〈41〉



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「今はもう時効になっている事件の話をしましょう。 二十五年前の事件です」
松嶋が竜崎、竹内、成田らを前にして話しだした。

「この工芸高校が学制改革で、それまでの男子校から男女共学の新制高校に変わった
 初年度でしたな。 私と同期に梅本吉栄という生徒がおりました。 そう、梅本吉成
 の叔父になります。 梅本家の血筋なのでしょうか吉栄も吉成同様、水もしたた
 るような美少年といいますか、美貌の持ち主でして、当時、初めて男女共学になっ
 た当初の女生徒達は皆、吉栄に目を奪われていたようでした。 そんな中で、吉栄
 との交際に成功した女生徒がいました。 土屋陽子という名前でしたな。 共学に
 なったとはいえ、今のようなおおっぴらな男女交際はまだはばかられる頃でしたか
 ら、二人は隠れるようにして交際しておったようですが、何分、同じ高校内の事で
 すから、やはり周りの者達の耳にも入ります。 私達はそんな二人を憧憬の目で見
 ていたものですが、あれは昭和二十四年のはじめでした。 放課後の教室でその土
 屋陽子が絞殺されました。 教室はまったくの密室状態で、慰留品も証拠品も無く、
 警察が入って捜査をしましたがとうとう密室のトリックも犯人も判らずじまいでし
 た。 吉栄はショックを受けたようでしたが、すぐに立ち直り、今度は畑中尚子と
 いう女生徒と交際を始めたのです。 吉栄自身、一人の女性に永遠に忠誠を尽くす
 というタイプではなかったようでしたな。 それだけよくもてたという事なんでし
 ょうが。 ところが、その畑中尚子との交際も皆の口にあがってきた頃、また殺人
 事件が起こりました。 畑中尚子があの時計塔の中で殺されていたのです。 手口
 は同じく絞殺でした。 そして、この事件もまた全くの密室内での殺人でした。 
 ふたつの事件は同一人物の犯行とみなされ、警察も面つをかけて捜査をしたようで
 した。 関係者として吉栄も調べられましたが、アリバイがはっきりとしている上
 に動機を持たない吉栄は捜査から外され、それ以外の容疑者も上がらず、結局何も
 判りませんでした。 こうなると今同様、当時のマスコミも騒ぎたてよりましてな。
 密室のトリックを解いた者には賞金を出すとか、当時の探偵小説作家がいろいろ推
 理を出したりとかして煽りたてましたが、マスコミに寄せられたどの内容も、これ
 は、と思うようなものはありませんでした。 当然、犯人は判らずじまいでした。
 が、私はまったくの偶然でこの犯人を知ってしまったのです。 当時、私と同期に
 国領幸香という女生徒がいました。 国領香代子の叔母です。 じつは私は吉栄と
 は親友でした。 だからなのですが、吉栄が土屋陽子と交際を始める前、ほんのい
 っとき、その国領幸香と交際をしていたのを知っていました。 もちろん吉栄の一
 方的な心変わりでその交際は終わったのですが、国領幸香の方はおさまりません。
 事あるごとに吉栄に復縁を迫っていたのです。 普通、可愛さ余って憎さ百倍と言
 いますが、国領幸香の場合は当の吉栄を恨むより、その交際相手の方に恨みが向け
 られたようでした。 表だって土屋陽子との交際を妨害するとかの行動には出ませ
 んでしたけど、いつも陰から二人に対し、恨みのこもった視線を送っていたのを憶
 えています。 二つの密室殺人事件があって、警察の捜査ではまったく犯人像が浮
 かんでこない。 手口も判らなければ、動機も判らないと言われている頃。 私と
 梅本だけは動機を持った人間が一人いるという事に気づいていました。 そこで私
 は国領幸香の身辺を探ったのです。 そこで私は国領幸香の持ち物の中から彼女の
 日記を盗みだし、読みました。 そこには殺人の事実こそ書かれていませんでした
 が、国領家に言伝えとして残されている、香と吉兵衛の話が書かれていました。
