3
工芸高校の周りには前以上の数の報道陣が群がった。
そんな騒々しさの中で、映研部員達は再び部活の再開を学校側に申し入れていた。
竹内も誘ったのだが、行こうとしない。 最近、竹内には国領香代子がへばりつい
廊下を少し歩いたところで、後ろから声をかけられた。
三人は並んで中庭に出る。
カメラを設置したり、ラックを組んで放送機材を設置したり、脚立を立てて、その
上に腰をおろしてカメラを構えたりと物々しい光景が校門周辺に展開している。 突
撃レポーターが塀を乗り越えて校内に入り、捜査中の警察官につまみ出されるという
一幕もあった。
校長室の電話はインタビューに応じて欲しいという取材申し込みで、ひっきりなし
に鳴っている。 中には、取材に応じなければ容疑のある生徒を実名を出して掲載す
るぞと、脅迫してくる新聞社もあった。
一番問題なのは、記者やレポーターが、登下校の生徒達を捕まえて、あれこれ聞き
出す事だった。 生徒達は興味本意で、聞かれるままにどんな事でも平気で喋ってし
まうものだから、事実にどんどん枝葉が付き、誇張された記事が次々と報道されてい
った。
「え、小沢さんと本谷さんは、確かに犯罪に巻き込まれました。 けれど、それは
被害者としてです。 彼女達は何も悪い事はしてませんし、僕達も何もしてません。
もしも、部員が不祥事を起こしたというのなら、高校野球みたんに出場停止処分され
てもしかたありませんけど、え、それでも、野球部の場合は練習は出来る訳です。
えっと、だから、部員が加害者として殺人事件を起こしたのなら、僕達も潔く部活を
停止しますけど、悪い事何もしていないのに部活を止められ、映コンに参加が出来な
くなるなんて、納得出来ません。 お願いします。 部活を続けさせて下さい」
部長の川勝が目に涙を溜めて、校長、教頭に訴えた。
一度目の時は竹田女史も部員の側に立ち、部活再開を学校側に申し入れたものだが、
さすがに今回は気落ちしてしまって、部員達に嘆願をすぐに聞く気持ちになれないで
いる。 反対に以前は何も言わなかった竹田悦郎教諭が部員達の肩を持ち、川勝と一
緒になって校長に訴えた。
「純粋な生徒達の部活にかける情熱を卑劣な犯人の異常な行為でもみ消されてしま
って良いものでしょうか。 たった一度しかない青春をこんな隠見な手口で壊されて
も良いものでしょうか。 もし、ここで部活を断念し、映コンに参加出来ないなどと
いう事になれば、部員達の心に一生消えない悔いを残すと思います。 我々教職にあ
る者が、生徒達の心に傷を残すような事は出来ません。 何とか部員達の熱意に報い
てやって下さい。 お願いします」
横で聞いていた竜崎は、何をぬかすかこの野郎、と思ったが、部活再開を真剣な顔
で嘆願している森真智子の顔を見ていると、釈然としないままも、まあ頑張ってくれ、
という気にもなった。
そこから、囲碁なら相手が頭にきて、碁盤を蹴っ飛ばして帰ってしまうくらいに長
考していた校長が、やっとの事で口を開いた。
「皆さんの気持ちはよく判ります。 判りますが、事は殺人事件です。 生徒が二
人も殺されているのですよ。 しかも、犯人はまだ捕まっていない。 犯人の狙いは
何なのかも判っていない。 もしも、犯人の目的が部活の阻止だったらどうするので
すか。
部活を続ける限り、犯行を繰り返すかもしれません。 そんな危険な状態の時に部活
の再開はちょっと許可しかねます」
「それなら、犯人が捕まって、事件が解決するまで部活は許可していただけないん
ですか?」
「出来ればそうした方が良いでしょう。 警察の方々も一生懸命に調べて下さって
る事ですし、案外早く犯人が捕まるかもしれません。 そしたら、安心して部活が出
