から顔は知っていたとはいうものの、頼み事をする相手の揚げ足を取り、人殺
しの役まで押し付けようとするこの女はなんという性悪な女かと思った。
 この女はきっと理由さえあれば本物の人殺しさえも初対面の男にあっさりと依頼し
かねない。
 「すごく重要でいい役なのよ。 派閥のリーダー格で信頼感があって武術にたけて
いて、かっこよくて。 だから竹内君みたいに貫禄があって本当に武術に長けている
人じゃないと決まらないって役なのよ。 だから、そんな変な役じゃないんだから」
 国領香代子は食い下がった。 なんとしても竹内を落とす気でいる。
 「うん、まあ、貫禄っていうのはねえ……竜崎なんかよりは僕の方がねえ」
 竹内の機嫌はまた戻った。
 「お願い。 あと役が決まらないのはこの役だけなんです」
 「ほかの役は全部決まってるのか?」
 「ええ」
 「ジュリエット役は誰やねん」
 「ジュリエットって名前じゃないんですけど、絵里衣って役名で、小沢真智子さん」
 「小沢真智子。 よろしいなあ。 彼女はなかなか可愛いやないの。 なんか、こ
う、元気のかたまりみたいで」
 竹内は顎に手をあててにやりと笑った。
   小沢真智子といえば、演劇部員で、毎年開かれる工芸高校学園祭でのミス工芸コン
テストで二年連続三分割ミスの座を獲得している美貌の生徒だ。
 三分割ミスというのは何かというと、小沢真智子がノミネートされたミスコンで二
年連続小沢真智子と同点首位になった者があと二人も出て、決戦投票でも差が付かず、
とうとう準ミスなしの三人同時グランプリという珍事が起こってしまった事を言う。
 「彼女と最初の頃、ラブシーンがあるよ」
 「なに」
 竹内の顔が引き締まった。
 「キスシーンは?」
 「え? えーと、そこまでは……」
 「そやろそやろ、まあ、ええわ。 で、俺が殺す奴は誰やねん」
 「わっ、やってくるの!? あの、梅本君。 テニス部の梅本吉成君」
 「梅本か」
 「そう、もう、あの人しかいなくて」
 「外様ばっかりやな」
 「しかたないでしょ。 映研部員はやっぱり映画制作をやりたくて部活動をしてる
って人ばかりだから。 出演の方はいつも演劇部の人達や竹内さんみたいにイメージ
に合った人に頼んでやってもらってるんだから。 去年の映コンも映研部と演劇部の
共同制作って形だったし」
 「ふーん、お家の事情ていうやつね。 しかし梅本とはなあ」
 竹内はちょっと眉をしかめた。
 梅本吉成といえば、工芸高校中でその存在を知らない者はいないという、まさに超
の付く美貌の男だ。 なにしろ、新入生の女生徒達は自分達の教室を覚えるより先に
梅本の存在を意識しだすし、廊下ですれ違おうものなら、呆然自失、卒倒、歓声の渦
になる。 そばで歓声を上げていられるだけならまだいいが、血迷った女生徒になる
と、全力疾走してきて、ぶつかりぎみに抱きついてくる。 危なくておちおち廊下も
歩いていられないという、ある意味ではかわいそうな男でもある。 そんなやつと競
演するという事はどんな役でも梅本の引立て役以外のなにものでもない。 眉もしか
めようというものだ。
 「竹内よ、いくら演技でも梅本を殺したら、おまえ、不特定多数の女に仇討ちされ
て死ぬぞ」
 竜崎は横から真顔で口を出した。
 「そやな、そら、やっぱり、辞めといた方がええかな」
 「そんな、大丈夫よ」
 「いや、やっぱり俺は命が惜しい」
 「大丈夫っ。 もし、そんな事があっても私が守ってあげるから」
 「へ?」
 竹内はまたぽかんと口を開けた。 竜崎も横で同じ顔をしている。
 「いいでしょう?」
 国領香代子はその隙に乗じて念を押した。
 「はあ」
 「よかった。 よし、これで配役はすべて決まったと」
 国領香代子はひとり納得したようにうなずいた。



 「あの、ちょっと、国領よ」
 竜崎が国領香代子に向かって言った。
 「はい?」
 「ロミオ役が梅本やったとしたら、相手役は小沢真智子であっさり決まったんか?」
 「ああ、それは……。 いろいろあったんだけどね……」
 「本谷真知子と森真智子はどうした?」
 小沢真智子、本谷真知子、森真智子。
 この三人が工芸高校学園祭で三分割ミスを分けあった三人だ。
 三人が三人とも一般の生徒達からは飛び抜けた美しさ、愛らしさを持っており、三
人三様ながら甲乙つけがたいレベルにあった。
 奇しくも名前まで同じ“マチコ”であり、工芸高校の“三人マチコ”といえば学校
内外にまで広く聞こえた存在だ。 昨年度の映コンで工芸高校映研部が準グランプリ
を獲ったのも、この三人が三姉妹役をやったからだというのも、もっともな評判だっ
た。
 「演劇部の中では決めきれなくて、結局、演劇部の顧問の竹田和子先生と映研部の
顧問の竹田悦郎先生に決めてもらったんだけどね」
 「あの夫婦が決めよったんか。 そら、一番清純そうに見える小沢真智子に決めよ
るわな。 そやけど、三人マチコに梅本が絡んでるんやったら、これは竹内が刺され
るより先にその三人で一悶着ありそうやな」
 竜崎は片頬だけでにやりと笑って言った。

 三人マチコと梅本。
 四人とも人並外れた美貌の持ち主であり、ひとつの高校の同学年でこれだけの美形
が揃うなんて事は、日本国中捜しても芸能人ばかりを収容している私立の高校以外で
はまず無いだろう。
 事実、芸能関係、モデルクラブ関係からのスカウトも多い。
 そんな環境の中で三人マチコは表面上は同族意識みたいな感じで仲良く振舞ってい
 るが、内面におけるライバル心では相当に過激なものを持っていると言われている。
 特に、梅本に関してはだ。
 三人とも、自分達と同種族の男は梅本しかいないと思っていた。 だから、この三
人はあらゆる場面で梅本を独占しようとしのぎを削っていたのだった。
 「でも、もう決まった事だし、三人とも納得してるし、そんな事ないですよ」
 「おもしろないな」
 「え?」
 「いや、なんでもない。 とにかく、竹内、あの男前くびり殺してこい」
 「ああ、しゃあないな」
 「あの、それじゃ、とにかく、お願いね。 月曜日、放課後、映研部の部室に来て」
 「ああ、しゃあないな」
 「じゃ」
 国領香代子は竹内の気が変わらないうちにとばかりにそそくさと出て行った。
 「明日の映画スターさんよ」
 「ああ?」
 「サインしといてくれ」
 「おお、色紙でもいろ紙でも持ってこい」
 「これに」
 竜崎はそっと伝票を差しだした。



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憂想堂
E-mail: yousoudo@fspg.jp