〈8〉



 2

 映研部部室の前にロープが張りめぐらされ、制服警官数人が無表情に立っている。
 ロープの間を白衣を着た男達と私服警官が忙しそうに出たり入ったりしており、部
室の中ではさかんにカメラのストロボが焚かれていた。 ロープの外では生徒達や教
師達が物珍しそうな顔をして遠巻きに見ている。
 小沢真智子が倒れた直後、一一九番に電話をして救急車を呼んだのだが、やって来
た救急隊員は現場を一目見て、そのまま手を付けず、警察に通報した。
 ほぼ即死に近い状態だった。

 警察が駆けつけ、現場検証を始めた頃にはもう陽が落ち、今はもうすっかり夜にな
っていた。 普段ならとっくに生徒達は下校していて、静まりかえる校内だが、映研
部で変死があり、警察が乗り込んで来た、というニュースを聞きつけた生徒達が野次
馬的に集まりだしたのだ。 そのうえ、変死したのが工芸高校のアイドル、三人マチ
コの一人だという事が広まるにつれ、校内は騒然としだした。 そこここで生徒達を
早く帰らせようとする教師達と、そうはいくかともみ合う生徒達のこぜりあいが起こ
っている。

 旧校舎の一室に映研部、演劇部の部員達と内田女史、それに校長と教頭が集められ、
所轄の阿倍野警察署からやって来た大門忠輝警部補と得居義昭刑事から事情聴取を受
けていた。

 ふんぞり返って駆けつけて来た大門警部補は竜崎、竹内の顔を見て、また君らか、
とけげんそうな顔をしたが、竹内がへこへこ頭を下げて持ち上げたので、機嫌良さそ
うにふんぞり返りなおし、さあ、と腕まくりをして皆に向かったのだった。


 「では、もう一度確認するけど、旧講堂から戻ってきた時、鍵はちゃんと掛かった
まんまになっとったんやな。 掛け忘れてたいう事はないんやな」
 「え、は、はい。 確かに、か、か、掛かってました」
 川勝が緊張感のあまり、どもりながら答えた。
 「それじゃ一種の密室殺人じゃないですか」
 横から得居刑事が口を挟んだ。 まだ若いがすでに公僕としての傲慢さを身に付け
てしまった顔と態度をした刑事だ。 竜崎なんかにしてみれば、折りあらば後ろから
飛び蹴りでもしてやろうかいなと思うタイプである。
 「そんな阿呆な事あるか。 何かの錯覚でそう見えるだけや」
 丸まると太り、油顔で、得居刑事以上に傲慢そうな大門警部補が答えた。 この大
門警部補こそ、後ろからバットで殴ってやりたいタイプだとさらに竜崎は思う。
 「例えばやな、部屋を出て行きしなに、皆の目を盗んでコーヒーカップに毒を放り
込んで行く事も出来る訳や。 えー、部屋を一番最後に出て行ったのは誰や?」
 皆、はっとして顔を見合わせる。
 「え、あ、あ、ぼ、僕で、です」
 川勝がますますどもりながら答えた。
 「君か、君が何か放り込んで行ったのと違うんか?」
 得居刑事が居丈高に言った。 したでに出る者には高飛車にふっかける。
 「い、い、いえ、し、し、して、ませ、んん」
 哀れ川勝は卒倒しそうになりながら答えている。
 「ま、ええやろ、そない考えたら、君、川勝君か。 君だけやなしに、ここにいる
全員にそれをする可能性がある訳やから。 ま、調べたら判るこっちゃ」
 大門警部補は全員の顔を見渡し、薄笑みを浮かべて言った。
 「警部、カップに最初から毒が入っていたとは考えられませんか?」
 「うーん、それはないやろ。 部室から出て行く前に被害者は一口コーヒーを飲ん
どるさかいな。 最初から入っとったらんなら、その時に死んどる」
 「その時は効かずに、後から効果の出る薬品であるとか、熱いうちは効かずに、冷
めてきたら効きだすとか」
 「まあ、考えられん事はないけど、それは鑑識がカップに残っとったコーヒーを分
析したら判る事や」
 「そうですね、うん」