 三百年前、家と家名に引き裂かれた二人の悲劇ですな。 随分と悲惨な結末の話で
 すが、恋する乙女にとっては甘くてせつない悲恋話です。 国領幸香は昔話の中に
 悲恋を夢見ていたのかもしれません。 その日記の中に滋賀県彦根の梅本家の事が
 書かれてありました。 その時は私もまだ日記の中に書かれている吉兵衛が吉栄の
 先祖であるとは思っていませんでしたので、事件を立証する為にも滋賀県へ行って
 みなければと思い、梅本家を訪ねました。 そこで、吉栄と国領家に伝わる吉兵衛
 との関係を知り、連続殺人の犯人は国領幸香であると確信したのです。 幸香は香
 と自分を同一人物視したのです。 運命により添いとげられないのなら、いっそ相
 手を殺してでも、という思いになったんですな。 私は悩みました。 国領幸香を
 告発するか否かでです。 密室のトリックはまだ判りませんでしたけど、そんなも
 のは警察で尋問されればしまいです。 動機があり、アリバイが崩されれば事件は
 立証されたも同然ですから。 けど、私はどうしても国領幸香を告発する気持ちに
 はなれませんでした。 それはあまりに香と吉兵衛の話が悲劇だったからです。
 香に同調した幸香の気持ちがよく判ったからです。 吉栄さえ幸香に気持ちを向け
 てやり続けていたなら、あんな事件は起こらなかったのです。 私は梅本にこの話
 をして、幸香の気持ちを宥めてやってほしい、そして幸香には自首を勧めるように
 と言いました。 だが、これが失敗でした。 吉栄は恐怖し、国領幸香から逃げよ
 うとしました。 それを見た国領幸香は激情し、ついに吉栄をも殺そうとしたので
 す。 我々の卒業式の日、式も終わり、皆下校した後でした。 旧講堂に小刀を持
 って吉栄を追った国領幸香はそこで吉栄を殺そうとしましたが、それを察知した私
 が駆けつけ、間一髪で吉栄を助ける事に成功しました。 そこで私は国領幸香に自
 首を勧めましたが、彼女はあっと言う間もなく、自分で自分の喉をかき切り、死ん
 でしまいました。 私と吉栄は驚きましたが、もし警察に通報したら、連続殺人事
 件との関連を疑われ、その犯人を国領幸香であると立証出来ても、今度は国領幸香
 を殺したのは自分達ではないかと疑われるのでは、と思いました。 二人とも、進
 学が決っている時でしたので、ここで警察に関わるのは嫌でした。 そこで二人は
 事件を闇に葬る事で意見が一致したのです。 ちょうど、旧講堂は一部増築の為の
 工事をしているところでした。 マリアの降臨のあったあたりの壁は仮枠を立てて
 あるところでした。 私と吉栄は国領幸香の死体をその仮枠の中に運び、上から砂
 をかけたのです。 翌日にはその上からモルタルが流し込まれ、それで事件は迷宮
 入りになったのです。 私がこの学校に就任して来た時、あの壁に人型の染みが出
 来ていたのを見て腰が抜けるほど驚きました。 まるで国領幸香の怨念が形になっ
 て出てきたように思えたのです。 そして竜崎、竹内があの壁を壊して国領幸香の
 死体を発見した時にはもう因縁めいたものを覚えました。 死体の身元は判らなか
 ったようですな。 警察は当時の生徒の中で行方不明者や失踪者を捜していたよう
 ですが、卒業した後だったので、在校生の中には該当者としては出てこなかったか
 らです。 国領家からは捜索願いを出していたようですが、家出人としてみなされ
 ていた為、こちらも本腰を入れて捜していなかった。 だから、身元は判らずじま
 いだったのでしょうな。 けど、私以外にこの死体の身元を察した者がいたようで
 した。 国領香代子です。 あれから二十五年も経って、再びこの工芸高校に梅本、
 国領、そして私と役者が揃ってしまうなど、偶然にしてもあまりに因縁的ではない
 ですか。 第一の被害者である小沢真智子が殺された時、私はすでに犯人は国領香
 代子であると判っていました。 国領香代子もまた幸香と同じ国領家の人間ですか
