〈18〉




 4

 昼休みの図書室。

 しん、と、静かな本達の狭間。 閲覧テーブルの前に森真智子が座っていた。
 長く、柔らかい髪と白い頬。 やや陰りのある深い色の瞳。 見る者誰をも引き込
まずにおかない美しい女生徒だ。 なんて、図書室の似合う、きれいな子なんだろう
と、竜崎はため息をついた。

 学生時代という歌があり、その中で『その美しい横顔、姉のように慕い、いつまで
も変わらずにと願った幸せ』とあったけど、まさにその歌詞は森真智子の為にあるの
ではと思えるほどだった。

 「座ってもええかな」
 竜崎は返事を待たずに森真智子のテーブルをはさんだ向いの席に腰を下ろした。
 「珍しいのね」
 「たまには本くらい読まんとね」
 手に持った乱歩を開いた。
 「なあに?」
 「ん?」
 「私に用があるんでしょ」
 森真智子は少し陰りのある笑い顔を向けて言った。 この笑顔に騙されるやつも多
いんやろなあ、と竜崎は畏怖した。
 「ああ、……小沢さんの事やけど」
 森真智子も、もちろんその事だろうという顔で、こくりとうなずく。
 「警察がいろいろ調べてるけど、一向に犯人のめどはついてないみたいやな。 い
ろいろ仮説は立てとるけど、どれもこれも当てずっぽうばっかりで、犯行のトリック
もまだ判っとれへん。 まったく警察は何をしとるんや、と思うけど、この事件は単
に警察をぼんくらと非難出来へんくらいに難しいとこがあると思うんや。 犯行の動
機も判らんし、犯人が小沢を狙ろたんか、それとも他の部員を狙ろたんかも判らへん。
 まるで何から何まで判ってへん。 幽霊のたたりやて言うやつもおるけど、まあ、
それは置いといて、よっぽど巧妙なやつか、悪運の強過ぎるやつなんかもしれんな、
犯人は」

 森真智子はじっと竜崎の顔を見ながら聞いている。 竜崎が何を言わんとしている
のかを読み取ろうというように。

 「俺としては、やっぱり、友達が殺された訳やから、一刻も早く犯人を見つけて欲
しいところなんやけど、森さんも見ての通り、あの刑事やろ。 あいつらの人格から
して、もし犯人が捕まったら、連中は殺す側の事情なんか一切無視して、ただ凶悪犯
逮捕って騒ぎたてて、マスコミにこれみよがしに流してしまいよると思うんや。 人
を殺すていうのはよっぽどの事やからな、殺す側も追いつめられての事や。 そこら
へんを理解して対応してもらわんとな、かわいそうやで」
 「竜崎君は、犯人はこの学校の生徒だと思ってる訳?」
 「出来たら、そうあって欲しないとは思てる」
 「けど………」
 「犯人が誰であっても、あの刑事らには直接犯人を見つけて欲しない。 出来たら、
あの連中より俺が先に犯人を見つけて、なんとかしたいと思うんやけど」
 「なんとかって?」
 「事情によるけど、警察に捕まらんようにしてやるとか」
 「それって犯罪じゃない」
 「警察に協力する事だけが正義やないで」
 「……竜崎君は、私を疑ってる?」
 「森さんにはアリバイが無い。 それに、動機が……」
 「私に動機が? どうして?」
 「勘違いせんといてほしいんやけど、俺はあの刑事と同じ考え方で動機を問うてる
のと違うで」
 「?………」
 「……脚本の落書きや」
 「…………」
 「もちろん、あんなもんはほんのいたずらやとは思うんやけど」
 「…………」
 「森さんがってところが意外やったし」
 「竜崎君が見つけたの?」
 「ああ、偶然やけど」
 国領香代子が見つけた事は伏せた。
 「……あれはね、小沢さんの目の前で書いたのよ」
 「目の前?」
 「冗談でね。 よくやるの、皮肉りあいとか。 女同士のブラックジョークよ。
  小沢さんに絵里衣役が決まったから、なによって感じで」
 「小沢も冗談として受け取ってた?」
 「笑ってた」
 「うーん」

