〈9〉



 3

 翌朝の新聞では各紙ともかなりの段数をさいて事件を報道した。

 『コーヒーに毒、女子高生死亡』
 『部室のコーヒーに毒物混入、女高生死ぬ』
 『女子高校生、毒入りコーヒーで死亡』
 大手新聞は以上のような常識的な見出しをつけたが、スポーツ紙やスキャンダル紙
は一面全段に大きく、
 『密室殺人事件、美人女子高生殺さる』
 『猟奇! 美少女密室殺人』
 『蔦館の惨劇、美少女殺人』
 と、いかにも好奇の目を引き付ける見出しをつけた。 加えて、どの新聞にも小沢
真智子の顔写真が載り、その美しさが見出し以上に読者の好奇の目を引いた。
 工芸高校からさほど離れていない阿倍野警察署の刑事課捜査一係のテーブルの上に、
それらの新聞を広げて並べ、大門警部補は一人悦に入っていた。
 マスコミが大きく取り上げ、社会的に話題性の大きくなった事件ほど、解決した時
の反響は大きく、自分の手柄も大きくなる。 大きな事件解決の記者会見は刑事にと
っての桧舞台だ。 だから、警察が事件を発表する時は事実をいくぶん大きめのニュ
アンスで伝える。 マスコミもその辺のところはよく心得ていて、内容によって受け
止め方を加減する。 しかし、今回は密室殺人という特異性と小沢真智子の美しさが
記者達の好奇の目を引いた為、各紙とも大門警部補の思惑通りに書いてしまった。
大門警部補の顔もほころぼうというものだ。

 もっとも、大きく扱われた事件を解決出来ないとなると、今度は警察の無能さを報
道される事になるので両刃の剣となるのだが、この事件に関しては大門警部補には自
信があった。 昨日の事情聴取で、あの事件関係者達なら、ちょっと突っ込んで取調
べれば簡単に犯人が割り出せるだろうと踏んでいた。
 癪にさわるのは梅本吉成と松嶋教頭の二人だが、その二人は後まわしにして調べて
いけばいい。 連中に到達する前に割れるだろうと思っていた。 あの二人が犯人な
ら尚いいのだが、とも思った。

 「警部補、鑑識からの報告が入りました」
 得居刑事が書類を持って駆け込んできた。
 「どないや?」
 「は、まず、あの部屋にあったコーヒーカップ全てを調べたところ、薬物反応のあ
ったのは小沢真智子の飲んだカップだけでした」
 「ふん」
 「で、その薬物ですが、チオシアン化カリウム(KCNS)と分析されました」
 「はあ?」
 「チオシアン化カリウム」
 「青酸カリみたいなもんか?」
 大門警部補にとって初めて聞く薬品名だった。
 「そのようです。 問い合わせたところ、人体に与える影響は青酸カリとほぼ同じ
ようなものだそうです」
 「劇薬やないか。 そんなもん、どこで手に入れるんや」
 「やはり、特殊メッキや銀の漂白に使われるそうです」
 「かなり特殊な薬品やな。 それやったら入手ルートは簡単に割れるやろ。 よし、
その、なんとかカリを扱うてる所を洗うてくれ」
 「は、それから、これは解剖所見ですが、」
 「ふん」
 「死因は気管支麻痺による窒息死。 チオシアン化カリウム飲用によるものです。
胃からも検出されました」
 「処女やったか?」
 大門警部補は薬物の話など興味が無いという顔で小沢真智子の身体の事を聞いた。
 得居刑事もにやりと笑って答える。
 「とんでもない。 男関係ありです。 それも相当年季が入っているようです」
 「昨日今日と違うんか」
 「かなり前から何人もと、という感じです」
 「ちっ、近ごろの高校生は!」
 大門警部補は吐き捨てるように言った。
 「妊娠は?」
 「してません。 避妊の知識も相当やったのと違いますか」
 「ふん」
 「しかし警部補。 こんなかわいい顔した娘が簡単に脚開くんなら、自分も一発や
りたかったという気もしますね」
 得居刑事は本当に惜しそうな顔をして言った。
 「阿呆。 刑事が何言うとんねん。 不謹慎な」
 「すんません」
 「そしたら、小沢真智子の男関係洗ていこ。 あれだけええ女やったら惚れてた男
もたくさんおったやろし、振られた男もたくさんおるやろ。 振られた腹いせちゅう
事もあるさかいな」
 「それと、小沢真智子に自分の惚れてる男を取られた女と」
 「そや、女の嫉妬いうのは恐いからな。 その線も洗ろていこ」
 「判りました。 それじゃ今日の事情聴取でそのへん重点的にやりますか」
 得居刑事は勢いよく立ち上がってファイルの整理をし始めた。 大門警部補は煙草
に火をつけて、ゆっくりと吸いながら、一面に大きく小沢真智子の顔写真の出ている
スポーツ紙を手に取って読み直しだした。