 得居刑事は小沢真智子の前にコーヒーカップを置いた本谷真知子の顔をちらりと見
た。
 「それと、もうひとつ考えられるのは奥の窓や。 窓は開いとったんやろ?」
 「三階ですよ」
 「屋上からロープ伝うて降りてきたとも考えられるやろ」
 「あの、この旧校舎には屋上がございません。 この上はすぐ胴板葺の屋根になっ
ておりまして」
 山之内校長がおそるおそるという感じで進言した。
 「ふん、そしたら樋か何かをよじ登るという手もあるやろ」
大門警部補鼻白らんだが、すぐにやり返す。
 得居刑事はすぐに窓際に行き、外を見た。
 「樋はありませんけど、壁にこれだけびっしりくっついてる蔦をよじ登るという手
も考えられますよ」
 「ほら、見てみい。 それやな」
 大門警部補は満足げにうなずいたが、また横から山之内校長が言った。
 「いや、あの、うちの旧校舎にはごらんの通り、外壁一面に蔦が絡みついておりま
して、それゆえに周辺の人達から蔦館などと呼ばれているんですが。 この蔦という
のが、その、見てくれほどにはしっかりと壁にくっついていないんです。 いや、こ
れはまあ、お恥ずかしい話なんですが、よく二階あたりの教室から授業をエスケープ
する生徒が、この蔦を伝って下に降りようとするのですが、それが大抵切れてしまう
訳です。 蔦を握りしめたまま落ちて、校舎の下でうずくまっとる者が結構おりまし
て……」
 「ほーお、なかなかたいした生徒達ですな。 しかし、そんな所から落ちて大丈夫
なんですかな?」
 「すぐ下が植え込みになっておるんで、そんなにたいした事にはならんようです」
 実直そうな山之内校長は額の汗を拭きながら言った。 松嶋教頭は横で腕組して聞
いている。
 「ふん、しかし、まあ、可能性としてはこの窓ていうのはまだ一番高い訳や。何か
方法がある筈や」
 大門警部補はだめと言われれば余計にふるい立つタイプらしく、さらに突っ込んで
やろうと、思案し始めた。
 「あの、ちょっと、警部、話がまた元に戻るんですが」
 得居が口を挟む。
 「何や?」
 思案中を邪魔されて不機嫌そうに答えた。
 「鍵の事ですけど、部長の川勝の持っていた鍵以外にスペアキーがあってですね、
部員が全員旧講堂に行ってる間にスペアキーを持っている誰かが鍵を開けて侵入した、
という事も考えられると思いますが」
 「なるほど、しごく簡単な事やな。 えてして密室のトリックなんてそんなもんや」
 「竹田先生。 スペアキーは誰が持っているんです?」
 急に得居刑事から声を掛けられた竹田女史は、はっと背筋を伸ばしたが、間を入れ
ず、はっきりと答えた。
 「誰も持っておりません。 部室の鍵は用務員室にいつも置いてありまして、部員
は毎日、そこへ鍵をもらいに行って部室を開け、帰る時は施錠をして、その鍵を用務
員室まで返しに行くというシステムになっています。 だからスペアキーはいつも用
務員室の鍵庫の中に入っている筈です」
 「ほーお、得居、用務員室まで行ってスペアキーが有るか無いか、ちょっと見てき
てくれ。 それと、今日、誰かが持って出んかったかもな」
 「判りました」
 得居は小走りに出て行った。
 「先生、部員はここにいるので全員ですかな?」
 「いえ、何人かは欠席していますね。 えーと、誰がいないんですか?」
 「え、は、はい、えーと、森さんと小野さん梶井君に井上君です」
 川勝が部員達の顔を見渡しながら答えた。
 「四人やな、その連中はどこにおる?」
 「え、さあ、判りません」
 「判らんて、練習をさぼっとんのか?」
 「え、ええ、た、たぶん」
 「ほんまに、ここの生徒らは授業さぼったり部活さぼったり、どういう教育指導し
たはるんですかな、校長先生」
 「いや、お恥ずかしいしだいでして」
