〈25〉



 5

 三たび、撮影が始まった。
 映コンまであと一カ月半となったので部員達の中に焦りが見られたが、森真智子が
本読みをしなくても絵里衣のセリフは全部入っていたので、思いのほか、順調に撮影
は進んだ。

 そんな森真智子に竹田教諭はさかんに演出を理由に接近を試みているが、もはや森
真智子は竹田をまったく相手にしていなかった。
 強妻の竹田女史もやたらいらんところでうろうろしている亭主が鼻につくのか、露
骨に邪魔者扱いをして周囲の冷笑を浴びていた。

 映研部が撮影をやっている場所には日増しに見物の生徒が増えていった。 それも、
あらたに増えだした生徒達は皆カメラを持参して、撮影風景をさかんに撮っている。
特に森真智子を集中的に狙い、梅本とのラブシーンになると一斉にシャッター音が鳴
り響き、周囲の失笑を買った。

 この連中はどうやら、校内に入れてもらえず地団駄踏んでいるマスコミ報道陣から
アルバイトとして雇われ、撮影したフィルムを連中に渡しているらしい。 中には勝
手に撮って売り込む者もいるようだった。 各スキャンダル紙、スポーツ紙に森真智
子のスナップや撮影風景が盛んに掲載されるようになってきた。 マスコミ自体が校
内に入れなくても、こうなると自由報道させているも同然だった。

 教頭松嶋は烈火のごとく怒り、その生徒達を怒鳴り散らしたが、全く効き目は無く、
ついには8ミリカメラまで持ち込むやつが出てきて、その映像が報道番組で放映され
たりした。

 ところが、撮られている当の森真智子は、そうした騒ぎなど一向に気にかけるどこ
ろか、返って演技に張りが出てきて、華麗さと妖艶さをより一層映え立たせ、見物の
生徒達の間に羨望ため息を起こさせていた。
 登下校の際にも、校外でマスコミに待ち受けられ、カメラを回され、マイクを突き
つけられるが、臆するところは全く無く、反対にカメラに笑顔さえも向けて堂々と振
舞っている。

 一方、梅本の方にもマスコミはしつこく付きまとうが、梅本はそれらを迷惑以外の
何物とも思わず、一切を無視して、ただただ逃げまわっているばかりだった。

 「竜崎君」
 竜崎がひさしぶりに映研部の部室を覗きに行ったら、森真智子が例によって妖しく
笑いながら寄ってきた。
 「おう、何や?」
 「スカウトされたのよ、私」
 「……何の?」
 「芸能関係の」
 「ああ………」
 やはりなと思った。 森真知子の容姿と素質、キャラクターからすれば芸能人にな
っても一向におかしくない。 それどころか、へたなアイドルタレントなどよりはず
っと上玉だ。 しかも、タイムリーな話題性がある。 芸能プロダクションが放って
おく筈がないのだ。
 「東京のプロダクションばかり、一度に七社も来たの。 前にスカウトはされた事
あったんだけど、大阪のモデルクラブばっかりだったから、全然乗らなかったんだけ
どね。 今度は一流どころばかり」
 「ふーん」
 「それと、やっぱり東京のモデルクラブが三社」
 「森さんは歌はうまかったかな?」
 「……あんまり」
 「歌わん方がええな」
 「私は女優になりたいの」
 「演劇部やもんな」
 「卒業したら劇団に入るつもりだったのよ」
 「プロダクションに入ってしまえば早道か」
 「軽過ぎる?」
 「もう決めたのか?」
 「……まだ」
 「自分の事やからな、まあ、よう考えや。 あれもひとつの企業みたいなもんや。
どこかの会社に就職するみたいなもんやろ。 ええ会社選んで頑張りいな」
 「ふふ……考えます。 あ、竜崎君」
 「ん?」
 「このあいだみたいに誰もいない所なら良かったのにね」
 「え?」
 「キスしてあげれたのに」
 「残念やな」
 「それじゃ」
 森真知子はそのまま生徒達のあふれている廊下を撮影場所へ行く為に歩いて行った。
その後ろ姿には私服のせいもあるのだろうけど、高校生らしさや子供らしさは微塵も
なかった。 まさに妖艶な女そのものだった。
 竜崎はこのまま前のようにひっくり返ってやろうかと思った。


 マスコミ、報道陣が視聴率稼ぎの猟奇的な事実ばかりを追っている間、成田刑事は
ただひたすら地道な聞込みを繰り返していた。
学校周辺の聞込みなら大門警部補も通り一遍はやっているのだが、例によって傲慢
な態度で黒皮手帳を大上段に振りかざして聞いてまわるものだから、聞かれる方も好
意的に全力で記憶をまさぐろうという気にならず、これといった収穫は得られないで
いたのだった。 その大門警部補に比べて成田刑事はすこぶる低姿勢で話術巧みに聞
いてまわるものだから、市民の協力も得やすく、ついに重要な目撃者の証言を引き出
す事が出来た。