 4

 「どない思う?」

 竹内が揚げたてのコロッケをパンにはさみながら言った。
 「密室のトリックか?」
 竜崎も同じようにコロッケをはさんだパンをほおばりながら応えた。
 二時限目と三時限目の間の休み時間に学食に来て、ランチ用のコロッケを買って、
それをパンにはさんで食べる。 体育系のクラブに入っている者にとって四時限目の
終了まで胃袋がもってくれないのだ。 この休み時間にこの学食に来るのは竹内達の
日課になっている。

 「ああ、けど、あれは厳密に言うて密室とは言えんやろ」
 「なんや、犯罪にロマンを求めてたんはおまえと違うんか。 密室ていうたら、そ
れこそ推理小説の王道やないか」
 竜崎が以前の揚げ足を取って切りかえす。
 「それは、誰がどない見てもこれ以上ないていうくらいの、蟻の這い出る隙間もな
いほどの密室の場合や。 昨日のあれなんか、なんぼでも這い出る隙間があるやない
か。 合鍵がひとつあったら終わりや」
 竹内も負けじとやり返す。
 「けど、昨日のあの刑事らの聞込みによると、俺らが旧講堂にいてる間、あの部室
の前には何人もクラブ残りの連中がいてて、誰も部室に入ったもんはおれへんかった
って事やそうやで」
 竜崎は昨日、大門警部補と得居刑事のこれみよがしな大声での聞込みをまのあたり
に聞いていたのだった。
 「そしたら、窓やな。 あの窓はずっと開いてたで」
 竹内は推理をめぐらす。
 「屋根からロープ垂らして降りてくるのか?」
 「山岳部の連中やったら簡単にやりよるで」
 「それも今朝、部室前にロープ張って現場検証の続きやってた連中から聞いたんや
けど。 時計塔から屋根にかけて人がロープ垂らした跡なんかなかったそうや」
 竜崎が言い、竹内が驚いた顔をした。
 「聞いたて、おまえ、警察の連中がそんな事簡単に喋りよったんかい」
 「いや、直接聞いたんやなくて、なんというか、警察ていうのはやたら声のでかい
連中が多いみたいでな、現場の外に立ってるだけで情報はなんぼでも聞けるんや」
 竜崎は平然と答える。 竹内はあの大門警部補や得居刑事の顔を思い浮かべて、さ
もありなんと納得した。
 「そうか、それやったら……こんな手はどうや、あの部室にはロッカーがあったや
ろ。 狭いけど、痩せてるやつが無理したら入れん事もない。 俺らが本読みやって
る間、ずっとそこに隠れててやな、皆が出て行った後、出てきて、カップに毒を入れ
た」
 竹内は行ったが竜崎はすぐに、
 「入れてその後はどうするんや? またロッカーに隠れるんか? あの後、刑事は
ロッカーの中も調べとったで」
 と言い返す。
 「窓から出て行くんやないか」
 「どうやって? ロープを垂らしたところで、降りた後そのロープの始末が出来へ
んで」
 「飛び降りたらええんやないか」
 「……三階やで」
 「下は植え込みや。 少々の事では死んだりせえへん」
 「なんぼ植え込みでも三階の窓から飛び降りるやつなんかおるか」
 「おお、なんやったら俺が飛んだろやないか」
 「…………」
 竜崎は竹内の性格を知っているだけに、こいつならやりかねんと思った。 とすれ
ば、こいつにはあの殺人実行の可能性があるな、とも思った。
 「まあ、もっと現実的に考えたらやな、やっぱり、部室の出しなか入りしなにさり
げなくカップに毒を放り込んだっていうのが一番ポピュラーなんやないか」
 竜崎は推理の飛躍を元に戻した。
 「そしたら、犯人はあの時あの場におった連中の一人ていう事になるのか」
 「おまえもその中の一人や」
 「それを言うたら、竜崎、おまえもあやしい。 別に用もないのに、あの時のこの
こついてきて部室の中にまで入ってきたな。 しかも、小沢の席のすぐそばにずかず
かと寄って行ってた。 ……そうか、おまえが犯人やったんか。 そういうたら、お
まえ、前から小沢の事ええ女や、いっぺんあんな女と、なんて言うとったな。 手え