 ら、当然、香と吉兵衛の話は知っています。 そして、彦根の梅本家にも訪れてい
 ました。 国領香代子以外に犯人はいませんでした。 ただ、二十五年前の時もそう
 でしたが、また同じような密室のトリックです。 これが判りませんでした。 こ
 のトリックが判れば、そこを突いて国領香代子のこれ以上の犯行を阻止しようと思
 ったのですが。 幸香の時も判らなかったトリックをどうして香代子は知り得たの
 か? しかしこれは竜崎が彦根に行き、解明しました。
 幸香も香代子も彦根の梅本家でこのトリックを学んだのです。
 梅本吉成についてですが、この男にも困りました。 吉栄と同じ資質を持っていたようで、
 小沢が死ぬと本谷が、本谷が死ぬと森がと、つぎつぎに女生徒が梅本に愛をささや
 きだします。 そうなると、香の資質を持っている国領香代子が放っておく筈があ
 りません。 梅本に近寄る女性徒を次々に葬っていったのです。 二十五年前と全く
 同じ事が起こったのです。 私は驚愕し、恐怖しました。 もう、こうなると因縁
 どころか怨念とも言える事件の繰り返しです。 私は本谷真知子が殺された後、国
 領香代子を襲いました。 もちろん、殺してしまおうというものではありません。
 おまえが犯人である事を知っている人間がいるぞという事を知らしめる為です。
 旧講堂の鍵を使ったトリックで密室を作り、同じように密室のトリックも掴んでい
 るぞという意味も込めて、ああいう襲い方をしたのです。 けど、こちらの意志を
 国領香代子に理解させる前に竹内が飛び込んで来て、竜崎が追いかけて来ました。
 私は必死で逃げましたが、どうやら竜崎はそこで事件解決のきっかけを掴んだよう
 でした。 竜崎の事ですから、すぐにでも私の身辺を調べるだろうと思い、梅本家
 から持ち出した古文書をわざと見つけやすいところに置いておき、竜崎に発見させ
 ました。 ここで私はこの事件の決着を竜崎に託したのです。 竜崎はすぐに彦根
 の梅本家を訪ねに行きました。 二十五年前の事件は当事者である私が決着をつけた。
 それならば、現在のこの事件は現在の当事者が決着をつけるべきだと考えたのです。
 竜崎なら、あるいはこれ以上の事件の広がりを押え、国領香代子に対しても、なん
 らかの善後策をこうじてくれるかと思ったのです。 竜崎もよくやってくれました。
 あまりよい結果にはなりませんでしたが。 二十五年をへだてた、いや、三百年をへ
 だてた事件を解決したのですから。 よくやったと誉めるべきでしょう。 以上が
 私のお話し出来る事の全てです」


「俺と竹内がマリア様の壁を壊したとこからこの事件が始まったと思うてましたけど、
 滋賀の梅本家に行って、事の真相を知った時にはびっくりしました。 三百年も
 前にこんな事件の要因が作られてたていうのはまさに因縁というか怨念というか、
 単なる偶然では済まされんのと違いますか。 国領は高校に入学して梅本と知りお
 うて、女の子の御多分に洩れず、梅本に憧れて、恋愛感情を持ったんやろと思いま
 す。 梅本はもてるだけやのうて、結構女好きなとこがあったから、表立ってない
 ところではいろんな女の子に手は出してたみたいやった。 たぶん、国領とも関係
 あったんやと思います。 その時に、梅本は自分の実家が彦根の旧家で、代々続い
 ている梅本吉兵衛の子孫だとかなんとか言うたんでしょう。 梅本は香の話は知ら
 んかったけど、国領はその時、運命的な出会いを感じたんやと思います。 国領は
 確認の為、滋賀県の梅本家、新田家を訪ねて双方の家系を遡りました。 そして、
 香、吉兵衛にまで辿り着いた。 運命が現実のものになり、そこで国領は香に心酔
 したんです。 香、香代子、と同じ字が付けられていたのも運命的な偶然かも知れ
 ませんけどね。 梅本吉成を梅本吉兵衛に見立て、二人が結ばれる事によって、過
 去の未練無念を晴らそうとしたんやと思います。 ところが、梅本はああいうやつ