 「あの子達はかならずしもさぼっている訳ではありません。 今日は進路指導があ
ったり、学年クラス会があったりして、いろいろと忙しいのです。 学校での生活と
いうのはクラブ一辺倒ではありませんから。 校長もその辺はよくお判りの筈ですが」
 竹田女史が大門警部補の言葉に対し、心外な、という口調でまくしたてた。
 「あ、いや、竹田先生、私はそういう意味で言った訳では……」
 竹田女史に突っ込まれて山之内校長はますます身を縮めた。
 「まあまあ先生、そしたら、残りの四人のアリバイはすぐに判るという事ですな」
 大門警部補は二人のやりとりに割って入ったが、
 「アリバイとは何です? あなたはあの子達を容疑者扱いなさるおつもりですか!」
と、反対に竹田女史に突っ込まれてしまった。
 「いや、それは、やはり……」
 大門警部補が竹田女史の剣幕にたじろいだところへ、ドンッ、と音がして扉が開き、
得居が勢いをつけて入ってきた。 よほど急いで往復してきたのだろう。
 「どや?」
 「スペアキーはありました。 用務員の証言では、今日は本鍵は出たけどスペアは
どこの部のも出ていないそうです。 という事はこのドアからの侵入は無いという事
ですが……」
 「その用務員がほんまの事を言うとったらな」
 「は?」
 「用務員が鍵を持って出た者に口止めされとるかもしれんし、それに、ひょっとし
たら、その用務員が犯人かもしれんぞ」
 「なるほど」
 「それに、スペアキーなんかいくらでも複製出来るんやから、鍵庫にあったからい
うて誰も持ってなかったとは言えんやろ」
 「持ち物検査と身体検査やりますか」
 得居は本谷真知子の顔と身体をなめまわすように見ながら言った。 小沢真智子と
森真智子のいないこの場では本谷真知子が一番目を引く。 若い得居の目がそちらに
ばかり引き付けられるのも当然だろう。 あわよくばこの女を裸にして、という想い
も浮かんでのセリフだ。
 「ここにおる連中にはアリバイがあるやないか。 犯行が入口から鍵を開けて入っ
て行われたと想定したらやけど」
 「舞台の撮影をしている時に一人くらいこっそり抜け出したかも知れませんよ」
 「それはありません。 私が講堂入口側に立っていましたから」
 竹田女史がはっきりと言った。
 「なるほど、先生の前を通らなければ部室へは行けない、という事ですな。 そし
たら、こうも考えられるでしょう。 つまり、犯人と先生が結託していて、皆が舞台
に上がっている隙に、先生がそっと犯人を部屋に行かせた」
 「な、な、なんですって! それじゃ私が! いえ、どうして私が小沢さんを殺さ
なければいけないのですか! あ、あなた方は、な、何の根拠があってそのような!」
 竹田女史は立ち上がり、真っ赤になって、青筋立てて怒鳴りだした。 その形相と
カン高い声に気負され、得居は顔をこわばらせて後ずさった。 しかし、大門警部補
は場慣れしているのか、落ち着いたもので、
 「先生、あくまでも仮説です。 まあ、いきり立たないで」
 と、抑えた。
 「我々は出来るだけ多くの状況を想定し、その中からたったひとつの真実を証明す
るのです。 仮説がなければ真実は出ません。 今はその段階です。 ですから、
まあ、気を沈めて聞いていて欲しいんですわ」
 大門警部補に説得されて、竹田女史は少しばつの悪そうな顔をして座った。
 「ちょうど今、竹田先生がおっしゃいましたが、どうして私が殺さなければ、とい
う事。 つまり、動機ですな。 これについて聞きたいんですが」
 大門警部補は竹田女史をやりこめた快感に酔いながら皆の顔を見て言った。
 「小沢真智子は誰かに恨まれたり、憎まれたりはしてませんでしたかな?」
