[もどらずの部屋]
1
午後の阿倍野警察署。 刑事課の会議室で大門警部補が赤黒い顔をして本谷真知子
と向かい合っていた。
その日は工芸高校の放課後前に大門警部補がわざわざ出迎えに行き、授業を終えた
本谷真知子をそのまま引っ張ってきたのだった。
警察に全面的におまかせしようと言う山之内校長を振り切って付いてきた松嶋教頭
も同席している。
「そやから、もう判ってるんや、君が以前から梅本とつき合うとったんは。 隠し
たかて、ちゃんと調べはついとる」
「嘘です」
「そやから、嘘ついたらあかんと……」
「だから、刑事さんの言ってる事が嘘です」
「何い!?」
「もし本当に調べがついているのなら、誰からどんなふうに聞いたが、実名を挙げ
て言って下さい。 もし私が梅本君とつき合っているところの写真でもあるのなら、
ちゃんと見せて下さい。 ただ調べがついている、人が言っているだけでは信用出来
ません。 実名を挙げたがらないのは、調べ自体が嘘だからだと思います」
本谷真知子は理路整然と言い、大門警部補の袋の緒が切れた音がした。
松嶋は顔をしかめた。 本来、本谷はこんなに跳ね返ったものの言い方をする生徒
ではない。 という事は竜崎のやつ、対処方法を吹き込みやがったな、と思った。
「……よっしゃ、ほな言うたる。 昨日の小沢真智子の葬式でやな、君と梅本はふ
たりあいあい傘で帰ったやないか。 わしはちゃんと見とんやぞ。 あんな事は関係
無かったら出来ん事や」
大門警部補は、証人はわしや、とばかりに得居顔で言った。 本谷真知子はそれを
聞いて、おかしそうに首を傾げる。
「あいあい傘をしただけで二人がつき合っている事になるんですか?」
「何でもない者同士がするか」
「しますよ。 刑事さんが若い頃みたいな昔じゃありませんし、気分次第で腕だっ
て組んじゃいますよ」
「ほう、そしたら、あんたら高校生はそんな誰とでも相手にふしだらな事してるん
か」
「どういう聞き方をしてるんですか? 誰とでも相手になるなんて言ってませんよ」
「今言うたやないか」
「腕くらい組むって言ったんです」
「腕組むいう事は相当な仲でないとせん事や。 それを簡単に組むという事は簡単
に誰とでも相手するという事やないか」
「それは刑事さんの世代の考え方でしょう。 私達は違いますよ。 腕組んだから
といって即関係あるなんて事はありません」
「……よーし、ええやろ。 そしたら話を戻そう。 さっき、気分次第で腕組む言
うたな」
「……はい」
「葬式の時は気分良かったからあいあい傘したのか?」
「何をおっしゃってるんですか」
本谷真知子は軽蔑半分のあきれ顔になった。
「友達が死んでやりきれない気持ちになっていたから、誰かのそばにいてなごみた
かったんですよ」
「ほーお、他にも沢山友達がおったのに、わざわざ梅本一人を選んでか」
「勘違いしないで聞いていただきたいんですけど、私、梅本君は好きですよ。 で
も、それは他の女の子達と同じような憧れの気持ちからです。 梅本君は学校中の女
の子達から同じ気持ちで好かれています。 他の女の子と同じ気持ちで私が梅本君に
憧れを持ってはいけないんですか? 友達が死んで悲しい時に、憧れの人がそばにい
たら、思わず同じ傘に入りたいと思うじゃないですか。 やさしく声をかけて欲しい
と思うじゃないですか」
「ふん、憧れなあ、便利な言い回しやな」
頬杖をついて皮肉な言い方をする大門警部補の態度に本谷真知子嫌気がさした。
「どういうふうに言えば刑事さんの気が済むんですか?」
「ほんまの事を言うたらや」
「私は本当の事を言ってます」
「嘘つけ。 さっきも言うたけど、もう調べはついてるんや。 ごまかしたかてあ
かん。 ひょっとしたら肉体関係まであったかもしれん。 演劇部に梅本が入ってき
て主役をやる。 もしかしたら君がヒロインをやれるかもしれん。 そしたら、映画