来るのですから。 そうですね、刑事さん」
校長は捜査の為に学校に来て、この場に同席していた大門警部補と成田刑事、それ
と、もう一人の派遣刑事である山神刑事に同意を求めた。
「うん、そやな、そないしといた方がええやろ」
大門警部補はさも当然とばかり、腕を組み、ふんぞり返って答えた。 署外では、
あくまで自分の方が派遣刑事達よりも上司であるという態度をとっている。
「いや、ちょっと待って下さい」
今まで黙って聞いていた成田刑事が、いきなりという感じで立ち上がり、校長の席
までやって来た。
「今、聞かせていただいてますと、生徒さん達や顧問の先生の部活への情熱は心打
たれるものがあります。 実は私も学生時代はずっとクラブ活動をしていましてね、
剣道部でしたが。 今振り返ってみて、高校時代の思い出と言うと、剣道やってる思
い出しかないんですよね。 勉強してた思い出なんかありません。 練習の苦しかっ
た事とか、剣道仲間との事とか、特に、試合で勝ったり負けたりした事なんか今だに
良い思い出として残っています。 試合を君達の場合と置き換えれば、さしずめ映画
コンクール参加というところですか。 そんな青春時代を飾る部活を卑劣な犯罪によ
って壊されてしまうなどとは許されない事です。 将来、生徒達の財産となる思い出
を取り上げてしまう事になります。 どうでしょう、校長先生、部活を再開させてあ
げてはどうですか? 確かに危険が無いとは言えませんが、前回とは違い、事件が解
決するまでは我々も校内に張り付きます。 犯人もおいそれとは手が出せなくなると
思いますが」
「刑事さん方が部員達の身辺警護をして下さるんですか?」
校長がおずおずという感じで聞く。
「それに準じた形は取れると思います。 危険があれば守ります。 警察を信頼し
て下さい」
「……判りました。 生徒達の情熱にも打たれましたし、刑事さんのお言葉にも感
銘いたしました。 出来るだけ生徒達の希望を叶えてやりたいと思います。 ただ、
この件につきましては、私の一存という訳にはゆきません。 職員会議にかけて、決
議を得てからという事になりますので、それまでお待ちいただけますか」
校長は警察の後ろ盾を得たという安心感からか、穏やかに言った。
「宜しくお願いします」
川勝はそんな校長と成田刑事に向かって、深々と頭を下げる。
「よかったな」
成田刑事は川勝に、やさしく、そして力強く声をかけた。 まるで頼りがいのある
兄貴が弟を励ますかのように。
竜崎はそれを見ていて歯が浮いた。
とりあえず、嘆願はこんなところだと、竹田女史が部員達をうながして、校長室を
出た。
竜崎と松嶋も廊下に出る。 映研部は危機にあっても柔道部は健在だ。 二人で道
場に向かった。
ている為、どうも竜崎とは波長がずれてきている。
「教頭先生。 竜崎君」
成田刑事が追いかけてきたのだ。
「は?」
「ん?」
「どうも、いや、ちょっと、お二人と話がしてみたいと思ったものですから、あ、
勘違いしないで下さい。 事情聴取とか取調べとかじゃありませんから」
「と言いますと?」
「警部補殿が随分お二人の事を誉めてましたものでね」
「なるほど」
あの大門警部補のどす黒く変色して人を罵倒する姿が目に浮かぶ。 松嶋は苦笑
し、竜崎はふん、と鼻で笑う。
「それじゃ、どうです、中庭にでも出てみませんか」
松嶋が気をきかせて誘った。
「よろしいですね」
手入れのゆき届いていない花壇と植樹の間を通り、中央の噴水のほとりまで行く。
脇のベンチに腰を下ろした。
「凄いですね」
成田刑事が旧校舎を見上げて感心したように言った。