 「小沢さんは、明るく、素直で気だてが良い人でした。 友人達との協調性もあり、
とてもしっかりとした人間関係を持った人でした。 人に恨まれるような事などまっ
たく無かった筈です」
 竹田女史が間髪を入れず、答えた。
 「ふん、ふん、なるほどね、そうですね。 ほな君はどうや?」
 大門警部補は竹田女史の常套的な答えに鼻白んだ顔をし、すぐに矛先を川勝に向け
た。 川勝のおどおどとした態度と、大門達を畏敬の念を持って見ている目が、大門
警部補と得居刑事の官僚的優越感と特権意識を満足させるのか、質問が川勝ばかりに
向けられる。
 「え、え、お、小沢さんですか? え、と、小沢さんは、こ、工芸高校のアイドル
と呼ばれているくらいに、に、人気がありましたし、え、人気があるという事は、え、
憎まれるなんて事があまり無いという事で、え、つまり……」
 「工芸高校の人気ナンバーワンやったそうやな。 美人コンテストで一位やったそ
うやな」
 「え、そ、そうです」
 本谷真知子が大門警部補と川勝を睨みつけた。 本谷真知子の顔ばかり見ていた得
居がそれに気づく。
 「その人気は誰にあったんや? 男か? 女か?」
 「え、それは……お、男だと思いますが……」
 「うん、うん、そうやろ。 あれだけ可愛い顔しとったら、さぞかしよう男にもて
たやろ。 という事はやな、男にちやほやされてた分だけ女には恨まれてたという事
や。 女には嫉妬心ちゅうもんがあるからな」
 それを聞いていた竹田女史は憤然とした顔をして、
 「そんな事はありませんっ。 小沢さんは女性徒間にも人気があり、しかも清純で、
きめ細やかな気配りも出来る人でした。 そんな……」
 と、言ったところで大門警部補が、
 「まあ、ちょっと。これは一般論を話しているのですから」
 と、言って制した。
 「それに、清純であったかどうかは解剖所見で判る事ですから」
 解剖という言葉が出た途端、部員達の顔が悲壮に曇り、上山朱美が小さな声を立て
て泣きだした。
 「で、聞きたいのは小沢真智子の男関係です。 最近彼女は誰かと交際してました
かな?」
 「…………」
 誰も答えなかったが、中の二〜三人が、ちらりと梅本の方を見たのを大門警部補は
見逃がさなかった。
 「君、君は、えーと、何ていう名前やったかな」
 「梅本です」
 机に肘をつき、手を顎にあてていた梅本は目だけを向けて答えた。
 「梅本君か、君やったら小沢真智子と似合いやったやろな」
 「何の事です?」
 「君と彼女の関係を聞きたいんや」
 「僕が刻緒役、彼女が絵里衣役、ですが」
 「もっと何かあったやろ」
 「何を根拠にそんな事が判るんです?」
 梅本は軽蔑したように答え、大門警部補は、むっ、とした。
 「わしらは殺人事件の捜査をやっとるんや。 聞かれた事にはもったいつけんと正
直に答えとったらええんやっ」
 大門警部補は一括し、一番手前にいた山之内校長と川勝が首をすくめたが、梅本は
顎に手をあてたまま動じない。
 「もいっぺん聞こか、どんなつきあいをしてたんや?」
 「それだけです」
 「ほんまやな!」
 「ええ、調べたら判りますよ、それが仕事でしょう」
 梅本はこの二人の権力を笠に着た高圧的な態度が気に入らなかった。
 「よっしゃ、調べたる、調べたら判る事や、もしそれで何か出てきたら承知せえへ
んからなっ」
 大門警部補は顔を青黒く変色させて吐き捨てた。 絶対権力を持っていると自認し
ている自分に盾つく者がいるのは許せないのだ。
 「頑張って下さい」
 梅本も余計に茶化す。
 「何ぃ!」
 大門警部補は、切れた、とばかりに立ち上がり、梅本の方に向かった。 その時、
 「ちょっと、よろしいか」
 今まで一番後ろで何も言わずに事情聴取の様子を見ていた竜崎がいきなり声を出し