出して、振られて。 ほんで、その腹いせにやったんやな」
 「あ、阿呆か。 俺はおのれを知ってるわい。 小沢に手ぇ出すほど命知らずやな
いわ」
 「まあ、そうやな。 おまえにはもったいないし」
 「おまえにもな」
 竜崎は竹内の事となると絶対に負けてはいない。
 「俺かておのれを知ってるわい。 けど、まあボクならあの国領くらいでお似合い
てとこやね」
 竹内は目を細めた。
 「はい、私がなにか?」
 いきなり横から国領香代子が出てきた。
 「わわっ」
 竹内は慌ててそっくり返る。
 「今、私の事、言ってなかった?」
 国領香代子は竹内にすり寄って言った。
 「い、いや、別に。 あんた、国領、なにしてるんや、こんな所で?」
 「私もお腹すいたから」
 「はあ……」
 竹内があっけにとられている間に国領香代子は購買に行き、竹内達と同じメニュー
を買ってきた。
 「竹内君、昨日、恐かったね」
 国領香代子はコロッケパンをほおばりながら、竹内の横に座って言った。 竜崎は
無視された形だ。
 「そやな、もしかしたら、殺されてたのは俺達やったかも知れんのやからな」
 「そうじゃなくて、小沢さんの死ぬ間際の顔」
 「…………」
 竹内と竜崎は小首を傾げて目を見合わせた。
 「あのなあ、国領。 その恐い顔したのはもしかしたら俺やったかもしれんし、あ
んたやったのかもしれんのやで、恐がるのやったら、やっぱりそっちの方やろ」
 竹内は国領香代子の顔を覗き込んで言った。
 「それは無いと思な。 昨日の竜崎君の意見とは反対なんだけど、私は、あれは小
沢さんが狙われたんだと思うの」
 「なんでや?」
 竹内が聞いた。
 「いや、昨日のあれは、あの阿呆刑事が梅本を個人攻撃しはじめよったから、それ
をかわしたろうと思てとっさに出た意見やから、さして固執はしてないよ。 けど、
なんで、そう思う訳?」
 竜崎も聞いた。
 「まず、ひとつはカップの位置なんだけど、小沢さんのカップはテーブルのまん中
あたりにあったでしょ。 ドアからも窓からも離れてたし。 つまり、どちらから犯
人が入って来たとしたも、取っつきじゃないのよね。 無差別に誰でもいいなら、も
っと入れやすい端の方に入れると思う。 それをわざわざ中央にまで椅子とテーブル
をかき分けて入ってきているっていうのは、やっぱり小沢さんのカップを狙っての事
だと思うのよね」
 国領香代子はコロッケパンをかじりながら説明をする。 竜崎と竹内は神妙に聞い
ていた。
 「ふたつめは、恨み。 小沢さんが絵里衣の役をやるって事に恨みを持ってた人達
が沢山いたから、動機を持った人は結構いたと思うよ。 おそらく、あの時部室にい
た他の誰よりも殺される可能性を持ってたのが小沢さんだったから」
 「そしたら、その動機を持ってるのは本谷と森の二人ていう事になるけど?」
 竜崎はすぐに突っ込む。
 「ううん、それもあるけど。 あの、男の人達は知らなかったでしょうけど、今回
の絵里衣役にはひとつの意味があったのよ」
 「意味?」
 「三人マチコの誰が絵里衣役になっても、その役になった人が公式に梅本さんの恋
人になるっていう暗黙の了解みたいなのが出来てたの」
 「はーん?」
 「今まで梅本さんは表面的には誰とも恋人関係にはなってなかったから、皆、梅本
さんをアイドル視して楽しんでたのよね。 それが、今回の映画でいよいよ誰はばか
る事のない恋人が公認されるんだから、本谷さんや森さん以外にも小沢さんに恨みを
持つ人が沢山出来たって当然なんだから」
 「梅本はそれ知ってるのか?」
 「暗黙の了解の事?」
 「ああ」
 「知ってるからこそ、熾烈な争いがあったのよ」
 「ふーん」
 竜崎も竹内も感心したけど、そんな恋愛上の嫉妬くらいで人を殺すくらいにまで動
機が膨らむものかいなと首を捻る。
 「それと三つ目は、これは、私、見たんだけど、小沢さんの脚本の裏表紙に、
『許さない、殺す』って書かれてあったの」