の中で堂々とラブシーンが出来るし、これを機に公に交際が出来る。 そう思うてた
矢先に、ヒロイン役を小沢真智子に取られた。 しかも、小沢と梅本は急速に親しく
なっていった。 近くでそれを見せつけられていた君は、次第に小沢を憎むようにな
り、小沢さえいなくなれば、また梅本は自分の所に戻ってくると考えた。 そして、
小沢真智子を殺した。 そやろ!」
大門警部補は机の上に身を乗り出して言い切った。
「私、そんな事してません」
「そしたら、どんな事したんや!」
本谷真智子の返事に間髪を入れず、たたみかける。 ここが落しどころだ、とばか
りに。
「どんな事って、何もしてません」
「はっきり言うてしもたらどないやねん! やったんやろが!」
大門警部補はいよいよ大声を上げて詰め寄った。
本谷真智子は首をすくめて後ずさる。
「ちょっと、刑事さん。 大声を出して威嚇するのは良くないんじゃないですか」
松嶋教頭が横から言った。
「黙ってい!」
今から落とそうという時に横槍を入れられて益々頭に血が登る。
「本谷。 小沢真智子にコーヒーをいれたんは誰や?」
「……私です」
「小沢真智子の前に置いたんは?」
「……私です」
「そやろ、あのカップに付いとった指紋を調べたら、小沢真智子のと、後一種類、
あんたの飲んだカップから採取されたのと同じ指紋しかなかった。 つまり、あのカ
ップに触ったんは死んだ小沢真智子本人とあんたの二人だけや」
「…………」
「これだけ言うたら判るやろ。 毒を入れたんはあんたしかおらんという訳や」
「私、入れてません」
「正直に言うてみい! おまえが入れたんやなかったら誰が入れるんや! 誰も入
れられやせんやろが、ええ!!」
大門警部補はとどめとばかりに大声を張り上げ、机をどんと叩いた。 たいがいの
者はここで震え上がって白状してしまうのだが、本谷は動じない。 また一言口を挟
んでやろうと思った松嶋はそんな本谷の態度を見て、とどまった。
竜崎のやつ、どんな吹き込みをしよったのか。
「でも、私じゃありません」
「動機もはっきりしてる。 小沢真智子への嫉妬や」
「そんな……」
「まだあるぞ。 映研部の部員で写真科の石井美雄ていうのがおるやろ」
「……はい」
いきなり部員の名前が出てきたので驚いた。
「石井はおまえに惚れてた。 これは周りの部員の証言や。 おまえはそんな石井
の気持ちを知りながらじらしてたそうやな」
「何の事ですか?」
「おまえは石井の口から写真科の授業で毒薬を使うというのを聞いとった。 写真
科の人間やったら保管庫の合鍵作るのも簡単やろ。 小沢を殺害しようと思った時、
石井に頼んで、こっそり毒薬を持ち出してもらい、そいつを小沢のカップの縁にすり
付けた。 カップの縁のある一点から飲んだ時のみ、毒が口に入るようにしておいた。
だから、最初の一口を飲んだ時には毒は口に入らず、何ともなかった。 だが、一
度部室を出て、戻ってから二度目に口を付けた時、毒をすり付けていた一点からコー
ヒーが喉に入り、小沢は死んでしもうた。 小沢がどこから飲むか判らへんから、賭
みたいなトリックやったけど、ものの見事におまえの思惑通りに事が運び、一見、密
室殺人事件みたいなもんが出来上がってしもうたんや。 なかなかよう出来たトリッ
クやったけど、こんなもんでわしらの目をごまかせると思うとったら大きな間違いや
ぞ!」
勝ち誇ったように、にやり、と笑い、見おろす大門警部補を本谷真智子は狐につま
まれたような顔をして見上げていた。
「そういう事やな。 よっしゃ、得居、今の書いとったか」
「はっ」
得居刑事は大門警部補の横に座り、自供調書を今の大門警部補の説明を、さも本谷
真知子が喋ったという文体で書いていた。
「さ、そしたら、これに署名と拇印をしてもらおか」