「御影石と赤レンガ造り、屋根は銅板葺きで、屋根窓なんかが並んでいて、しか
も、この重厚な造作。 壁のあの蔦のからまり具合いなど、何とも言えませんね。
まるでロンドンあたりの古い貴族の城を見てるみたいだ」
「行かれた事あるんですか? ロンドンに」
「写真でね」
「大正時代の建物です。 当時流行した西洋建築の様式を多く取り入れていて、
その時代では、超近代的な建築物だったようですね」
「そうですか。 でも、凄いですね、こんな立派な建物がさして有名にもならずに
高校の校舎として無造作に使われているなんて。 この建物と同年代で、同様式で建
てられた中之島界隈の建物などは、大阪の人間なら知らない人はいないくらいに有名
だし、文化財指定を受けているんじゃないですか」
「一応、保存建築指定は受けておりますがね、だいぶ老朽化してきたんで、取り壊
そうかなんて話も出てきてますよ」
「もったいない」
「しかたないですね。 国の建物なんですから、我々がどうこう出来るものでもな
いですよ」
「そうですね」
成田刑事は惜しそうな顔をして、L字型になった旧校舎とそれに直角に接続してい
る旧講堂を眺め回した。
「で、私達に何かお話とは?」
枕はこんなところだろうと松嶋が口を切る。
「いや、そんなあらたまってもらう程たいそうな事じゃないんです。 さっきも言
いましたけど、大門警部補の話からあなた方に興味を持っただけですから」
「お誉めいただいてたそうで」
「は、は、気にしないで下さい」
成田刑事は、年齢は三十代後半。 やや痩せ方で、背も高い。 体型的には大門警
部補とは対象的だ。
「教頭先生、実を言いますと、こちらに来てから捜査報告書や現場記録等に目を通
して、実際に現場も見ているんですが、今のところ、全く何の手がかりも見つけられ
ない状態です。 情けない話なんですが、どうも事件発生当初からの捜査方法に誤り
があったようです。 何か肝心な事を見落としている様な気がしてなりません。 見
落としたまま強引に進んで来たが為に、第二の犠牲者を出してしまったんだと思うん
です」
竜崎も全くその通りだと思っている。 それもこれも全てあの馬鹿刑事がと思うと
腹が立つ反面、目の前の成田刑事を哀れにも思った。
「では、何故見落としたか? それは本谷真知子にばかり捜査の目を向け過ぎてい
たからです。 彼女が犯人だと決めつけてしまい、他に目を配る余裕を無くしてしま
ったという事です、いまいましい話ですがね。 ところが、あの大門警部補が本谷真
知子を犯人と断定しているさなか、あなたは本谷真知子は犯人ではないと確信してら
したようですね。 それはどうしてですか? 何か根拠でもおありでしたか?」
これは竜崎も思った事だ。 たんに生徒をかばう為だけと言うのは詭弁のような気
がする。
竜崎と松嶋はもう二年半のつきあいだ。 柔道部の部員と顧問の関係で、合宿など
では寝食を共にしたりもする。 いわば同じ釜の飯を食べあった仲だ。 通常の生徒
と教師の関係以上の関係がある。 その竜崎だから、今回の松嶋の行動には首を捻り
たくなる要素があると気がついたのだ。
松嶋は教師という立場上、生徒を庇護するが、自分の立場を危うくしてまで守りき
る熱血タイプではない。
「いえ、別に根拠はありませんが、心証と可能性を考えると、本谷が犯人とは考え
られないだけですよ」
松嶋はそんな竜崎の思いを知ってか知らずか、そつなく答える。
「どんなふうにですか?」
さすが成田刑事もそつなく突っ込んでくる。
「事件後の本谷の態度に不自然さがありませんでした。 私は二年間本谷を見てき
ましたが、本谷は喜怒哀楽が割合はっきり出るタイプです。 精神的にもそんなに強