 その証言とはこうだった。
 工芸高校北通用門横にあるスポーツ用品店の店主が九月二十五日の午後九時三十分
頃、つまり、幽霊騒ぎがあった時刻、用務員の通報でパトカーが駆けつけ、通用門前
に止めた時、また何かあったのかと思って、すでに下ろしていたシャッターを少し上
げて見ていた。 しばらく見ていたが、そのうち警察が何事もなかったように帰って
行ったので、なんだ、と思ってシャッターを閉めようとしたところ、通用門脇の路地
から、生徒らしい女があたりを伺うようにして出てきて、そのまま地下鉄方面に走っ
て行ったのを見たというものだった。

 その時は何気なく見ていたのだが、成田刑事に聞き出されて、よく考えてみれば夜
の九時過ぎに女の子が暗い路地から出てくるなんておかしな話だと思い、証言したの
だと言う。
 成田刑事はしきりにその女の特徴を聞き出そうとしたが、夜で暗かったのと、店主
の注意は警察の飛び込んで行った通用門に向けられていたので、ただシルエットで女
の子だなと思ったくらいで、他には何も憶えていなかった。
 早速、路地を調べてみたら、路地の奥は金網で仕切られており、その向こうは旧校
舎の裏側につながっていた。 そして、金網には人が一人通れるくらいの穴が開けら
れていた。
 店主が見た女というのは、この穴をくぐって、旧校舎裏から出てきたに違いない。
 成田刑事は緊張した。 いわゆる武者震いというやつで、がぜん気合いが入った。
 本署から現場検証班を呼び、周囲をくまなく調べさせたところ、遺留品は何も無か
ったが、足跡が三種確認出来た。 男性のものが二種、女性のものが一種だった。
このうちのひとつは後の調査の結果、慌てて踏み込んだ成田刑事のものと判明したが、
残りについては生徒全員の靴を調べて回る訳にもいかず、誰のものかは判明出来ずだ
った。 この中のただひとつの女性のものと思われる二十四センチの足型が、店主に
目撃された女のものであると思われるが、なにしろ工芸高校は私服登校の高校なので
靴も決まったものを履く必要がなく、つまり、この足型の靴を履いてこなければ、い
くら全員の足型を調べても探り当てる事は出来ないのだった。 シンデレラを捜すよ
うな訳にはいかないという事だ。

 学校側に金網を確認してもらったが、ほとんど誰もそこに穴が開いている事など気
づいていなかった。
 生徒が授業のエスケープの為に開けた穴ではないかと聞いてみたが、この学校は授
業中でも常に正門も通用門も開けっ放しにしてあるので、エスケープするなら、なに
もわざわざ金網に穴など開ける必要は無く、堂々と門から出て行けばいいのであって、
それはおかしいという答えが返ってきた。
 工芸高校は、その自由な校風ゆえに、授業を抜け出して校外へ出て行く者を止めだ
てしない。 授業を受けるも受けないも、あくまで本人の自由意志なのだ。 さぼっ
て単位が足りなくなり、留年しても、それも本人の意志なのだと理解される。 高校
は義務教育ではないのだから、これが本来の姿なのかもしれない。
 わざとスリルを味わう為に蔦を伝って抜け出す者がいるが、植え込みに転落してし
まえば、そこからは歩いて校門を出て行く。 つまり、金網の穴は工芸高校の生徒に
とってはなんら意味を持たない穴なのだ。
 となると、この穴の周辺にある二つの足跡は重要な容疑者割り出しの手掛かりとな
る。
成田刑事は一歩前進したと思った。

 その頃、大門警部補の優欝な日々は続いていた。
 成田刑事の捜査が進むにつれて、自分の捜査では探り出せなかった事実が出てくる
ので、恥辱と屈辱にさいなまれていたが、立場上、それを顔に出す訳にはいかない為、
ストレスばかりを蓄積させていたのだった。
 ところが、成田刑事の上げてきたスポーツ用品店店主の証言を聞いて、がぜん、い
ろめき立った。
 「森真智子や! うかつやった。 本谷に気い取られとって森の事を失念しとった。
わしはハナから森やと睨んどったんや!」
 大門警部補は即工芸高校に出向き、撮影中の森真智子にうむを言わさぬ任意同行を
求め、阿倍野署の取調べ室に引っ張り込んだ。
 その様子は一部始終マスコミの雇われカメラマンに撮られ、フィルムとアルバイト
料が舞った。