得意顔でその調書の最終頁を本谷真知子の前に差し出す。
「ちょっと待って下さい」
松嶋が立ち上がった。
「何や! 邪魔せんといてもらおう!」
「邪魔じゃありません、正当な発言です。 令状も無しの事情聴取でしょう。私の
発言を阻止する権限は無い筈です」
大門警部補にしてみれば、あと一歩というところの、あきらかな邪魔であった。
だが、松嶋の言う通り、令状を持ち、逮捕しての取調べでは無い以上、発言を止める
事は出来ない。
「!……言うてみい!」
「まず、動機の面ですが、この本谷が梅本に憧れを持っていた事は否定しません。
持っていても当然の事でしょう。 梅本はあの通り、男の私が見ても美しいと思うく
らい整った顔立ちをしています。 十七、八の女性徒が梅本を見て心引かれない方が
不思議です。 私は学校で梅本とその周りの女性徒達を見ていますが、今、刑事さん
のおっしゃられた、梅本に近づき、親しくなった小沢真智子に対する嫉妬が動機とい
うのなら、本谷真智子だけがその容疑に上がる事はないと思います。 それこそ、学
校中の全女性徒が容疑者になるんじゃありませんか」
「そやから、その前に一時交際しとって、それを乗り換えられたから、嫉妬に狂っ
たと言うとるやろ。 それやったら特定出来るやないか」
「それはあなた方の想像でしょう。 本谷はその事については一言も喋ってません。
証拠も証言も無い」
「わしの推察が間違うてるとでも……」
「間違っているとは言いませんが推察は推察です。 証拠ではないでしょう」
「…………」
「次に、写真科の石井美雄ですが、彼の自供調書は取られましたか? 薬を盗み出
して本谷に手渡したという」
「………いや……まだ」
にがり切った顔で答える。
大門警部補は松嶋教頭を同席させた事を徹底的に後悔していた。 もし、この男が
いなければ、本谷真知子はとっくに落ちて、事件解決を本庁に報告し、華々しく事件
解決のインタビューを受けれていた筈なのに、と歯ぎしりをした。
「最初の事情聴取の時以外に石井美雄本人に会われましたか?」
「…………」
「会われてないんですね。 先ほどはさも会って本人の自供を得たかのように言わ
れましたが」
「誰が会うたと言うた」
「ニュアンスと言うのは恐ろしいですね。 それでは誰かから石井美雄が薬を盗ん
だとお聞きになりましたか?」
「………石井が本谷に惚れてとるというのは皆が言うとる」
「惚れてるというだけでしょう。 実際に交際していて、薬を盗み、渡したなんて
いう証言はありましたか?」
「…………」
「やはり、それも推測ですね、証拠ではないですね。 次に事件現場での事ですが、
小沢のカップにコーヒーを入れて、前に置いたのは本谷自身であるとは本人も認めて
いますし、部員達の証言もあります。 しかし、あの時、コーヒーを入れに立ったの
は本谷一人ではなく、国領香代子と当銘由美子も一緒に立ってます。 部室入口横の
食器棚の前に三人で立ち、カップを並べて入れたのです。 そんな状態で一個のカッ
プに他の二人の目を盗んで毒薬を刑事さんのおっしゃるような微妙な付け方が出来る
でしょうか」
「そんなもん、ちょっと練習したら、目に見えんような技かて出来るようになるわ
い。 スリを見てみい」
「スリと一緒にしないで下さい」
松嶋はあきれて言った。
「さらに、カップの飲み口ですが、一口目に口を付けた位置と、時間を置いての二
口目とではそんなに位置が変わっていたのでしょうか? 普通、人がカップを持つ時、
その人ごとに持ち方に癖があって、大抵いつ飲んでも同じところに口を付けると思う
のですが。 小沢真智子にしても、そんなに変わった飲み方をしたとは思えません」
「よっしゃ、判った。 確かに証拠、証言は無い。 そやけど、松嶋教頭の反論の
方も推測やな。 絶対にそうやないという証拠も無い訳や」