 た。
 「な、なんや?」
 大門警部補は気勢を削がれた顔で振り向く。
 「刑事さん、すんません。 さっきから聞かせてもろてますと、コーヒーカップに
毒を入れた者は小沢を特定して殺そうとしたように話ししてはりますけど、はたして
そうですやろか? もちろん、その可能性もおおいにありますけど、けど、もし、こ
こにいてる誰かが部室を出しなに、あるいは入りしなにカップに毒を入れたんやとい
う仮説以外の仮説を説明づけるならですね、その特定にはいささか無理があると思う
んですが」
 「無理? 何が?」
 大門警部補は自分の捜査の進め方にケチを付けられたかのような不機嫌な顔になっ
て言った。 竹内は竜崎の横でぽかんと成行きを見ている。
 「テーブルの上にはカップが二十一個ありました。 皆揃いの同じカップです。
 その場にいた二十二人なら、誰がどのカップで飲んだかわかるやろけど、もし、蔦
を這登って、窓から侵入した、あるいはスペアキーを使って入口から入ったという想
定の場合、その者には小沢がどのカップで飲んでいたのか判らないと思うんですね。
 という事は犯人は小沢を狙って毒を入れたとは考えにくいんと違いますか?」
 「うん?」
 「つまり、いくら小沢を狙っていても、それが当たる確率は二十一分の一やから、
小沢個人を狙う犯人がそんな事するでしょうか」
 「…………」
 大門警部補と得居刑事は宙を見て、ちょっと考える仕草をしてから、
 「そしたら、君、竜崎君やったな。 という事は狙いは無かった。 殺すのは誰で
もよかった。 そういう意見やな?」
 その言葉を聞いて部員達は一斉に青ざめた。 もしかしたら、殺されたのは小沢真
智子ではなく自分だったかもしれない、という恐怖が襲ったのだ。
 「そういう考え方も出来ると思うんですけどね。 これだけの人間が見てる中でカ
ップの中に毒を放り込むのは実際無理やと思うし」
 「ふーむ、もし、ここにいる連中がやったのでないとすれば、不特定殺人という事
も有り得るという事か」
 しぶしぶ感心したという顔をしかけたが、急に持ち直し、
 「そんな事は今さら言われなんでも現場を見た時から判っておる事や。 今は捜査
の手順として小沢真智子特定の殺人と想定しておるのや。 不特定の方は後からやる
つもりやった」
 と、失いかけた威勢を取り戻そうとするかのように一気に喋った。
 「そうですか、それは差し出がましい事を言いました」
 竜崎はにやりと笑い、その横で竹内が首を捻っている。
 大門警部補は憮然と腕を組んで考え込んだが、しばらくして、
 「そしたらですな」
 目だけ竹田女史の方へ向けて言い出した。
 「犯人の狙いは誰でもよかった。 ただし、映研部と演劇部の中で誰でも、という
事です」
 「映研部と演劇部の中?」
 「そう、映研部か演劇部そのものに恨みを持った人間の犯行という事ですな」
 「映研部も演劇部も真面目な部です。 そんな、人から恨みを買うような事はござ
いません!」
 竹田女史の顔がまた紅潮してきた。
 「いや、例えばですな、各クラブ間での部費の取り合いであるとか、クラブ予算の
増減に関するしがらみとか」
 部費という言葉が出た途端、川勝が、はっ、とした。
 お気に入りの生徒の表情の変化を大門警部補が見逃す筈がない。
 「君、何か心当たりあるのか?」
 いきなり当てられた川勝は驚いてかぶりを振ったが、
 「あるのやろ、心当たり」
 と、念を押されて、困った顔をしながら横目で内田女史を見た。
 「竹田先生。 何かあるんですな」
 「川勝君、何ですか?」
 竹田女史は何事です? という顔で川勝に聞いた。
 「あの………」
 「いいから、言って下さい」
 「え、あの、部費の話が出たから、ちょっと思っただけなんですけど、え、先生が