 やから、大阪に戻ってみると、梅本の気持ちはもう離れてた。 もてるという事は
 それだけ選択枝が多いという事で、梅本にしてみたら、自分に対して好意を持って
 くれる相手の数が多いものやから選び放題というとこやったんです。 三人マチコ
 のきれいさは国領を上回っとったていうとこやったんですわ。 それでも国領はな
 んとか梅本の気持ちを取り戻そうとしてたけど、梅本はなんと三人マチコのいてる
 演劇部に入り、主役の刻緒役をする事になった。 相手役はもちろん三人マチコの
 中の一人ですわ。 しかも、相手役に選ばれたマチコには梅本を公然の恋人として
 つき合う権利が与えられるという暗黙の了解みたいなもんが出来上がってしもとっ
 た。 この時の国領の気持ちは悲惨なものやったと思いますわ。 そんな頃に僕ら
 があのマリア様を堀り出したものやから、国領の気持ちに火が付いた。 国領はあ
 の死体が二十五年前に行方不明になってる自分の叔母やと気がついた。 そこで
 叔母さんの遺品を調べてみて、たぶん、手記みたいなもんを見つけたんやろうと思
 います。 やはり、あの死体は叔母さんで、しかも、自分と同じように、梅本吉兵
 衛を見つけて、そして、邪魔者を殺していった。 三百年前の物語が現代に蘇って
 いたのを知った。 この時、国領の中で香が、それも梅本家側で伝えられる陰惨で
 残虐な香が目を覚ましたんです。 やはり香は叔母や自分の血の中に生き続けてる、
 自分は吉兵衛と結ばれなければいけない、と思うたんです。 梅本に近づく者は誰
 であろうと許さないと心に決め、絵里衣役に選ばれた者を殺していく計画を立てた
 んです。 犯行のトリックも二十五年前、叔母さんがやったものをそのまま使った。
 けど、叔母があの壁に埋められてたという事は、以前の事件を知っている者がいる
 という事で、それが邪魔者として叔母を葬った。 もしかしたら、香の蘇りである
 自分の前にも邪魔者が現れるかもしれない。 そう考えた国領は、前日演劇部に引
 っ張り込んだ竹内をボディガードにしようとした。 なかば誘惑に近い形で竹内を
 取り込み、常に自分の近くにつれそわせようとした。 教頭に襲われた時も竹内が
 駆けつけて、教頭の目論見は失敗したんやから、竹内の登用は成功やったていう事
 や。 さて、事件のあらましはこういう事ですわ。 本読みの日、全員で部室を出
 て旧講堂に行った。 国領は皆の隙を見つけて袖部屋の窓から出たんです。 そし
 て、部室の窓から入った。 旧校舎、旧講堂の壁には蔦がびっしりとからみついて
 います。 それゆえ蔦館なんて言われてるんやけど、その蔦が全ての事件のトリッ
 クやったんです。 蔦そのものは細い根っこで壁にくっついてるだけやから、あん
 なもん伝うて壁を上り下りは出来ないとみんなが思ってたところに落とし穴があっ
 たんです。葉は確かに細い蔦にくっついてるだけで、その蔦もさらに細い蔦で壁に
 へばりついてる。 そやからあんな蔦は登られへんと誰もが思いこんでた。 けど
 その細い蔦は一本の太い親蔦に集まっていて、それが地面にまで下りて根をはって
 るという事になんで誰も気がつけへんかったんか。 もっともそれは一面に繁った
 の下に隠れてたから目には見えへんかったんやゆけど。 その親蔦をより合わせて
 旧校舎の古い窓の鉄枠の両側に一本ずつ、など庇に絡ませて結びつけ、二本の
 親蔦の間に枝蔦を結びつけたら、立派な縄梯子になるんです。
 戦国時代からある兵法で、彦根の梅本老人が国領香代子に、幸香に語ってしまった。
 部室の入口からは出入り出来ない。 床、壁、天井にも仕掛は無い。 その場にいた
 全員の目を一斉にくらましてカップに毒を放り込む事も不可能。 さらに、目撃証言が
 ありまして、つまり、全員が部室を出て行った後の犯行時間に部室に誰かが入ってい
 たという証言です。
  だから、どうしてもあの部屋には入れなければいけない訳です。
