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病院での国領香代子はもう完全と言っていいくらいに回復していて、竜崎、竹内が
翌日、竜崎は昼休みに梅本を捕まえた。 もちろん昨日、教頭のデスクからくすね
内容を知りたい。
この本の中には今回の事件のなんらかの要因があるのではないか。
何故ならば、国領香代子を襲い、逃げて行く犯人の後ろ姿は、あの松嶋だったのだ
来た時には、事件を聞いて駆けつけた母親と兄と共に、もう帰る用意をしていた。
首に巻かれた包帯こそ生々しかったが、明日は登校しても差し支えないだろうとい
う事だったので、喜んだ母親に抱きかかえられるようにして帰って行った。
竜崎達もひとまず安心とばかりに帰路についた。
てきた古書を見せる為だ。
「何?」
「ちょっと、これ見てくれ」
古いが、保存状態は良かったと見えて、さほど型崩れしていない肩綴じ本を差し出
して見せた。
「?……」
梅本は表紙を見たが、はてな?、と首を傾げた。
「見覚え、無いか?」
「……見覚えは無いけど、梅本吉兵衛っていうのは、うちの爺さんの名前だ」
「爺さん? すると、これはおまえの爺さんの事書いた本か?」
梅本は本を手に取り、中をぱらぱらとめくって見たが、やはり梅本も古文は読めな
いらしく、すぐに閉じた。
「まさか、うちの爺さんはまだ生きてるよ。 こんな古い本書いてた時代の人じゃ
ないって」
そう言われてみればそうだ。 この本はどう見ても江戸期以前のものに見える。
今を生きる人を書ける訳がない。
「そうか、そうやな」
「いや、けど、梅本吉兵衛っていうのは梅本家の嫡男が代々継いでいく嫡子名なん
だ。 うちの爺さんも戸籍上の本名は吉兵衛と違うからな。 僕も長男だから、将来
家督を継いだら吉兵衛になる」
「と言う事は、この本はおまえの御先祖様の本か」
「はっきりとは判らないけど、その可能性はあるね。 僕の田舎は滋賀県の彦根て
いう所なんだけど、そこでは割と由緒ある家らしくて、江戸時代からずっと続いてる
んだそうやから。 ひどく大きな古い家でね、昔のまま残ってる。 古い蔵なんかが
あって、その中に古い古文書や巻物なんかが沢山残ってるから、その中のひとつが流
出したのと違うかな。 こんな本どうしたの?」
「いや、ちょっとある人が持ってたんやけどな」
「おかしいな」
梅本はそんな筈はないとばかりに首を捻った。
「爺さんは今でもそこに住んでるんか?」
「ああ、骨董品みたいな爺いさんでね、滋賀の歴史に関してはちょっと権威のある
郷土史家みたいだね」
「へえ、昔からの家系図なんかも残ってるとか?」
「ああ、家系図やら系統図やらなんか知らないけど、歴史的に貴重な資料とかがい
っぱいあるみたいだから」
「この本もその中の一冊ていう訳か」
「かもしれないけど、けど、どうしてこれが門外に出たんだろ? うちの爺さんは
家の古文書の類は一切、門外持ち出しはさせてない筈なんだけど」
「はるか昔に出た物とか?」
「うーん、判らないな。 今は確かに、歴史学者や学生が来ても、撮影や模写はさ
せても持ち出しはさせてないけど、ずっと以前の事になると、どうやったか判らない
なあ。 可能性はあるけど。 でも、竜崎、この本を持ってた人を知ってるんだろ。
それなのに出所が判らないなんておかしいのと違うか? ほんと、どうしたんだ、こ
れ?」
「事情があるとしか言えんのや、今は」
「ふーん、まあ、ちゃんと管理してなかった大昔に出た物だったら、今さら僕がど
うこうと言えたもんじゃないけど」
梅本はさほど大した事じゃないという言い方をした。
「おまえの爺さんの家にはそんな連中なんかがよく行くのか」
「歴史的に貴重な資料が沢山残ってるらしいからね」
「ふーん」
竜崎はあらためて梅本の端正な顔立ちを見直した。 現代には身分制度は無いが、
もしあれば、かなりな高貴の人なんだろうと思うと、この顔の端正さにも納得出来る
ところがある、と感心する。
「今年の夏休みも彦根に帰ったら、僕が帰るほんの二、三日前にも大阪から女子大
生が一人でやって来て、家系図や系統図や記録書なんかを一生懸命に読んでたらしい
よ」
「他人の家の家系を調べにか」
「歴史をだよ。 梅本家は江戸時代に、あの井伊家と近くて、血縁関係もあったら
しいから、歴史上の有名な人物も田舎の記録書には出て来るらしいからね」
これが、歴史に造詣の深い人間なら誇らしげに言うんだろうが、梅本はつまらなさ
そうに言う。
「けど、その女子大生は偽学生だったらしんだ」
「へえ、どうして判ったんや?」
「大阪大学の歴文だって言ってたらしいんだけど、爺さん、その大学の歴文の教授
と友達なんだ。 それで、その女子大生とやらに、あの教授は元気か、とか、どうし
てる、とか聞いたんだけど、その女は全く教授の事は知らなかったみたいだったし、
答えも曖昧だったから、爺さん、大学の事でカマをかけて聞いたんだそうだ。 そし
たら、ものの見事に引っかかって平然としてたから、ははん、これは偽学生だなと思
ったんだと」
「まあ、偽学生なんてよくいるからな。 で、追い返した?」
「いや、身分は嘘でも、勉強したいっていう気持ちは大事だからって、そのまま気
がつかないふりして、文献の説明をとどこおりなくしたそうだ」
「出来た爺様やな」
「慣れてるんだよ、そういう事に。 それに、爺さんは家系に誇りを持ってるから」
「なるほど」
この本はどうやら梅本の家系に残る本に間違いはなさそうだ。
しかし、それなら、この本をどうして松嶋が持っていたんだろう?
目的を持って松嶋の机荒しをしたのだが、意外な発見だった。
現在、梅本家の所有している本の類は持ち出し禁止になっているという事だから、
松嶋がまともな手段で持ち出したとは思えない。
それとも、松嶋は梅本の爺さんと特殊な関係にでもあるのだろうか?
「教頭の松嶋な、おまえの爺さんと知合いか?」
「え?」
何をいきなり聞くんだという顔を、梅本はした。
「昔からの知合いとか」
「いや、そんな事は聞いた事ないけど、この本、教頭が持ってたのか」
「あ、これは違うんや。 ちょっと別の事で聞いただけやから」
まずい事を聞いてしまったと後悔したが、竜崎はさりげなくかわした。
「ふーん」
梅本は少しおかしな顔をしたが、それ以上は追求しなかった。
「おまえの爺さんやったら、この中身読めるかな?」
「そりゃ、当然読めるさ、そんな本の研究をしてるんだから」
「そうか……」
「読みたい訳?」
「ああ、ちょっとな」
「持って行ったら読んでくれるんだろうけど……」
「彦根か」
「行く気?」
「うん、そうやな、行くかどうか判らんけど、一応住所教えといてくれるか」
「いいけど」
梅本はレポート用紙に住所を書いて渡した。
竜崎は、行くかどうか判らんけど、と言ったけど、行くつもりだった。
でなければ、本来、梅本とは何の関係も無い松嶋がこんな本を持っている訳がない。
松嶋は確かにこの事件に関しては何かを知っている。
そして、なんらかの形で関わっている。
この本を松嶋が持っていたという事が、今回の連続した殺人事件に深く関連してい
るに違いないのだ。
から。