今日渡して下さった、え、部活補助費の事が……」
 「部活補助費? 何ですかな、そりゃ」
 大門警部補が耳ざとく割って入ってきた。
 「映画コンクールの活動用にと、本来の部費以外に学校側から給付のあったお金で
す」
 竹田女史が答える。
 「そのお金がどうしたんや?」
 川勝に向かって聞いた。
 「え、いえ、随分多かったなと思って……」
 「いくらや?」
 「三十万円です」
 大門警部補にはその金額が多いものであるか少ないものであるかの判断がつきかね
た。
 「それは映研部だけに出たんですかな? 校長」
 「いえ、今年は本校創立六十周年記念という事で、文化祭と六十周年祭を併せて行
う訳ですが、そのイベントに関係するクラブ全てに給付した訳でして……」
 「一律三十万円を?」
 「いや、そうじゃなく、イベントに対する役割の大小で若干の高低がありまして…
……」
 「三十万円というのは高い方ですか、安い方ですか?」
 「……やはり、高い方です」
 山之内校長は竹田女史の方をちらりと見て、言いにくそうに言った。
 「他の部には大体どのくらい給付しているんです?」
 「えーと、決裁書を見ないとはっきり言えないのですが……、大体、十万前後かと
……」
 「ほーお、映研部だけ他のクラブの三倍あるという事ですか、それはまたどうして
?」
 竹田女史がガタリと音をさせて立ち上がった。
 「我が工芸高校映研部は昨年度の映画コンクールで見事準グランブリに輝いたから
です。 高校野球で言えば甲子園で準優勝したようなものです。 我がクラブの作品
は今や全国の高校から注目を浴びているといっても過言ではありません。 話題性、
文化性ともに学校内外から注目を集めており、PTAにも期待度の高い部活です。
それに、今年の八十周年記念行事の一番の呼び物ともなっております。 高校野球部
が甲子園出場を決めれば、相当なお金が要り、それを部活補助費で念出するように、
今回の制作費にそれ相当の金額をお願いしたからです。 よりよい作品を作り、工芸
高校の名を世に知らしめる為にも、他のクラブより高額の給付があってしかるべきで
す」
 「はいはい、判りました」
 大門警部補は、またうるさいのが口を出したとばかりに顔をしかめ、いやいやあい
ずちを打った。
 「しかし、それではさぞかし他の部の反感を買っているでしょう」
 「そんな事はありません!」
 いきり立つ竹田女史。
 「まあまあ、判ってますから、まあお座り下さい」
 竹田女史、口をへの字に曲げて座った。
 「校長先生、部活補助費の総額は決っておったんですかな?」
 「はい、決ってました」
 「という事は映研部の予算を増やす事によって、当然削られた部もある、となりま
すな」
 「ええ、まあ」
 「どの部とどの部ですかな?」
 「ええと、それも決裁書を見ないとよく判らないのですが……」
 「よろしい、それじゃ後ほど見せてもらいましょか」
 大門警部補は納得顔でふんぞり返って煙草をくわえた。
 「……幽霊かな?」
 上山朱美が隣に座っている当銘由美子に耳打ちするように言った。 もちろん大門
警部補が聴き逃す筈は無い。
 「君、ええと、誰やったかな? ええと、上山……朱美やったかな」
 「は、はい」
 いきなり名指しされて上山朱美はしゃっくりでもするように返事をした。
 「今、なんて言うた?」
 「え? いえ、あの……」
 「今、小さい声で何か言うたやろ。 なんや?」
 隠し事は許さんぞ、と睨みつけると、やはり常日頃警察の捜査などに慣れていない
一般市民は震え上がる。 上山朱美はさらにしゃっくりを繰り返しながら答えた。
 「あ、あの、幽霊が……」
 「幽霊? なんや、それ」
 「出るんです」