 「許さない? 殺す?」
 「うん、でも、小沢さん平気な顔してすぐに消してしまったけど」
 「それ知ってるのはあんただけか?」
 「たぶん」
 「小沢に殺意を抱くほどの動機を持ったやつはやっぱりいたという事か、ふーん、
 そうなると、やっぱり小沢は狙われたのかなあ」
 竜崎はそれでも納得のいかない顔で首を傾げた。
 「けど、そうなると、小沢のカップを特定する必要がある。 犯人はあの時部室に
いてた連中の中にいるていう事になるで。 竹内、おまえ、部室を出る時に小沢のカ
ップに近くにおったやつ憶えてるか?」
 「部室の出しな入りしなカップに毒を放り込んだやつは絶対にいてないと思うなあ。
 俺は結構皆の動きを見てたけど、そんな事するやつはおれへんかった。 あの状態
では無理やしな」
 「そうか、入る時は俺も見てたけど、やっぱり無理やと思うな。 そしたら、どう
いう事や? やっぱり外から入って来たとしか考えられへん。 そしたらどないして
小沢のカップを特定したんや?」
 「幽霊のしわざじゃないかな」
 国領香代子が言った。
 「幽霊ねえ。 マリアさんの幽霊か」
 「そう」
 国領香代子は身を乗り出して言った。 竜崎は嫌な顔をしたけど、竹内はふんふん
と乗り出す。
 「あのマリア様、竹内君達が見つけたんでしょ?」
 「見つけたというか、まあ、ちょっとした事故やけどね。 あの死体が出てから、
旧講堂や旧校舎に女の幽霊が出るていう噂やろ。 腰抜かして入院したやつもおるら
しいけど」
 竹内は鼻で笑って言った。
 「本当らしいよ。 マリア様の埋められてた穴の前でしくしく泣いてる女の人の姿
を何人も見てるって」
 「近ずいたら消えてしまうんやろ」
 「そう、それに、放課後、誰もいない筈の鍵のかかった教室の中に女の人の姿が見
えたりするって」
 「おお、恐わ。 そしたら、その幽霊が小沢を殺したんかいな」
 竜崎が身をすくめながらも阿呆らしそうに言った。
 「それは判らないけどね。 でも、状況としたら、幽霊でもない限り出来ない事で
しょう?」
 国領香代子は自分の食べかけのパンを、もう自分のパンを食べてしまって手持ちぶ
さたになっている竹内に渡した。
 「うーん」
 竹内はそのパンをほおばりながらうなる。
 「そんな阿呆な。 なんかトリックがあるんやで」
 竜崎は冷静に答えた。
 「そしたら、そのトリックは何や?」
 「例えば、あの場におった部員の誰かが旧講堂に行く時、すれ違った共犯者に小沢
の座ってた位置を書いた紙きれをそっと渡した。 共犯者はそれを持って、なんとか
して部室にはいって目標のカップに毒を入れた」
 「そのなんとかしてってのが無理なんやないか。 廊下からは目撃者がいて入れな
い。 窓からも物理的に無理。 どないして入るんや」
 「それが判ったら事件解決なんやけどなあ」
 竜崎は考え込んだ。 何かひっかかるものがあるのだが、はっきりしない。 いら
いらするばかりだが、目の前の竹内と国領香代子のべったりいちゃつきを見ていると
なんだか阿呆らしくなって考える気もなくなってしまう。


 「なあ、竹内よ」
 「ん?」
 「松嶋、どう思う?」
 「松嶋がどないした?」
 「あんなに警察に突っかかるとは意外やったな」
 「そら、可愛い生徒を守る為やろ」
 「そうやろか、松嶋は結構生徒にはクールやで。 校長ほどやないけど保身には身
を入れとったと思たけどなあ」
 「宗旨替えたんやろ」
 「うーん」
 竜崎は何かふにおちないという顔で考え込んだ。

 「あ、予鈴」
 国領香代子が言い、
 「あーあ」
 と、竜崎も竹内も立ち上がり、食堂を出た。



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憂想堂
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