い方じゃないですね。 もし、本谷が殺人を犯していたとしたら、とてもあんな態度
ではいられない筈です」
「教師としての直感ですか」
「そんなところです。 それと、可能性なんですが、大門刑事さんのおっしゃるよ
うな、その場にいた部員達の目を盗んでコーヒーカップの縁に毒薬を塗り付けるなん
て不可能だと思うのです。 殺人のプロか手品師ならいざしらず、本谷は図案科での
デッサンを見ればよく判るんですが、そんなに手先の器用な子じゃなかった。 無理
ですね、あれでは。 仮にうまく塗れたとしても、小沢が一口目と二口目を違う所か
ら飲んだなんていうのも不自然です。 もし一口目に毒薬が口に入ったらどうするん
ですか。 一発で犯人だとばれてしまいますよ。 別にばれても良いという覚悟があ
るのなら、何も縁になんか塗り付ける必要は無いんです。 そんなややこしい事をし
なくても、最初からカップの中へ混ぜてしまえば済む事ですから」
「なるほど、随分よく考察されてますね」
成田刑事は感心したような顔で言う。 竜崎はその顔を演技だと思った。
「素人感です」
「いや、立派な根拠ですよ。 警部補もそこまで考えてくれていたら、こんな回り
道はしなくて済んだんですが。 それで、それだけですか?」
「それだけとは?」
「いえ、それ以外に根拠、あるいは感じられた事があればと思ったのですが」
やはり、これまでの話だけでは満足していない。 そのくらいの事はもうとっく判っ
ているのだと言わんばかりだ、と竜崎は思った。 同時に油断のならないやつ、と。
「それくらいですね」
「そうですか。 いや、警部補の話によると、教頭先生は理論派で実証主義だとい
う事でしたので、確信を持っていられるという事はやはりそれなりの証拠を掴んでら
っしゃるからなのかなと思いましてね」
「残念ながら」
「……まあ、いいでしょう。 証拠は無くても先生の推測は正しかったようですか
ら」
「どうも」
「えーと、先生、煙草吸ってもかまいませんか? 校内ですが」
「かまわないでしょう。 未成年じゃないんですから」
松嶋は竜崎の方をちらりと睨んで言った。
成田刑事は胸ポケットから煙草を取り出す。 竜崎は自分のポケットにあるライタ
ーを意識したが、取り出すのはやめた。 成田刑事は自分で火をつける。
「竜崎君は推理小説をよく読むかい?」
いきなり質問を自分に振ってきたので少し驚いた。 不意打ちやなと思う。
「たまにですね」
「僕は学生時代によく読んでいてね。 好きだったんだね、複雑に入り組んだトリ
ックをひとつひとつ解明していくのが。 話を最後まで読まずに、一通り事件が出そ
ろったところで本を閉じて自分で推理するんだ。 そして結論が出て、犯人の予想が
ついたところで残りを読む。 自分の推理と種明しが一致していた時は嬉しいもんで
ね。 作者との知恵比べに頭脳勝ちしたような気がするんだよ。 特に密室ものなん
かが好きでね、そういうシチュエーションがあればわくわくしながら読んだものだよ」
「今はわくわくしてるんですか?」
「密室ものだからね」
「完全な密室やないですよ。 窓は開いてたし、天井裏からも入れる。 何より、
合鍵があったら簡単に出入り出来る」
「そうなんだ。 簡単な事なんだ。 一見複雑そうに見えるトリックでも種を明か
せば単純な仕組みで出来ているものなんだ。 けど、単純なものほど、解明しにくい
ものを持ってる。 仕掛けが多ければ多いほど糸口も多いものだけど、単純なものは
糸口が少なくて掴みどころがない。 今回の事件もそうだ。 もし密室の種明しが合
鍵だったとしたらどうだ? 容疑者の数はおそるべき数になってしまう。 合鍵なん