 となると、残りは窓だけやという事になります。 これは本谷の時もそうでした。
 袖部屋から出る方法は窓しかなかった。 なのに、何故、窓からの出入りも捜査か
 らは外されたのか、それは窓は三階の高さにあって、飛び降りる事もよじ登る事も
 不可能やったからです。 もし、窓からの出入りが出来るなら、密室のトリックな
 んかは簡単な事や、これしかない。 その通り、蔦で作られた縄梯子が蔦の葉の下に
 隠されていて見ただけでは全くそれと判らない。 これで三階の窓にまでよじ登ったんです。
 国領は犯行を計画した時点で部室の窓、袖部屋の窓、時計塔の窓枠上部の庇の上に
 蔦の梯子を絡ませ、葉の中に隠しておいた。 この準備の時に、放課後残って
 いた連中に目撃されて、それが幽霊騒ぎになってたんです。
 旧校舎、旧講堂の壁は道路に直接面してない上、植樹並木が窓際に並んでいて、い
 くら壁をよじ登っていても、外から見られる事はありませんから、国領も安心して
 ロッククライミング出来たんです。 さて、そうして部室に入った国領は狙いをつ
 けていた小沢のカップに毒を入れて、また窓から出て、旧講堂に戻った。
 後はなに食わぬ顔で皆と部室に戻って、恋仇が死んでいくのを見るだけです。 毒
 の入手経路は簡単です。 写真科の保管は確かに厳重やけど、それは薬品を保管庫
 に入れている時だけで、実習中は平気で生徒の前に出てくるんですから、その時に
 くすねようと思うたら、いくらでも出来ます。 国領もそうして手に入れたんでし
 ょう。 本谷の時は、袖部屋に入った本谷を緞帳の陰で締め殺した。 これは計画
 的やなくて、ワンチャンスをものにしたていう感じですね。 殺しておいて、とり
 あえず本谷の身体を窓から投げ下ろした。 そして、自分も下りて、本谷の身体を
 植え込みの中に隠して、そして、自分だけ上がってきて、また舞台に戻ったんです。
 梅本が袖部屋に入ったのはその後です。 あの時、警察は本谷が逃げたとかなんと
 か言わずに、もっと身を入れて捜してたら、植え込みの中にいた本谷を見つける事
 も出来たと思うんですけどね。 そうしておいて、翌日の夜、国領は学校にやって
 きて、窓から袖部屋に入った。 あの窓には鍵は掛かりません。 古くて錆の為に
 壊れています。 学校もこの建物を原型のまま保存するよう、市からも援助を受け
 ている為、新しいサッシ等には代えられへんのです。 というて、あれだけ古い鉄
 枠を修理してくれる業者もない。 国領はそれを知っていたので、このトリックで
 の成功をもくろんだんやと思います。 袖部屋には緞帳が何枚も吊られていますね。
 その吊り元は滑車になってます。 国領はその滑車にロープをかけ、下の植え込み
 に隠しておいた本谷の身体を吊り上げたんです。 滑車を使えば女の力でも簡単に
 吊り上げられます。 そして、本谷を演台上に乗せて、そこでひとつ細工をしました。
 犯行を男の仕業と思わせる為に、本谷の下着を脱がせて、男の精液を塗り付けた。
 この精液のおかげで僕もしばらく悩みましたけど、これは、おそらく竹内の精液や
 と思います。 事件の前日、竹内は誘われるまま、国領とホテルかどっかへ行った。
 そやろ? そこで国領は竹内と寝た。 そやな? おまえはその時、国領にコンド
 ーム付けさされたやろ? つまり、こういう事や。 国領はべつに竹内に惚れて寝
 た訳やない。 ひとつには竹内をてなずけておく為に餌をやったという事と、こう
 いう時の為に竹内の精液を取っておく為やったんや。 国領は竹内に気付かれんよ
 うに、その時のコンドームを持ち帰って、冷凍にでもしておいたんやろ。 本谷の
 死体を始末する時にそれを持ち出してきて、身体に塗った。 爪の中についていた
 皮膚も竹内のものです。 国領が竹内と寝た時、自分が竹内の背中をかきむしって
 取ったものです。 この竹内の血液型がまた梅本と同じやったもんやから警部補殿
 を喜ばせる事になって混乱したのやけど、所詮めくらましやから、どうていう事な