 これは、どう受け取るべきだろう。 嘘をついてるようにも思えないが。

 「竜崎君は信じてくれると思うけど」
 「そうかな? けど、信じたいとは思うで。 俺にはね、アリバイについても、確
かに疑う要素はあるけど、森さんがアリバイをはっきりさせたがらへんのは、森さん
自身が犯人で、犯行を隠す為にそうしてるのと違うて、他に警察なんかには知られと
うない何かがあるからと違うやろかと思えるんや」
 「何か?………」
 「もし、森さんが犯人やったら、もっとはっきりアリバイを立証させようとするや
ろし、突っ込まれたら、動揺すると思う。 けど、あんたはいつも落ち着いてた。
心証としては犯人とは思われへんけど、何か隠してるんやないかとも思えるんや。
事件に関係する何かを」
 […………」
 「もし、あの事件の日に森さんが事件に関する何かを見たとか、誰かと会うたとか
したのやったら、言うてもらわれへんやろか」
 「…………」
 「俺は警察の手先になって犯人を逮捕したいとか、手柄を立てたいとか思うてるの
と違うんや。 いや、むしろその反対かもしれん。 判ってもらえるやろか」

 森真智子は黙ったまま、手元の本に目を落とした。 考えているのか、竜崎を無視
しだしたのか判らない。 竜崎は手順を誤ったかと思った。

 「竜崎君……」
 ふいに声を出した。
 「ん?」
 「乱歩読んでるのね」
 「あ、ああ」
 思わず手元を見た。 別に意識した訳ではないが、この図書室で竜崎の興味をひい
て読めるものはこれしかなかったのだ。
 「探偵やるの?」
 「警察嫌いなだけや」

 森真智子は竜崎の目を見つめたまま考え込んだ。 まるで試されてるみたいだと思
うと合わせる視線がきつくなる。

 「……竜崎君はプライバシーを尊重してくれる?」
 「は? プライバシー? ……ああ、もちろん」
 「守るだけじゃなくて、竜崎君自身も好奇心を持ったり、興味本意で見たりしない?
 スキャンダルに群がるマスコミみたいに」
 「スキャンダル?」
 「そう」
 「俺は武道家やで。 興味無い」
 「…………」
 「…………」
 「……事件の時、部室を外から眺められる所にいたの」
 「外から?」
 「旧校舎を学校横の建物の間から見る事の出来る所」
 竜崎は頭の中でそんな場所はどこかいなと、思い浮かべた。
 「喫茶店か何か?」
 「マンション」
 「マンション?」
 旧校舎を横の建物を隔てたマンションに住んでいる人物が思い浮かんだが、まさか?
 「マンションというと、あの、もしかして……」
 「竹田先生の部屋」

 竹田悦郎。 竹田女史の亭主で、映研部の顧問だ。 旧校舎を一望出来る場所にあ
るマンションの五階に家族で住んでいる。 そういえば、竹田も事件の時にはいなか
った。

 「どうして?」
 「文句を言いに行ってたの」
 「文句?」
 「私、絵里衣役やりたかったの。 脇役なんて嫌だった。 特にマチコ達の脇役は。
だから、前から内田先生にお願いしてたの」
 「…………」

 その見返りは、と聞きたいところだが、あえて言わない。

 「それなのに、小沢さんが役取っちゃったから。 竹田女史の言いなりになって何
も出来なかったから、だから、文句を言いに行ってたの」
 「…………」
 「軽蔑……するよね」
 「……いや、それで?」
 「癪に触っていたし、私がいなくて練習困っているところを見てやろうと思って、
竹田先生の持っているカメラの望遠レンズで窓から旧校舎を見てたの」
 「事件の時を見てた?」
 「でも、校舎の部室の前には植樹が並んでいて、窓なんかほとんど見えないの。
それでも、わずかにあいた隙間から見てると、部室の窓が半分ほど見えたのね。
なんとなく皆で本読みしてるなってくらいしか見えなかったけど、そのうち皆が部
室を出て行ったの」

 旧講堂へ行った時だ。 竜崎は身を乗りだした。

 「なんだ、と思ってカメラ置いて、またちょっとしてから、覗いたら、こんどは
一人だけ中で何かしてるのが見えたわ」
 「一人だけ? 皆じゃなくて?」
 「うん、一人だった」
 「誰?」