 「出る? 何処にや!」
 上山朱美が一言ずつしか答えないので大門警部補は苛立って、つい声が大きくなる。
 すると気の弱い受け手側はますます喋りにくくなるのだが、本人はそんな事に気づ
いていない。 相手が自分より立場が上の者でない限り、誰に対しても頭ごなしに怒
鳴りつけてしまう。 横暴な官僚気質丸出しの大門警部補だった。
 「あ、あ、あの、き、旧講堂や旧校舎に、出るんです」
 「なんやて? 旧校舎に出るんやてか? ふん、何阿呆な事言うてるねん」
 「本当なんです。 あの、マリアさんの、え、と、あの、遺体が出て以来」
 「マリア? なんや?」
 「旧講堂の壁から出た遺体の事です」
 竹田女史が横から口を出した。
 「おお、あれか。 そういうたら、あれも未解決のままやったな。 で、あれがど
うしたて?」
 ここまで言えば、上山朱美が何を言わんとしているか判りそうなものなのだが、大
門警部補は繰り返して質問する。
 「あの遺体が出てきて以来、旧講堂のあの場所や旧校舎の教室の中とかに、あの、
出るんです、幽霊が」
 「あの壁から出た遺体の幽霊がか?」
 「はい、ここの生徒らしい女の子の幽霊が」
 「阿呆らしい。 この近代の世に何を古めかしい事を言うとるんや。 確かに、あ
の白骨が出てきたのはショッキングな事件やったかもしれんが、その幽霊が出るやな
どと、まあ、高校生あたりがおもしろ半分で騒ぎ立てそうな事やけどな。 そんな子
共騙しみたいな噂に警察がいちいち絡んでられへんのや。 阿呆らしい」
 「本当なんです。 あの遺体の出た穴の前でしくしく泣いてる女の子の姿や、夜、
扉やシャッターを下ろして絶対に誰もいない筈の教室の中に女の子の姿が見えたりす
るんです。 何人も見てるんです」
 「ふん、どこの中学や高校にもそんな話のひとつやふたつはあるもんや。 まあ、
それは置いとこ」
 大門警部補は阿呆らしい事に耳を傾けてしまったとばかりにそっぽを向いた。

 「あの、ちょっとすいません」
 今度は松嶋教頭が立ち上がって言った。
 「何か?」
 大門警部補はまた何か捜査に注文をつけられるのかと思って顔をしかめた。
 「もう夜も遅いですし、そろそろ生徒達を帰らせたいんですが」
 「は?」
 大門警部補は信じられないセリフを聞いたという顔になった。
 「だから、下校させたいんです」
 山之内校長のように我が身かわいさのあまり、事なかれ主義に徹している保守派と
違い、松嶋教頭は豪胆な率直派である。 警察だからといって遠慮はしない。
 「あのですな、教頭先生。 今は殺人事件の捜査をしとるんですぞ。 そのさ中に
重要参考人の生徒を帰してどないするんですか」
 「重要参考人? それはおかしいんじゃありませんか。 生徒達は現場に居合わせ
た目撃者であって容疑者じゃありませんが」
 「こいつらの中に殺人犯がおるかもしれんのですぞ」
 「それは想像でしょう。 私はこの連中を信じたい。 もし、仮に容疑があったと
しても被疑者ではありません。 拘束する事は出来ない筈です」
 「だから任意協力を願っとる訳で」
 「生徒達は全員十八歳以下の未成年です。 夜遅くまで取調べたりすると生徒の家
族も心配しますし、この連中だけ残っているという事が知れると、外で待ちかまえて
いる新聞雑誌の記者連中にへんなかんぐりを入れられるし、写真も撮られます。 ま
してや刑事さんの言われるように容疑があるなんて事がその連中の耳に入ると、一応
名前は伏せるものの、一見してそれと判る報道をされたりもします。 そうなると生
徒達の将来にかかわります」
 「殺人事件ですぞ」
 大門警部補の顔が赤黒くなりだした。
 山之内校長は松嶋と大門警部補の間で口出しも出来ずにおろおろしている。