「そうですね」
松嶋は平然と答える。
「わしの言う事が正しいか、教頭の言う事が正しいかは、この本谷真知子が一番よ
う知っとる。 ほれ、今書いた調書にも、ほぼ自供が出とるやないか。 これが何よ
りの証拠になる」
松嶋がその調書を覗き込んだ。 得意刑事の書いた調書には、さきほどの大門警部
補の口述が、そのまま本谷真知子の言ったセリフとして書かれてあった。
「刑事さん。 本谷はこんな事は言ってませんよ」
「本人が認めたら、言うたも同じ事やないか!」
「本人は認めてませんよ」
「認めかけとったのにあんたが邪魔したんやないか。 さ、そしたら署名と拇印を
押してもらおうか」
大門警部補は松嶋を無視し、もう一度調書を本谷真知子の前に突き出した。
「私、署名しません」
今まで黙って聞いていた本谷真知子が、大門警部補を、きっ、と睨みつけて言った。
「何ぃ! この調書の中の事をおまえも言うとったやないか」
「私、そんな事言ってません」
「ふん、言うてない言うても、わしと、この得意が、本谷がこう言うたて言うたら、
証人になるんやで」
「そんな……」
「それはなりませんね」
松嶋が大門警部補を睨みつけて、ポケットから小型のカセットレコーダーを取り出
した。
「こんな事もあるだろうと思って、今までの会話を全部録音していたんですよ。
本人の喋っていない事を喋ったと言われたのでは困りますからね」
「き、きさまあ! こんなもん隠し持ちやがって。 ここがどこか判っとるのか!
警察署内やで。 違法行為やないか」
大門警部補は顔をどす黒くして勢いよく立ち上がった。
「違法行為? どこがです? 何度も言うけど、これは令状に乗っとっての正式な
取調べじゃないでしょう。 現段階ではあくまで任意の事情聴取です。 本人が拘束
されないのは言うまでもなく、聴取そのものも公開の場で行われなければならない筈
です。 密室での取調べがしたければ証拠を固めた上で裁判所に令状を請求して、発
行されてから執行して下さい。 令状の無い限り、私が同席しようが、会話を録音し
ようが問題は無い」
松嶋も負けじと立ち上がって、大門警部補と向い合った。 大門警部補の両の拳が
ぶるぶると震えだした。
「そ、そんなもん、録音したかて、どないなるもんと違うわい」
「そうですか? もし今、あなた方が本谷に無理やり署名させたら、私はこのテー
プを担当検事に提出します。 さらに、公判になった場合には、判事に被告側の証拠
として提出します。 よろしいですね」
「ぎ、ぎざ……まあ……!」
大門警部補の口の端から泡が立ち始めた。
「本人が自主的に署名する分には止め立ては出来ん筈ですね」
このままでは署内での警察官による暴行事件になりかねんと危具した得意刑事が慌
てて二人の間に入って言った。
「そうですね」
松嶋もほっと身を引く。
「そしたら、君、これに署名してくれるか」
得意刑事はもう一度、本谷真知子の前に調書を差しだした。
「私、しません。 こんな事言ってないし、こんな事してません」
もう一度はっきりと言った。
大門警部補は大きな音を立てて腰を下ろし、天井を見上げる。
「本谷、帰ろうか」
松嶋はカセットレコーダーを胸ポケットに納め、本谷真知子に言った。
「はい」
本谷真知子もにっこり笑って立ち上がる。
「よろしいですね、刑事さん」
「ああ、勝手にせえ。 そのかわり、憶えとけよ。 証拠固めて、絶対にこの調書
を生きたもんにしたるからな。 その時はあんたもただやおかへんからな」
大門警部補は低いどすの効いた声で脅し文句を投げかけた。
「証拠がそろってから、話をしましょう」
松嶋は動じずに言い、本谷真知子の肩を押して出口に向かう。
本谷真知子は扉の所で立ち止まり、振り返って大門警部補の顔を見ながら、
「警察って恐い所なんですね」
と、わざと聞こえるような声で言った。