 それを聞き、松嶋は阿倍野署に飛んで行き、取調べ室のドアを叩いた。
 「何や! 今、調べ中や!」
 「大門さん! 何の容疑ですか」
 「何の容疑やとお? 決っとるやないか! 邪魔せんといてもらお!」
 「証拠は!」
 「証言があるわい!」
 「誰の? どんな?」
 「捜査上の秘密や! 出てけ!」
 「納得出来ませんね。 容疑も固まっていないのに捜査上の秘密だなどと」
 「やかましい! 出ていけ!」
 「成田刑事は?」
 「やつは関係無い。 出ていけ!」
 「判りました。 今からすぐに弁護士を呼びます。 令状が無ければ弁護士同席の
聴取も出来ますからね」
 「き、きさまあ。 どこまで邪魔したら気い済むんじゃい」
 「納得出来ないからですよ」
 「どこがや!」
 「森が何をしましたか? どんな証言があったんですか?」
 「おお、ほんなら言うたろ。 九月二十五日の晩にな、ほれ、本谷の死体が発見さ
れる前の晩や。 学校で、この森を見たていう者が出てきたんや」
 「何! 本当か?」
 松嶋は狭い取調べ室の中で、小さな机に向かって座っている森真智子に向かって聞
いた。
 「嘘です。 私、そんな所にいませんでした」
 森真智子は以外に平然とした顔で答える。
 松嶋はその顔を見て、少しはほっとしたが、
 「じゃかましい! 見た者がおるんや! 嘘つくな!」
 と、大門警部補が真っ赤な顔をして怒鳴りつけた。
 だが、森真智子は動じない。 あいかわらず美しい顔のまま大門警部補を睨みつけ
ている。
 「それにな、アリバイが無いんや」
 「森、どうしてや?」
 「私、家にいたんです。 それだけなんですけど」
 「証明する者がおらん」
 大門警部補が勝ち誇ったように言う。
 森真智子の家は母子家庭で、母親は水商売をやっている。 夜はいつも一人で家に
いるのだ。 だから、証明してくれる者は誰もいない。
 「証明してくれる人はいなくても、私がその時間に学校にいた事を証明する人もい
ない筈です」
 森真智子は大門警部補が頭に血を登らせれば登らせる程、反対に冷静に、余裕を持
ってくる。
 「目撃者がおると言うとろうが!」
 「だから、それは嘘です」
 「なんやとう!」
 大門警部補の顔がどす黒くなり、額に青筋が浮き、ひくひくと動きだした。
 「森、家におったのは本当やな」
 松嶋は冷静な森に一安心しながらも確認した。
 「本当です」
 「嘘や!」
 「大門さん、その目撃者を直接森に会わせましたか?」
 松嶋の問いに、大門警部補のみけんに縦じわが寄った。
 「……いや……まだや」
 「それなら、どうして森だと判るんです?」
 「………特徴がそっくりやったからや」
 「どんな特徴ですか?」
 「……そやから、こんな特徴や」
 森真智子を指さして言う。
 「納得出来ませんね。 もし、その目撃者というのが本当にいるのなら、ここへ連
れてきて下さい。 そして、この森を直接見てもらって確認してもらって下さい。
その上で、その目撃者が森に間違いないと言うのなら、私も納得しますよ」
 「よ、よっしゃ。 連れてきたる。 連れてきて、見てもろたるわい!」
 大門警部補は顔をひきつらせながら上着を脱いで投げ捨て、取調べ室を出て行こう
とした。

 「その必要は無いでしょう」
 いつのまにいたのか、松嶋の後ろに成田刑事がポケットに手を突っ込んで立ってい
た。
 「なんやと! なんで必要無いんや!」
 大門警部補はあからさまに、なにをこの若造が、という顔で噛みついた。
 「例のスポーツ用品店の店主に森君の写真を見せて確認してもらったんですよ。
そしたら、あの店主も、路地から女性が出てきたのは見たけれど、暗かったので顔な
ど皆目判らないそうです。 写真を見ても返事のしようがないとの事でした」
 「そやから、こないして自供を取ろうとしてやな……」
 「自白偏重捜査は僕も好きじゃありませんから」
 成田刑事は大門警部補を見下すように言い切った。
 「何、何やとう。 だ、誰が自白偏重捜査を……」
 大門警部補、怒りのあまり、ろれつが回らなくなってきた。
 成田刑事はそんな大門警部補を無視して、取調べ室の中に入り、森真智子の座って
いる机の前に立った。
 「森君。 悪かったね。 もう帰ってもらっていいよ。 学校に戻って撮影を続け
なさい。 君達の作品、僕も期待しているから」
 成田刑事は思いきり自然に微笑を作って言う。 あくまでも君達の側に立っている
んだよという姿勢を崩さない。
 森真智子も答えて、思いきり慈愛に満ちた笑顔を返して席を立った。
 怒りのあまり棒立ちになっている大門警部補の横をすり抜け、松嶋と取調べ室を出
て行こうとした時、後ろから成田刑事が声をかけてきた。
 「ああ、森君。 こうして見ると、君は随分背が高いね。 身長は何センチあるん
だい?」
 森真智子は振り返って、ちょっと首を傾げて考えていたが、すぐに、
 「百六十七センチです」
 と答えた。
 「すらりとしてるし、プロポーションも良いし、スクリーンじゃさぞかし映えるだ
ろうな。 じゃ、足は何センチ?」
 森真智子は今度はくすりと笑って、
 「二十四センチです。 今日のお詫びに靴でも買っていただけるんですか?」
 と余裕でやり返した。
 「ははは、僕らの給料じゃ、靴はちょっとね。 ストッキングくらいなら」
 「私、男の人にストッキングを買ってもらう趣味はありません」
 「ははは、そうだね。 じゃ、頑張って」
 成田刑事は口では笑って言ったが、目は笑っていない。
 松嶋はそれを見て、益々油断のならんやつと心の中で思った。


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憂想堂
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