 かった。 精液の事もあったけど、犯人は女やと思わせた理由は、幽霊騒ぎです。
 僕は幽霊なんか頭から信じてへんよって、あれは人間やと思てました。 人間やっ
 たら、犯人に違いないとも思てましたから。 そこで教頭の登場ですわ。 まさか、
 と思いましたけど、教頭の机の中から古文書が出てきた時には、びっくりしました。
 教頭が事件に関して何か知ってるなというのは薄々感じてましたけど、関わ
 ってるなとまでは思うてなかったもんやから、ちょっと意外でした。 森の時も同
 じです。 国領は梅本が時計塔を逢引の場所に使っていたのを知ってた。 だから、
 塔の窓にまでよじ登り、情事ぼけで注意力がおろそかになってる森真智子を易々と
 斬りつける事が出来た。 後は梅本が駆け上がって来る前に窓から出てしまえばい
 い訳で、タイミングさえ間違えへんかったら、いとも簡単なトリックやった。 コ
 ブラの毒も、管理は厳重やったけど、あのせんせも授業中は平気で保管庫を開けて
 るから、その時に持ち出そうと思えばいくらでもというやつです。 警察は学校側
 の保身からの証言を鵜呑みにしてたから、こんな簡単な事に気が付いてなかったん
 ですわ。 じつに簡単、僕にも出来ます。 けど、その後の国領の行方については
 僕にもさっぱり判りません。 それが判らん限り事件の解決にはならんのでしょう
 けど、なんて言うか、僕はこのまま国領には捕まって欲しないと思てます。 出来
 れば、どこか人目につかん所でひっそりと毒でも飲んで、永久に発見されんで欲し
 いですね。 捕まって香代子として罪をつぐなわせるよりも、香として死んでいっ
 て欲しいです。 そして、次の世代で今度こそ本当に吉兵衛と結ばれて欲しいと
 思います。 梅本を助ける事は出来ませんでしたけど、これも吉兵衛の運命やった
 んやないですか。 梅本にも早く次の世代になってもらって、また香にめぐり逢っ
 て欲しいと思います」
 

 


  「竜崎君の推理は見事です。 おそらく事件の全容はその通りでしょう。 捜査のプ
 ロである我々警察官が遅れを取ったのは恥ずかしい事ですが、いさぎよく脱帽しま
 しょう。 ただひとつ、動機の面なんですが、国領香代子が香になりきった。 い
 や、俗な言い方でいう生まれ変わりであるとか、先祖の霊が取りついたとかいうの
 はどうも現実的ではないと思いますね。 やはりこれは多感な女子高生が恋に恋し
 ておこした恋愛上の葛藤のなせる技であったと定義付けたいですね。 よく、たか
 が恋愛上の問題で人を殺すなんてたいそうなと、殺人の動機としては軽く見られま
 すが、なかなかどうして、私にしてみれば、その恋愛上のしがらみこそが殺人の動
 機として最も重要な要素ではないかと思っています。 国領香代子はきっと思いつ
 める性格だったのでしょう。 そのうえ独占欲が強かった。だから、梅本の浮気性
 は許せなかったのでしょう。 そこに香の悲劇的な話です。 香の話が苦労の末、
 結ばれたとかいうハッピーエンドなものであったのなら、国領香代子もいくら梅本
 に相手にされなくても、いつか、自分に振り向いてくれるまで、その為の努力を重
 ねただろうと思います。 昔話がそうでなかった事が悲劇だったんです。 ただ、
 それにしても、それまで真面目だった女の子がいきなり連続殺人犯になってしまう
 のも飛躍しすぎのようにも思いますけどね。 もし、後ひと押しの要因があるとす
 れば、精神異常だったのか、という事です。 ま、そんな事も捕まえてみれば判る
 事です。 恋に苦しむ心情は判りますが、捜索の手を緩める訳にはいきません。
 罪は罪として徹底的に追求し、償いはさせますよ」


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憂想堂
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