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翌日、やはり放課後に旧講堂の二階、美術部に美術部員島崎晶子が一人帰り支度を
用務員は旧講堂出入口の扉を閉め、島崎晶子と一緒に階段を降りようとした時、二
それも、『マリアの降臨』の前あたりに。
ち、やっぱりまだ残ってたかと用務員は呪いの言葉を吐きながら扉の鍵を開けたが、
誰かがシートを剥したのだ。
用務員と島崎晶子が旧講堂から出て、また戻って来るまでのほんの数分の間に、シ
用務員はずかずかと部屋の中を歩きまわり、石膏像の陰なども見て回ったが、やは
この旧講堂、旧校舎は古い。 古い歴史ある校舎にはとかく伝説がつきもので、や
していた。
この日、島崎晶子は図案科の授業で出たデッサンの課題を授業中さぼっていて出来
なかったので、放課後、美術部の部室でやっていたのだった。
なんとしても今日中に仕上げて、明日の朝の提出に間に合わせなければならなかっ
たから、部活の終了時間を大きくオーバーして、一人残るはめになっていたのだ。
もちろん、隣の野蛮な柔道部の部員達ももう帰っていない。
壁から白骨死体が出て、気持ちの悪いデッサン室ではあったが、単位を落とす訳に
はいかない。
『マリアの降臨』の跡には防水シートがかぶせてあったし、気にしなければどうっ
て事はない。
もう陽が落ちて窓の外は暗くなっていて、一人残りでさすがに心細くなってきたの
で、このへんで引き上げようとしていたところだった。
もうシャッターを下ろすから早く出なさい、と用務員が見回りに来た。 言われな
くても今から出るところだわよと島崎晶子はそそくさとイーゼルをかたずけ、旧講堂
を出た。
人の後ろ、今閉めたばかりの旧講堂の中からしくしくと女の泣き声が聞こえてきた。
島崎晶子は背筋が縮みあがり、硬直したが、用務員はまだ中に誰かいたのかと舌う
ちして、扉のところに戻った。
扉にはガラス窓がついている。 用務員と、その後をおそるおそるついてきた島崎
晶子がガラス越しに旧講堂の中を覗くと、柔道部の道場の向こう、壊れたままになっ
ている美術部との境界の壁の隙間に女生徒が手で顔を覆って泣いている姿が見えた。
もう中には誰もいなかったと判っている島崎晶子は腰が抜けそうになっていた。
用務員が開けた扉の所から中に向かって、もう閉めるから早く出なさい、と声を掛
けたが返事がない。 美術部側の方にいつのまにか女生徒の姿が見えなくなっている。
用務員はぶつぶつ文句を言いながら中に入って行き、島崎晶子も置いていかれては
大変と、へっぴり腰でついて行った。
道場を通り、美術部側の壁の所まで来て、中を覗き込む。 つい今まで女生徒が立
っていた筈の所には誰もいない。 美術部室を見回したが、やはり、誰もいない……
と、見ると、それまで防水シートを掛けてあった『マリアの降臨』の跡がむき出して
見えている。
ートが剥された。
いるはずのない女生徒がいて、しかも、それが白骨死体発見の現場だった。
まるで埋められていた死体の怨念が幽霊になって出てきたかのように、と思うと、
島崎晶子は恐怖で顔がひきつり、腰砕けにその場にへたり込んでしまった。
用務員はまだこの美術部の部屋に誰かが隠れていて、いたずらをしているのだと思
い、誰だ、出て来い、鍵かけて閉めこんでしまうぞ、と怒鳴った。 しかし、美術部
のこの部屋にはイーゼルや石膏像が並んでいるばかりで、人間の隠れる場所はない。
絵具やパレットなどを入れるロッカーはあるが、せいぜい駅にあるコインロッカー
程度の大きさで、人間は入れない。
り誰もいない。 用務員は首をひねり、腰を抜かしている島崎晶子を見た途端に、こ
のあいだのバレーボール部の部員の言っていた消えた女生徒の事を思い出した。
あのバレーボール部員の言っていた事は本当だった。 本当に女生徒はいて、そし
て消えた。
はり、この旧講堂校舎にもそういった類のものは昔からある。
夜、誰もいない筈の教室に女の幽霊が出たり、旧校舎中央の時計塔からは、その昔、
そこで首を吊って自殺した女生徒の泣き声が夜な夜な聞こえてくる、といった噂はず
っと昔から語り継がれている。 そんな噂話の幾つかが用務員の頭の中を駆け回った。
さらに、『マリアの降臨』の白骨死体の事も重なりあい、用務員は後ろから襲いか
かられるような恐怖感に取り付かれた。
膝が震えだし、それでも、必死になって旧講堂の出口に向かって走った。
取り残されそうになった島崎晶子はさらに絶望的な恐怖に襲われ、口から泡を吹き
ながら、抜けた腰のまま、這つくばるようにして用務員の後を追った。
用務員は用務員で、肩越し後ろに見る島崎晶子の異様な姿にさらに恐怖し、ついに
は絶叫の悲鳴を上げて階段を転がり降りた。