て誰にでも作る事が出来るからね。 学校内に入る事の出来る人間全てに可能性があ
る事になる。合鍵を作った所を捜すかい? 日本中に合鍵屋はゴマンと有るよ」
「…………」
「単純なものほど難しいものなんだ。 ところがね、竜崎君、僕は合鍵説にも疑問
を持っているんだよ」
「…………」
「何故かと言うと目撃者がいない。 放課後とはいえ、校内にはまだ沢山の生徒達
が残っていた。 映研部の部室の並びは教室がずらりと続いているね。 その前の廊
下にも何人かの生徒がいた。 合鍵を使って入口から入ったのだとすれば、その連中
の目に入らない訳がない。 目撃者捜しは懸命にやっているにもかかわらず、部室に
誰かが入って出たのを見た者は一人もいない。 これはどういう事だろう? 廊下に
誰もいなかった瞬間があり、その隙に入り、また出る時も誰にも見られなかった。
そんなに都合よく事が進むものだろうか? 疑問だね」
それが竜崎にとっても一番の疑問だった。
森真智子の話によると、部員達が部室を出て行ってから、しばらくしてから一人の
人間が部室の中に入ってきている。 窓から入ろうにも、屋根からロープを伝ってで
もない、あの窓の近くには樋やパイプ等のよじ登れる物も無い。 という事はやはり
入口から入った、もしくは、部室の何処かに最初から隠れていたという事になる。
最初から隠れていたにしても、出なければならないから、やっぱり入口を利用しなけ
ればならない。 という事は、よっぽど廊下にいた生徒達の隙をついたか、偶然にも、
その時には廊下は無人状態であったか、としか考えようがない。
「確かに疑問やけど、けど、合鍵で入ったからには、そういう隙があったんでしょ
う」
「……? 竜崎君、今、合鍵で入ったからにはと、随分断定的な言い方をしたけど、
何か思い当たる事でもあるの?」
成田刑事はいきなり竜崎の言葉尻を捕まえてきた。 油断のならんやつめと竜崎は
思う。
「いや、言い方が悪かっただけです。 仮に合鍵で入ったのだとすればと言うべき
でしたね」
「……そう。 ま、いいけどね。 仮に合鍵で入ったのだとすれば、やはり隙があ
ったとしか考えられない訳だ」
成田刑事が竜崎の答えに納得したのかどうかは判らないが、話を続けた。
「もし、廊下に生徒達がいて、隙が無かったとしたら、やはり合鍵説はつぶれてし
まう事になる」
「廊下にいた連中全員が犯人なんと違いますか。 それで皆黙ってる」
「はっはっは、竜崎君、結構読んでるんじゃない、推理小説を。 確か、そのネタ
はクリスティだったかな?」
「可能性なきにしもあらずですよ」
「まあ、それは置いとこう。 で、合鍵説がつぶれたとしたら、他の可能性とすれ
ば窓か天井の点検口だね。 まず、点検口には人の出入りした形跡は無かった。 で
は窓か? あの窓の上の屋根にはロープ等で人の降りた跡は無かった。 びっしり絡
みついているあの蔦も人間の重さを支えきれない。 それに、あの窓はいくら道路に
は面してないとはいえ、植樹の間から誰も見ていなかったのか? これまた目撃者が
出てこない」
一応、目撃者がいる事はいるのだが、それを言う訳にはいかない。
「今のところ考え得る可能性には全てに疑問があるね。 密室が完成している訳だ。
もしも、意図的にあの密室を作り上げたのだとすると、犯人はよほどの知能の持ち主
なんだろうね」
「腕が鳴りますか」
「ああ、鳴るね」
「…………」
竜崎はこの成田刑事が何故ここまで捜査の状況を自分に話してくれるのか判らなか
った。 警察が一般の人間に捜査状況を漏らすなんて事は普通考えられない。 何も
無しに、ただ喋るのが好きなまぬけでもなさそうなので、これはやはり何かの下心を