 「生徒達の身元ははっきりしています。 逃げも隠れもしません。 目撃者として
の証言は後日でも充分取れるかと思います。 捜査の方法については生徒達が帰って
も、現場が手つかずで残っているんですから、そちらを進めていただく訳にはいきま
せんか」
 「捜査方法は警察が決める事です」
 大門警部補の顔がますますどす黒くなってきた。 反対に山之内校長の顔はますま
す青ざめてくる。
 「それはどうも。 しかし警察なら余計に未成年を保護するべきでしょう」
 「我々が保護してないとでも……」
 「このまま遅くなれば学校を出る時、校門にいるマスコミ、報道陣に映研部、演劇
部と特定されて写真を撮られてしまいます。 けど、今なら他の生徒達もたくさん残
っています。 その連中の中にまざって一緒に出てしまえば特定はされません」
 大門警部補は口を出そうとしたが、声がつまった。
 「未成年の生徒達のプライバシーを守ってやってもらえませんか」
 「しかし……」
 「法的に解釈すれば、この連中は容疑者でもなければ被疑者でもありません。 捜
査に協力と言っても、あくまで任意です。 という事は協力を拒否する事も出来る訳
です。 今すぐ全員を帰らせたところで、あなた方は何ら止める事も拘束する事も出
来ません。 今、私の教頭としての判断で全員を帰してもいっこうにさしつかえない
筈ですね」
 「ぐぐぅ………」
 大門警部補は顔をどす黒く変色させたまま天井を向いてしまった。
 山之内校長は相変わらずおろおろしたままだし、得居刑事は憮然として松嶋をにら
みつけている。 生徒達は我が身がどうなるのかという不安で小さくなっていたが、
竹内、竜崎の二人はもう帰らされるのはちょっと物足りないという顔をして松嶋を睨
んでいた。
 「……しゃあない。 帰ってもらお」
 大門警部補は天井を向いたまま、言った。
 「ただし、明日は登校してきたら個別に調書取っていくからな、参考人として。
よろしいな」
 「捜査上必要ならばしかたないでしょう。 ただし、私も同席させてもらいます」
   「個別にと言うとろうが」
 「生徒達は被疑者ではないと言ってるでしょう。 取調べは出来ない」
 「参考の為の事情聴取や」
 「じゃ、同席してもかまわない訳です」
 「…………」
 大門警部補は顔をひきつらせ、黙り込んでしまった。
 「それじゃ、かまいませんが、今日欠席している映研部の部員も明日必ず来させて
くれますか。 聞きたい事がありますので」
 得居刑事が口もきけなくなった大門警部補の代わりに言った。
 「判りました」
 竹田女史が答える。
 「そしたら、皆帰ろうか」
 松嶋教頭が立ち上がり、皆を連れて席を立った。


 半日の間にクラブの仲間の死にざまを目の前で見て、その後の混乱、警察の捜査、
事情聴取と、日頃めったに経験出来ない事が立て続けて起こったので、生徒達は皆疲
れ切った顔をしていた。
 松嶋教頭は廊下に出て、まだ校内に残っている生徒達を呼び集めた。 もうかなり
遅くなっているのに五十人ほどが集まる。 その中に映研部員、演劇部員をまぎれ込
ませ、皆で揃って校門を出させた。 途端に待ちかまえていた記者達が一斉にカメラ
のストロボを発光させ、マイクを持って駆け寄ってくる。 だが、生徒達も心得たも
ので、
 「僕らサッカー部の者ですわ」
 「野球部や。 警察はまだ中でごちゃごちゃやっとるわ」
 「僕ら関係あらへんで」
 と、口々に言いながら、あっさりと報道陣の輪を通り抜けてしまった。



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憂想堂
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