〈17〉




 3

「これ」

 国領香代子が『ミステリアート』の脚本を二冊、竹内と竜崎の前に差しだした。
  部員達が皆帰った後を見計らって、部室から持ち出してきたのだ。 一冊は小沢真智
子のもの、もう一冊は森真智子のものだった。

 「小沢の遺品か」
 竜崎が手に取り、感慨深そうに言った。 今にしてみれば竜崎も小沢に憧れている
ところがあったのかもしれない。
 「裏を見て」
 国領香代子が言い、竜崎も本来の目的を思い出す。
 「よく見ないと判らないけど……」
 竜崎が裏にした脚本を国領香代子が指さした。
「これか……」
 竜崎と竹内が額を寄せ合って脚本の裏表紙を見つめる。

 「許さない、殺す、か。 かすかに読めるな」
 竜崎が言った。 そこには、消しゴムで消してはあったが、かすかに鉛筆の筆圧跡
が残っていた。 それは確かに、許さない、殺す、と読めた。

 「で?」
 「次はこれ」
国領香代子は森真智子のものを差し出す。
 「えー、どれどれ」
 「ほら、中に書き込みがあるでしょ、その筆跡と、こっちの小沢さんのとを比べて
みて」
 竜崎は二人の脚本を並べて、見た。
 「さ……な……い……、えーと、それに、す、か。 す……と、あった。 うーん」
 「似てるでしょう?」
 「確かに、似てるな」
 竹内が何度も見比べてから、言った。
 「うーん? 小沢の方がよく見えんから、何とも言えんけど、似てるって言うたら、
似てるな。 ちょっと癖ある字やし。 と、すると、この、許さない、殺す、を書い
たのは森か」
 竜崎も首を捻りながら言った。
 「このあいだ、森さんが、脚本にクレームつけてきて、その時、こんなふうにした
らってレポートを私に渡されたの。 そのレポートの文字を見て、はっ、て思ったの
よ。 似てるなって」
 「という事は、小沢を殺したのは森か? あの二人は仲良かったと思うたがなあ」
 竹内は二人を思い浮かべながら言った。
 「表面上は仲良かっても、心の中では何考えてるのか判らんのが女やさかいな。
  けど、それにしても、森が殺したっていうのはぴんと来んなあ。 動機があるのは判
った。 けど、そしたら、どうやって殺したんや? 森はコーヒーを入れる時にはお
らんかったし、小沢のカップには触ってもおらん。 部室を出てる間のアリバイは無
いけど、校内にはおらんかった。 動機があっても実行手段が無いで」
 竜崎は両手を広げて、訴えかけるように言った。
 「トリックがあるんや」
 竹内があっさりと言う。
 「どんな?」
 「それが判ったら事件解決や」
 「という事はおまえは、これで森が犯人やと思う訳か?」
 「いや、それは判らんけどな、けど、これも一つの証拠やからな」
 「うーん」
 竜崎は天井を見上げ、考え込んだ。
 

 動機、犯行方法、脚本の筆跡どれを取っても、竜崎には大門警部補の言う事件内容
には納得がいっていない。 特に動機について、女の嫉妬のあまりの殺人なんて、そ
んな前時代的な単純な理由で殺人なんていうだいそれた事が簡単に出来るものなんだ
ろうかと思う。 いくら梅本がもてたとしても、殺人を犯してまで付き合いたいと思
うほどのものだろうかとも思う。 アイドル的な人気で全校的に注目はされていたと
しても、一時的には熱狂的に盛り上がる歌手などのアイドル人気が一過性のごとく冷
めるように、梅本の人気にしたって所詮、本当に自分と付き合える男が出来るまでの
憧れの対象に過ぎないのではないか。 だから、本谷にしても、森にしても、動機は
あるが、それは心の中だけの動機に過ぎないと思うのだった。 空想の世界での殺人
なんて誰でも一度や二度はやっている。 けど、それを実行に移すには、自らの人生
と命を賭けるくらいの決意が無いと出来るものじゃない。 動機はあっても、本谷や
森がそこまで賭けていたとは思えない。
 犯行方法にいたっては、大門警部補の説などまったく的はずれだと思っている。
 本谷にも森にも小沢のコーヒーカップに毒を入れるチャンスはなかった。
 ただひとつ、気になるとすれば、森にアリバイが無い事だ。