持っての事と思われるが、その意図が判らない。 いわばまだ正体が判ってない状態
なので、こちらにしても、どう受け答えしていいのか判断に苦しむ。 大門警部補の
ように、あからさまな加虐意識が見えているのなら、こちらとしても態度をはっきり
と出来るのだか、この成田刑事は何を考え、何をしようとしているのかが読めない。
油断出来んぞと竜崎は気を引き締めた。
「それから、第二の密室」
「舞台の袖部屋ですか」
「そう。 袖部屋には出入口が二つあった。 舞台脇の出入口と舞台上手に出る溜
りだ。 本谷さんは脇の入口から入った。 そして、そのまま出てこなかった。 こ
れは竹田先生と梅本君が見ている。 それでは、もうひとつの出口、舞台上手、ここ
にも何人かの部員達がいたけど、誰も本谷さんの姿を見ていない。 つまり、どちら
からも出ていないという事だ。 皆の証言を信じれば、だけどね」
「皆が揃いも揃って偽証してる可能性もある」
あの竹内にしたところで、袖部屋のすぐそばにいたのだから、疑おうと思えば出来
ない事はない。
「あるね、……うん、ある」
「皆の証言が全く正しいんやとすれば、本谷はまさに、あの部屋の中で消えたんで
すわ」
「何かトリックがあるんだよ」
「袖部屋のどこかに我々の目につかない秘密の抜け穴があって、本谷はそこか出て
行ったとか」
「床、壁、天井、全て調べているよ。 どこにもそんな仕掛は無かった。 アリの
這い出る隙間も無い。 床も壁も蹴飛ばしてみたけどね、びくともしなかった」
「まさに密室ですね。 燃えるでしょう」
竜崎は自分で言って、これは己にも言えるセリフだと思った。
「燃えるね、癪にさわるほどに。 そして、第三の密室だ。 死体発見現場。 前
日、舞台の上には何も無かった。 舞台だけじゃなく、袖部屋にも旧講堂内にも何も
無かった。 それを確認の上、入口を施錠してる。 警察署員がね。 ところがどう
だ。 翌日には誰も入れる筈のない旧講堂の舞台の上にちゃんと死体はあった。 そ
れも、運ばれてきた死体がだ。 どういう事だ? これも合鍵説で片付くかい? 夜
とはいえ、用務員も警備員もいたし、第一、旧講堂にたどり着くまでには正門、一階
階段シャッター、旧講堂入口と三つの鍵付きの関門をくぐらないといけない。 それ
も、死後まる一日以上経って、硬直している死体を担いでだ。 誰にも見られず、物
音も聞かれず、そんな事が出来ると思うかい」
「けど、現実に起こってるやないですか」
「ああ、だから、判らない」
成田刑事は煙草をベンチ下に捨て、足でもみ消した。 口では判らないと苦しそう
に言っているけれど、その目はじっと竜崎と松嶋の顔の動きを追っている。 やはり、
反応を観察してやがるな、と、竜崎は益々警戒した。
「けど、可能性はあるでしょう」
「どんな?」
「窓ですわ。 袖部屋のものに限らず、旧校舎中の窓は枠が錆ついてて、まともに
施錠出来る所は少ないんやから」
「それも部室の場合と同じだよ。 あの高さの窓からは飛び降りる事もよじ登る事
も出来ない。 閉まっていたも同じだね」
「用務員が犯人やとしたら」
「合鍵を作る必要も無い。 夜中に校内を歩き回っても不審がられない、か」
「まさに犯人にはうってつけですな」
「だめだね。 アリバイがある。 用務員は第一の事件の時と第二の事件の時とは
替わっているだろ。 第一の時の用務員は幽霊騒ぎの時、恐怖のあまりノイローゼに
なってまだ入院したままだから、第二の事件のアリバイは完璧だ。 第二の時の用務
員は第一の事件の時にはこの工芸高校の存在すら知らない他県の人間だった。 もち
ろんアリバイも証明されている。 この二人はお互いに面識もなければ接点も無い。
