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 竜崎は彦根の新田家を訪れたが、一度の訪問では当主に会う事が出来なかった。
 旧家故の保守性とでもいうのか、手続き万端を踏まないとお目通りはまかりならん
というところなのかと竜崎はがっくりとした。

 実のところは、新田家も梅本家同様、江戸期からの書物や文献などが数多く残って
いる家なので、学者、研究者がよく訪れる。 のべつまくなしに訪問者をその要望の
ままに迎え入れていては、蔵書の管理、対応が大変であり、へたをすると、文化遺産
の破損、損失等の事態になりかねない。 だから、訪問者はあらかじめ、訪問の目的
と、閲覧したい書物の内容を届け出ておかないと、お目通りはかなわないという事な
のであった。

 竜崎は吉兵衛老人に改めて、新田家へのアポイントを取ってもらうべく、梅本家に
戻った。

 「え! 森真智子が殺された!」
 吉兵衛老人にそのニュースを聞き、目の玉が飛び出る程に驚いた。
 それでは、この梅本家を訪れたのは森真智子ではなかったのか?
 いや、訪れたのは森真智子であったかもしれない。 ただ、犯人ではなかった。

 「どうも、その場に吉成がいたらしゅうてな。 警察に引っ張られよったらしい」
 「梅本が犯人の筈はないっ」
 「ほう、判りますか」
 「動機がありません」
 「よく調べられてるようですな」
 「少し考えたら判る事です。 それをあのぼんくら刑事どもはのべつまくなしに引
っ張っていきよるもんやから、捕まる犯人も捕まらんのです」
 「そんなひどい刑事なのか?」
 「やくざもかくありき、です。 あんな捜査の犠牲になって無実の罪で人生を狂わ
せた人も結構いてるのと違うかと思うくらい」
 「まあ、大丈夫です。 吉成はあれで結構芯の強いところがありますよってな。
 ちんぴら警官の一人や二人に痛めつけられたくらいで人生を狂わせるようなやわな
神経の持ち主は、この梅本家にはおりません。 心配なさらんで下さい」

 普通の家庭なら、自分の身内が警察に捕まったと聞くだけで慌てふためくものだろ
うに、さすが、吉兵衛老人は武家の末裔だけあって、動じない。
 竜崎は痛みいった。
 「武家の魂ですか」
 「そうかもしれません。 それにしても二百年以上前の事件と工芸高校での事件はな
んだな似ているような気もします。 この建物と工芸の旧校舎は似ているし」
 「ほう? 似ているのですか」
 「建物の壁に蔦がびっしり絡んでいるところなど」
 竜崎が見た梅本家の印象だった。
 「この蔦は昔から壁に植え付けられております。 なんでか判りますかな」
 「ん?」
 「この蔦は、敵が攻め込んで来た時、建物の天守から逃れるためのものなのです」
 「蔦を伝ってですか?」
 それは無理だろう。
 工芸高校旧校舎の蔦を昇ったり下りたりを試みる者ははいたが、蔦は人間の重みに
耐えられない。
 途中で蔦の根がちぎれ、落ちてしまう。
 「はっはっ、そのままでは無理です。 しかし、建物上方にまで伸びている蔦をより合
わせ、二本作ったものを窓庇にかけて合わせ、またより合わせる。 そしてその二本の
間の枝弦同士を地面に平行により合わせれば、立派な縄ばしごになります。 そうす
れば人が上り下りしてもびくともしません」
 「あ........」
 「しかもそれは蔦の上に開いた葉の下に隠れて外から見ただけでは梯子があるよう
には見えませんの」
 「昔から......」
 「戦国時代からの兵法です」
 竜崎は天を仰いだ。

 「こんなところでトリックが解けるとは.......」

 とすれば犯行の可能性のある人物は。
 「この蔦の梯子の事、ここに来た女子大生に話しましたか?」
 「ん、さて、個別には覚えておらんが、建物に関心のある人ににはよく話しておるが」
 「松嶋には?」
 「同じじゃ」

 全ての鍵はここにあったんだ。
 もっと梅本と話していればもっと早く気がついていたものを。
 男前になんぞにかまけてられるか、という思いが悔しさの間に浮かんだ。

 「ご老人、こうなったら、なにがなんでも新田家に行って、向こうの過去帳と訪問
者名簿を見ないといけません。 もう一度、アポイントを取って下さい」
 「やはり、そこに何かがあるのか?」
 「たぶん」
 「よし、もう一度アポイントを取ってみよう」
 吉兵衛老人は竜崎の行動を見届けてやろうという目で、膝をぽん、と叩いて立ち上
がった。


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憂想堂
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