〈14〉




 6

   旧講堂のマリアの降臨の補修工事が始まった。
 遺体はすでに堀り出され、医学的な調査も行われたが、死後三十年から四十年経っ
ていると推測されただけで、死因や身元の確認などは結局何も判らないまま、事件に
もならず、調査は終結された。 それにともない、現場の保存も必要がなくなり、学
校もいつまでも遺体の出てきた穴を開けておく訳にもいかず、補修する事になったの
だった。
 補修といっても、遺体の入っていた穴だけを埋めるという訳にはいかず、その壁全
面を一端落し、一面そっくり新しく建ててしまうという、かなり大がかりな工事で、
建築業者が数人がかりで美術部の半分に仮囲いをして、資材を積み上げたりしている。
 工事の進行具合いを見に来ていた松嶋教頭に、ふらりと道場に入って来た竜崎が声
を掛けた。
 「君が御跡と偲ひつるかも。 ですか」
 「なんや、竜崎、授業は?」
 「土田のじいさんが神経衰弱起こして休みなもんでね、自習ですわ」
 「そうか、おまえは写真科やったな」
 「土田爺、昨日はだいぶあのえらそうな刑事にやりこめられたらしいですな」
 「ああ」
 「それを、反対に教頭が刑事をやりこめたそうで」
 「よう知ってるな」
 「情報網が充実してましてね」
 「本谷に聞いたんか」
 「まあね」

 竜崎は仮囲い脇にある美術部のベンチに腰をかけた。 松嶋がいなければ、ここで
胸ポケットから煙草を取り出すところだが、さすがにやめた。
 松嶋は立ったまま、工事を見ている。
 「よう考えたら、こいつが出てからいろんな事が起こっとるなあ」
 松嶋がしみじみと言う。
 「幽霊は出るし、人殺しは起こるし」
 竜崎もあいづちを打つ。
 「用務員はノイローゼになって辞めてしまうし、ほれ、何とか言う美術部員、あれ
も学校休んだままやろ」
 「島崎晶子ですか。 皮肉な事に、あの人型の染みにマリアの降臨なんていう名前
を付けた本人ですよ、あれは」
 竜崎は鼻で笑って言った。
 「あれ以来、幽霊はまだ出るのか?」
 「みたいですね。 放課後、人がおらんようになると、この旧講堂や旧校舎に出て
くるみたいですわ。 しくしくていう泣き声を聞いた連中もいてるし」
 「…そうか、うかばれてないんやな」
 松嶋は本当にしみじみと言った。
 「教頭、聞いてよろしいか?」
 竜崎はそんな松嶋の姿をしばらく見ていたが、おもむろに切り出した。
 「何や?」
 「このあいだからの事情聴取や写真科でのやりとりや本谷の話なんかを聞いてると、
教頭はすごく我々や容疑を掛けられた連中をかばいだてしてますね。 何でです?」
 「何でって、教師が生徒をかばうのは当り前やないか」
「犯人をかぼうてるのかもしれんやないですか」
 「そんな事は無い」
 「ほー、なんか教頭は犯人が判ってるみたいな言い方ですなあ」
 「阿呆、なんでわしに犯人が判るんや。 警察でもまだ判らんのに」
 松嶋は竜崎の横に座り、胸ポケットから煙草を取り出しかけたが、横に竜崎がいる
ので、やめた。
 「そうでしょ、犯人の目度なんてまだ誰にもついてないんですよ。 そやから、あ
の刑事達も今はいろんな可能性を洗うてるとこでしょう? その中で容疑者がひとり
やふたり出てきたところで、しょせん容疑者なんやから、そんなに自分の立場を悪く
してまでかばいだてする事はないのと違いますか? もしかしたら、その容疑者がほ
んまの犯人かもしれんのやし」
 「そんな事はない」
 「これは俺の感じ方なんやけど、教頭見てると、どうも犯人の目度がついてて、そ
やから、ぼんくら刑事が、その犯人以外の人間に白羽の矢を立てると、そいつは違う
っていう事で、わざと捜査の邪魔をしてる。 そんなふうに見えるんやけど」
 竜崎がこのあいだから感じている疑問を言ってみた。
 確かに松嶋は山之内校長に比べれば、わが身可愛さのあまり、保身に身を固め、物
事の進展を拒むというところは無いが、そこはやはり管理職の長であるのだから、そ
れなりの保身や要領の良さは持ち合わせていたと思う。
 それが、あのあからさまな警察への反抗だ。 自分の出世、校長への道を捨ててし
まったとしか思えない。
 それまでの松嶋を知っている竜崎から見れば、首のひとつも傾げたくなる事だ。
 「それやったら聞くけど、竜崎よ、わしがすでに犯人を判ってるとしたら、なんで
その犯人を告発せえへんのや? 学校の中で起こった事件なんやから、早よ解決して
欲しいのはおまえら以上なんやで」
 「告発でけへん理由があるからと違いますか?」
 「そんなもん、あるか」
 「教頭が犯人やとか」
 「阿呆、なんでわしが犯人なんや。 動機もなけりゃアリバイもしっかりしとるわ」
 「冗談ですがな。 けど、生徒の中から犯人が出たら、現職の教頭としては困るの
と違いますか?」
 「その時はその時や、腹くくらなしょうがないやろ」
 「ふーん………」
竜崎はあの大門警部補の真似をして、脚を組み、腕を組んで、ベンチにふんぞり返
る。
 竜崎は松嶋の言葉をどう理解すればいいのか、考えあぐねた。
 「竹内とあの刑事は仲ええみたいやな」
 松嶋も竜崎の追求をかわすかのように、話題をそらす。
 「あいつは調子乗りやから、どこにでも首突っ込みよるだけですわ」
 「いろいろ聞き出してるのか、あの刑事から」
 「さあ? どうですやろ。 今はあいつも忙しいみたいやから」
 「何が忙しいんや」
 「女が出来ましてな。 男や死人にかもてる暇は無いみたいですわ」
 「めでたい話やな」
 「まったく」
 松嶋もいっときにいろんな事が起きて、頭が痛いのだろう。 考えあぐねている様子
で、改修工事を見ながら、無意識に煙草を取り出し、一本くわえた。 すかさず竜崎は
自分のライターを出して火をつける。
 「ん? 竜崎、おまえ、なんでそんなもん持ってるんや」
 「あ? あれ? なんでこんなもんがポケットに入ってるんやろ? おかしいですな
あ? それより、教頭、口に何くわえてますんや」
 「あ? おお、これは」
 無意識とは恐ろしいもんや、とばかりに松嶋は煙草を揉み消した。 いくらなんでも
職員室以外の所で生徒と同席で煙草を吸うのはまずい。 竜崎も松嶋もベンチに座った
まま背中を向け合った。




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憂想堂
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