二人がふたつの事件をひとつずつ受け持ったとは考えられない」
「用務員は学校中の鍵を預かる立場にある訳ですから、よほど身元がしっかりして
いて信頼の置ける人間でなければなれません。 前の用務員も今の用務員も教育委員
会の紹介によるものです。 しっかりしたものですよ」
竜崎と成田刑事のやりとりを黙って聞いていた松嶋が横から口を挟む。 松嶋にし
たところで、成田刑事の意図がまだ判っていないだけに対応に苦慮しているのだろう。
「そうでしょうね。 そうなると、もう益々判りません。 普通、犯行を重ねれば
重ねる程、ボロを出す機会が増えるものなんですけね。 まだ何の尻尾も出さない。
よほど巧妙なのか、運が強いだけなのか」
「刑事さん」
松嶋が言った。
「は?」
「今、犯行を重ねれば重ねるほどボロを出す機会が増える、とおっしゃいましたね」
「ええ」
「機会を増やそうとしてられるんですね」
「?……どういう事です?」
「部活の再開の事ですよ。 犯人の目的が演劇部の部活にあるとすれば、部活を再
開すれば、また何らかの動きがあるとお思いなんでしょう。 その為に青春がどうと
か学生時代の思い出がどうとか、歯の浮いたセリフを臆面もなく並べたてられた、と
見ましたが」
「……ふふ、いえ、あれは純粋に生徒達の気持ちを汲んでの事ですよ。 他意はあ
りません」
「犯人逮捕の為に、生徒達をさらに危険な状態にさらすつもりですか」
「あくまでも私は彼らの青春に味方しての発言です。 それだけですよ」
「まあ、いいでしょう。 はたしてあなたの思惑通りにいくかどうか」
「…………」
成田刑事も松嶋も黙ってしまった。 中庭の荒れ果てた植樹園を見ながら互いに次
の言葉を捜しているのだが、適当な言葉が見つからないでいるかのようだった。
「教頭」
竜崎がそんな二人に割って入った。
「何や?」
「この旧校舎の蔦、いつ頃から、こんなに壁一面を被うほど見事なもんになりまし
た?」
「なんやいきなり、判らん事を言い出すやつやな」
「この建物が建った当時からこんなに蔦が絡まってましたんか?」
「阿呆、その頃はわしも産まれてないわ。 そやな、わしがここの生徒やったころ
にはもうあったけどな」
「え? 教頭、ここの卒業生やったんですか?」
「そうや、知らんかったんか」
「初耳ですわ。 戦前ですか」
「おまえ、わしを幾つやと思てるんや。 わしは昭和二十五年の卒業や」
「へー、それやったら丁度マリアさんが埋められた頃にいたはったんと違いますの
か?」
「いや、あれはわしも知らん」
「ふーん?」
「いや、それで蔦がどないしたんや?」
「この蔦の下はレンガですやろ」
「そうや」
「今は蔦が絡まってるからこんなに重たい深い緑色の外観になってるけど、蔦が無
かったらどんな色に見えるのかなと思いましてね」
「中之島の中央公会堂みたいな色やったんやろ。 確かあの公会堂を設計した同じ
建築会社がこの建物も設計した筈やが」
「それはどこの会社です?」
成田刑事がすかさず突っ込んでくる。
「いや、そこまではちょっと」
「そうですか……」
成田刑事は頭の中にその事を書き込むような顔をした。
「建物を調べられるんですか?」
「もうこうなったら建築的な抜け穴を捜すしかありませんからね」
建物そのものに何かトリックがあるのではというのは竜崎も考えたが。
「教頭、稽古に行かんとあきませんで」
「お、ああ、そうやな。 刑事さん、もうよろしいか」
竜崎と松嶋は腰を浮かせながら言った。
「あ、ああ、どうも、引き留めてしまって申し訳ないですね。 どうぞ、クラブ活
動、柔道ですか、頑張って下さい。 ありがとうございました」
成田刑事は深々と頭を下げた。