 「この事、警察には……」
 国領香代子が竹内にきいた。
 「あの刑事にこんな事言うたら、明日には森が犯人として逮捕されたっていう新聞
記事が出るで。 やめといた方がええな。 もし、森が犯人やったとしても、あの刑
事らの手には落ちんようにしてやらんと。 なあ竜崎よ」
 「ああ……」
 「じゃ、竹田先生には?」
 「……言わん方がええやろ。 ヒステリー起こしてパニクルだけやな」
 「そしたら、どうするの?」
 「もうちょっと考えてみよう。 森のアリバイも知りたいし。 トリックがあるか
もしれんけど、もし、そうやったら、そのトリックを解明してから告発してもええや
ろ。 いや、告発そのものも、するべきか、せんとくべきか、実態が判ってから考え
てもええのと違うか」
 「そう……、人を殺すっていうのは大変な事なんだしね。 もし、本当に殺すつも
りでやったんだとしたら、よっぽどの事があったからなのよね。 先祖代々の恨みみ
たいなくらいの、よっぽどの事が」
 「ああ、そやから、その事情によっては警察なんかに告発してたまるかってところ
もあるかもしれんし。 もし、俺らでそこまで解明出来るもんなら、したろやないか」
 「どないやって?」
 「状況と動機を徹底的に考えていくんや。 あの刑事のやり方でまともに事件が解
決出来るとはどうしても思われへん。 けど、あいつらに出来んでも、俺らにやった
ら出来る事もあるやろ。 この脚本の筆跡見つけたみたいに。 絶対出し抜ける」
 「竜崎君、名探偵みたい」
 「そやろ、僕は知的な人間やからねえ。 腕力だけの竹内と違うて」
 「なにぬかす、たんに警察嫌いなだけやないか」
 「それに、こんな落書きだけで騒ぎたてるのもどうかと思うからな」
 「森さんには直接聞いてみる?」
 「直接聞いても、まともには答えへんやろけどなあ。 実際に犯人やったとしても、
そうでなかったとしても」
 竜崎は森の脚本をつまらなさそうにぱたぱたと振って言った。
 「そやけど、やっぱり聞かんと判らんやろ」
 竹内も難しそうな顔で言った。
 「ああ」
 竜崎は腕を組み、額に指を当てて考え込んだ。 その時、シャッター閉めるぞ、と
言う、ノイローゼになって辞めた用務員の後釜の声が階段下から聞こえてきた。
 「あ、そしたら、脚本返してくるね」
 国領香代子は竜崎と竹内の手から、脚本を取り、部室の中へしまった。
 

 三人で学校を出て、もう陽の落ちてしまった道を阿倍野方面に向かって歩く。
 「腹減ったな」
 竹内が言い出した。 竹内や竜崎達は一日に五回は飯を食べる。 クラブ帰りの頃
が一番腹が減る頃だ。
 「そやな、何か食って帰るか」
竜崎も腹が減っていたところだった。 相づちをうつ。
 「明洋軒のラーメンか、古梅のお好み焼きか」
「美章園のいか焼きか」
「……あの、竜崎君」
 空腹に迫られてメニューを思いめぐらしている竜崎に国領香代子が声をかけた。
 「何や? リクエストか?」
 「いえ、あの、お願いがあるだけど」
 「ん?」
 「……竹内君と……二人にしてしてほしいの」
 「?!」
 いつかはこういう事も言い出すんじゃないかとは思っていたが、そのセリフが竹内
からではなく、国領香代子の口がら出た事が驚きだった。
 「いや、ええんやで」
 竹内が口ではそう言ったが、顔には国領香代子に実質的に誘われたという驚きと喜
びが満面に出ていた。 竹内にしても意外だったのだろう。
 「……そうか、そしたら、俺は帰るわ」
 「竜崎、悪いな」
 竹内は悪そうに言った。 まあ、竜崎にしてみれば、仲間にとってめでたい事では
あるので、あえて邪魔するつもりはない。
 「そしたら、明日な」
 「おう」
 「さようなら」
 竜崎は二人から離れ、一人地下鉄方面へ向かった。
 振り返ると、国領香代子が竹内の腕にしがみつくようにして歩いていく後ろ姿が
見えた。



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憂想堂
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