 まさに、それが犯人だ。

 「それが、判らないの。 ほんのかすかにシルエットでしか見えなかったから。
窓が全部見えてた訳じゃないし。 それに、すぐ出て行ったみたいだったし」
 「ちょっと待って。 出て行ったって、入口から?」
 「え? ええ、そうでしょ? あの部屋、入口ひとつしかないし」
 「そうでしょって、見えへんかったんか?」
 「だから、私の位置からじゃ、窓の半分しか見えなかったし、私は五階で、部室
が三階でしょ、角度があって、入口は見えなかった。 それに、ほんのかすかなシ
ルエットで人影だなって判る程度なのよ」
 「うーん」
 結局何も判らないって事だ。 せっかく犯行そのものを見てながらなんともった
いない事を、と歯ぎしりしたが、しかたがない。
 「……それから?」
 「それからは。 皆なかなか帰ってこないし、私は竹田先生と話をしているとこ
ろだったから、カメラを置いて、次に見た時には、もう部室の中は大騒ぎになって
いて、何か大変な事があったって思って……」
 「その時、竹田は?」
 「今、飛んで行ったら、二人の立場が危ないから、お互いに知らなかった事にし
ておこうって」
 「ふーん」

 竹田悦郎。 軽蔑すべき教師だが、もし、自分がその場にい同じ状況で居合わせ
たら、はたしてすぐに現場に飛んで行ったかは疑問だし、口止めしなかったという
自信はなかった。

 「まあ、それはええけど、もう一度よう思い出してみて。 皆が出て行った後で、
すぐに入ってきた人間。 全然誰やったか見当つけへん?」
 「うん、本当によく見えなかったし、まさか、その後、あんな事件になるなんて
思わなかったから、そんなに注意して見てなかったのよ」
 「そやわなあ」
 自分でも見んわなあと思う。
 「そしたら、そのシルエットが見えたのは、皆が出て行ってからすぐやった?」
 「えーと、すぐって言っても、五分くらいは経ってたんじゃないかな」
 「どのくらい部屋の中にいた?」
 「判らない。 最後まで見てないから」
 「うーん」
 部屋にいた時間が判れば、狙いは小沢真智子にあったのか、それとも部員の誰で
もよかったのかが判断出来るのだが。
 「うーん」

 竜崎は考え込んでしまった。
 これで大門警部補の、カップの縁に毒を塗っての説は消えた。 だが、そしたら、
どうして犯人はあの部屋に入ったのか? 部室前には居残りの生徒が何人もいた。
 その目を盗んで合鍵で入ったという事か? そんな事が出来るのだろうか? 屋
根からロープをつたって窓に下りてきたって説は警察の調べで消えている。 とす
ると、壁でも抜けたとしか考えられない。 あの旧校舎はとんでもなく古いから壁
抜けの仕掛のひとつやふたつあっても不思議じゃないが、そんなものがあるのなら、
校長や教頭は知っているだろう。 あの連中が知らん顔してるとも思えない。 と
なると、竹内の言っていた、ロッカーの中に潜んでいてって説が有力になる。 出
る時は竹内のごとく窓から飛び降りる、だ。 森真智子は窓を見ていたが植樹が邪
魔をしていて、窓半分しか見えなかったのだから、その隠れた半分から飛び下りれ
ば、見えなかったのではないか。
 けど、それにしても、竹内以外で三階の窓から飛び降りようという酔狂なやつが
いるだろうか? それが疑問だ。

 「判らんなあ」
 「竜崎君」
 「ん?」
 「さっきから、五時限目の予鈴、鳴ってるよ」
 「お、そうか」
 気が付かなかった。
 「行こう」
森真智子にうながされて図書室を出た。
「竜崎君」
 「ん?」
 「あの、竹田先生の事は……」
 「俺が喋ると思うか?」
 「ううん、ありがと」

 森真智子は小さく笑い、自分の教室へ向かったが、竜崎はこんなに考える事がある
のに、この状態で授業など受けてられる訳がないと、エスケープを決めて“ギン”へ
向かった。

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憂想堂
E-mail: yousoudo@fspg.jp